120429 神官の家

神官の家(2007)を訪ねて、対馬に渡った。築200年以上の星霜を重ねた住宅の、大々的なリノベーションであった。壊して新築かというところを、辛うじて免れることのできた幸運な民家であった。そもそも200年の住宅であったから、その改修から5年経ったごときでどうということもないはずだが、やはり、新築規模のリノベーションであるから、気にはなっていた。

そんなとき、この家の施主さんから連絡があった。「すこしまた手を入れたいから、見に来てくれないか」の内容。離島は、よっこいしょという感じで出向くことになるが、歓待しますの一言につられて、家族同伴、公私混同のツアーを組むことになった。4月1日、離島の桜吹雪。変わり得ない材料で造ったモノは、どれだけきれいであるかの不安と期待があるが、変わらざるおえない材料で造ったモノは、どんなふうに変わっているかの、不安と期待がある。

同じ不安と期待なら、後者の方が可能性があり、愉しみがある。蓋を開けてみるとまずまず。外壁はすべて、地場の杉。亜麻仁油塗りの仕上げは、そのまま、予定通り黒くなっていた。軒がないところが、もっとも美しく灰色化していて、これには少々驚いた。自然が着色したものは、うまく条件が整えば、かくも美しいのだ。

塗装の類いの雰囲気とは、まるで異なる。このように美しくエージングを得る条件とは、おそらく杉の素性が絡んでいるだろうし、軒の出具合、張り方向、その地の風向き、なども考えられる。張り方向はもしかするとヨコよりもタテの方が、経年変化にとってはよさそうである。

ちなみに、本土の常識として最も安い外壁材のサイディングは、ここでは、運搬料が加算され、地場の杉板張りの方が安かった。

対馬の新鮮な海産物で想像を超える歓待を受けながら、私がこの地に呼ばれた施主の本心を聞く。「どのように変化しているかを見て欲しかった。」同じくものづくりに専心するその施主さんの屈託のない思いにより、幸運にも自身が設計したものの答え合わせをさせてもらったように思う。

 

110418 HAIRTERAACE

ユビを折って数えると、ちょうど8年前の今頃にオープンしていた。テナントビルを建てて、その店子さんの美容室を施した。鉄骨造に土や漆喰や木や紙を用いての内装ということで、メンテナンスの時期がやってくる。定例の照明障子張り替えに加えて、漆喰の部分補修やカウンターの削りだし、木部や床の塗り足し等、完成以来初めて触るメンテ内容を含んでいた。ふすま屋、左官屋、塗装屋という三業種にまたがるが、一つ一つは小さい工事、これを専門職で行うと費用が倍増するということで、この日事務所はにわか改装業者になった。

博多駅にほど近い一等地での開店、短命な商業空間の世界の中で、立派にお店が育っている。美容業界となると、私には立ち入る隙間がないが、時々に手入れを行いながら、美しく歳を経る空間として「育てる」お手伝いをしているのだと考えると、メンテナンスそのものが愉しくなってくる。8年経ったパイン材の床に亜麻仁油を塗ってみる。新材では決して出てこない、飴色が出現した。

美容室ヘアーテラスへ

110406 House1954

昨年の今頃は完成直前の2F寝室で施主さん一家と大工さんたちと花見をした記憶がある。建物は60年近くの年齢のもので、敷地内の桜は、4〜50年ぐらい。一年点検と花見が同一敷地で同一時間に行える機会は滅多にない。木製建具等その他不具合の修正作業を終えて、庭先で炭火を囲む。

廻りはどちらを向いてもマンション。このあたりはほとんど私の少年期の住処とも重なるから、いかにこの手が増えたかが解る。この敷地だけ、どうして古家と老桜が残ったかというと、持ち主がその手の金勘定をしなかったから、という単純な理由になる。その子孫もそういう生き方の粋を遺伝子で受け取り、古家を用いて住まうことを決断した。昨年は母親のお腹の中にいたおじょーちゃんも、今は自らの足でこの家を踏みしめている。「変わらぬ大地と、新しい生命」、ちょっと大袈裟か。

「一年住んで、おじいちゃんおばあちゃんの家が漸く自分の家のように感じられるようになった。」という施主さん言。建築に沿う花あり、沿う言葉在り。

100829 平屋のような家

今年の暮れで2年を迎えるこの家の休日を襲ってしまった。駐車場の土間、コンクリート土間と土のタタキの代替として行ったセメント改良土間がどうしても期待していた性能を発揮しない。本来土間の代替ではない技術を転用しての採用であったのだが。生半可を戒めるように「おしゃれは足下から」の金言?が心に響く。藤森照信氏がいよいよ土の建築を展開しているが、その理屈は「土は地面と目地なしで連続する建築を造ることができる」である。当然、それは自分も心得ているつもりで、この家の光土間、青天井の他は床から壁へとすっぽりと土の空間である。土は植物や青空がよく似合う。つまり人間の工作物以前である自然の風景そのものである。言ってみれば、人間の造り得ない要素に、人間は根本的な反応をしているということになる。しかしそこまではいいが、この地面と壁を縫い目ナシにやっているおかげで、やはり、土間に染みた雨水が根強く壁の立ち上がりを侵す。不謹慎かもしれないが、地面と連続する建築部位の宿命、正直、想定外とはいえない。下地はコンクリートの立ち上がりなので、その都度に補修すれば、構造的な問題には発展しない。
逆に言えば、そういうメンテナンスが発生する。最近は、土を使う左官職人をこういう風に紹介する。「土を塗る職人が普通の左官職人と違うのは、塗る技術というのでも、また土を段取りする技術でもないかもしれません。本当に彼らがすごいのは、その後に度々発生するメンテナンスを(もちろん無償で)きちんと行うところです。」似たような職種としては木製建具屋もそうかもしれない。彼らも必ずメンテナンスに出向かなくてはいけない。土を塗る左官屋は、だからコンクリートスラブを押さえていれば楽だし、木建屋はアルミサッシ屋へ鞍替えすれば楽になる。
それはともかく、屋外に面した建具などの木部部分が、無垢木らしく、歳を経ていた。竣工時には、更地であった庭も感じよく出来ていた。通り土間に施した土のタタキも良い風合いが出ていた。変化する素材は代償を払わなければならない部分がいくばくかあるが、(理屈を添えるとすれば)時間と空間に即して人間と共にあるという感じで、やはり、(理屈抜きで)心地良いと思えた。
100704 杉のイスとテーブル

8年ほど前になるが、標本喫茶と称して、入居者が入る前のリノベーション仕立てのマンションを借りて、2日間だけ喫茶店の店長をやってみた。漆喰と無垢の木の空間だけでなく、いろんな生活用品をくるんだ展示会のようなものを仕組んだ。森正洋さんの器をメインに、和紙でできた敷物、ベニヤのスピーカー、竹炭のオブジェ、オルタナティブな音楽、そして、杉の家具。大川のとある家具メーカーの社長がぼやいていたことがきっかけとなった。「本来、大川の家具は、筑後川と有明の物流的有利で生まれたのであって、当時は当然近くで産した木材で家具を作っていたんです。今は外材ばかりになってしまいました。」
杉の家具というとどうしても、屋久杉などの大木の塊をえぐって、テカテカのウレタンを塗ったようなものをまず思い出してしまう。あまり現代的な名作がない。それもそのはず、柔らかいからとにかく細く作ることができないし、へこみが直ぐ出来るし、耐久性に乏しい。製品として成立しにくい。
その社長と、ならばむしろ杉で遊んでみましょうということになり、杉だけで細身の椅子テーブルをつくることに挑んだ。機械化された大きな工場に何十人も居る職人の中から、ホゾ指しのできる一人が抜擢され、めんどくさい組み造作で作ってもらった。やはり弱い部分があったので、作りながら、工場の中で補強と対策を加えていった。喫茶店での2日間の使用にはとりあえず耐えてから、その後家具メーカーの倉庫にお蔵入りになったはずであったが、どうやら、美しい田園の拡がるこのカフェの店主が求めたらしい。自分はプロダクトデザイナーではないから、作り出した調度品が世の中に普及する醍醐味も怖さも知らない。そういえば、今は天国にいる森正洋さんから、この家具に一言コメントを貰った。「これは建築家が考えた家具だね。」白山陶器〜無印へと常に工場と向き合い、ロッドと戦ったデザイナーにとっては、私の作ったものは、繰り返し作ることに耐えられぬ無邪気な造物にすぎなかった。
モックアップで何度も試作を重ねて、そしてある程度の量産があって始めて成立する家具と、建築のように基本的にリハーサルができないぶっつけ本番的なものづくりをごっちゃにしてしまった、どっちつかずの仕事ではあったが、とはいえ、そのたったワンセットの試作を人様が求めて、そして可憐?に朽ちながらも大事に使って貰えていたことに、素直に喜んだ。ちなみにこの日は外はドシャブリの雨だったので、中ではブッカケうどんを頼んだ。ここはカフェなんだろうが、うどん屋としても十分やっていけるだろう。
100205 水平な家-1

水平な家という名前を付けて、大工工務店の設計を手伝っている。今日は水平な家-4の打合せで下関へ。まずは、その祖廟である水平-1の様子をうかがった。竣工後5年が経つだろうか。世の中はどうも「家型」の家がはやっているらしいが、手前は切り妻型の屋根によらない水平なプロポーションを造り続けている。祖系は日本の伝統的な家の雰囲気に根ざしていると思ってやっているのだが、街区をアプローチすると、町並みの中からは、なにげに浮いている。それは、おそらく理由が二つあって、一つは日本の伝統だとされる水平なプロポーションは、勾配のない屋根にすると、20世紀前半のモダニズム住宅(例えばブロイヤー自邸など)の雰囲気になることと、それから二つ目は現代の住宅地が、そもそも日本の伝統から変容したもの(二階建てのプロポーション、浅い軒)なのだから、そっちがおかしいのだ、と言えなくもない。
プロポーションは時間が経ってもかわらないが、材料は変化する。玄関の赤土は、お子さんたちかその仲間が、現代絵画的な彫刻を施していた。そして、杉板や米松の梁が、よい具合に朽ちていた。新築の真新しいときも良いが、時間が経ったのだという雰囲気がなにより感じられた。かつて新建材というものが出回り始めた頃は、高価であったが、当時の時代的センスの持ち主達はこぞって、これらを用いた。今は基本は新建材の世界だから、それに見飽きたと思う人たちが、朽ちる素材を用いる。それを理解する人々の間では、朽ち具合というよりも、朽ちることを受け入れるという美学そのものが、賞賛されるように思う。材料の陳腐化は美しい場合も汚い場合もあるが、そういう視覚的な美学を超えて、自然の全てを受け入れるという、ほとんど哲学的、宗教的な次元の認識にまで通じている。とはいえ、祖廟、水平-1はたまたま美しい類の朽ち方であったから、これならそう骨太な思想を介さず理解して貰える事例だと、ある意味胸をなでおろした。(写真では全然伝わってきませんが)
090627 ベンチレーターハウス

本日はメンテナンスデー、午前中は他の建築にすだれを掛けに、午後はここに。いわゆる一年点検、この間、不義理していたのでどんな風であろうかと楽しみにしていた。すると開口一番、というか最初に目に飛び込んできたのは、開口部より前線を張っている朝顔のファサードであった。元々これを構想しての鉄骨ベランダではあったが、その実像に、まず驚いた。漆喰の白や、ガルバリウム鋼板、亜鉛メッキドブ付けの銀灰色という色彩淡泊な外装を背景に、朝顔は映えていた。内観からの景色も、葉を透過した緑光が言うまでもなく美しい。月初め、藤森照信氏の授業を潜った時に、「建築と植物は本来的に似合わないものである」という逆説的な発言に興味を覚えたが、この手前味噌はどうだろう。少なくともこれらのプランターの列は植物が建築から生えている「ように見せる」ことを端から断念している。安くて素っ気ないありふれたものがずらっと並ぶ潔さを・・冠をかぶる倉庫用ベンチレーターも納得のはずだ。もう一つ、室内の漆喰壁が実に美しい状態を保っていたこと。小学生に満たない小さなお嬢ちゃん達の無邪気はきっと漆喰に刻印されるだろうと思っていたがアテははずれた。30年後、彼女達がどこかで「家」を構想の時、「自分は子供の時から漆喰壁で育ってきたので、その扱いは解っているつもりです。」などと旦那を差し置いてぶちまけたなら、コリャ痛快、漆喰党冥利につきるなー、などと考えながら、今日の一日が更けるのである。

090609 カトレア美容室

独立後最初期の建築が8年目を迎えようとしている。その間、施主さんはすべての手入れを当初の設計者に依頼しているわけではない。頼みたいが、こんな小さなことで呼び出すのは、とむしろ遠慮していることがままある。また、「こんな小さなこと」であれば、意匠的に大勢には影響なかろうという考えもあるかもしれない。この美容室は、戸建ての木造で、しかも駐車場が4台分ある。その車止め、当初は竹と木でつくっていた。純粋な竹と木、そしてシュロ縄では、やはり持ちが悪かった。そのうち、なんだかよくわからないへんなものに入れ替わっていた。しばらくは見て見ぬふりをしていたが、ついにその得体の知れないオブジェを見て、「もしこれを作り換える時は一声掛けてください」と施主さんに、申し出ていた。その後、そのことを覚えていてもらったようで、今度の作り替えはきちんと用命いただいた。8年前とは考え方を変えて、竹+ステンレスの構成とした。(コストも当初よりは掛けて)据え付けてみると、赤土の土間や壁の外部空間によく似合った。以前のものがあった時の気持ちの悪さが、スーーっと、引いて、見慣れた全体がなにがしかの新鮮さを取り戻した。些細な部分に過ぎないが、こんなものががおかしいだけで、全体がもろくも駄目になっていく。こういうと、気難しい専門家のようであるが、仕方がない。どんなにすばらしいスーツを着ていても、足下の靴が「靴卸売りセンター」製の合皮の輝きを放っていたとしたら、もはや上着を含めた全部が信用ならなくなる、と例えるならわかりやすいだろう。

(写真下)祝典のプログラムでは、早稲田の合唱部等による催しモノが繰り広げられた。この桟敷湯は、天井高9Mの浴室の他、桟敷と舞台が建築の中央を貫く外部スロープを差し挟んで対峙しているという仕掛けがある。もともと劇というのは洋の東西を問わず、屋外、もしくは都市の一角で行われていたのだから、劇そのものを町並みそのものにしてしまおうというものであった。このおもしろさが解るのは、ここでなにがしかの催しモノがなされることによってであるから、やはり使われてナンボの仕掛けである。

080728 鳴子早稲田桟敷湯

鳴子早稲田桟敷湯が10年経った。研究室時代に自分が担当したものだ。元々はその50年前にそこの敷地にて早稲田の土木学生がボーリング実習で掘り当てた源泉であったことから「早稲田湯」と名が付き、極めて小さな町の公衆浴場として活用されていた。桟敷湯はそれを、温泉町全体を楽しくするための開かれた外湯として新しく建築されたものであった。今年は早稲田湯開湯60周年、早稲田桟敷湯として10年、鳴子町としても「旅の手帖」温泉町東西番付東の第一位となったことなども相まってか、祝典が開かれた。私は桟敷湯設計の担当者に過ぎなかったが、地元の方々のお心によって招待を授かった。まずは、羽田に飛んでから東京駅へ向かい、そこから東北新幹線で仙台の次古川駅にて、絵に描いたようなローカル線「陸羽東線」に一時間揺られてようやく鳴子温泉駅。引き渡しから10年経ての建築の祝福に同席させてもらえる喜びが、その道程の疲れをないものにした。
しかし、竣工10年を祝うという催しとは裏腹に、建築の疲弊が進んでいることを事前に聞いていた。設計当初から地元の方々からアドバイスを受けたとおり、大地の底から湧き起こる湯気=強いイオウの成分が、あらゆる物体、物質を腐敗(酸化)たらしめるという、この地の宿命のようなものを、やはりこの建築も甘んじることになった。車などのあらゆる鉄、エアコン、パソコンなどのあらゆる電化電子製品は減価償却しないままお陀仏になる。建築においては鉄骨造は当然避けるべきであり、またコンクリートもアルカリ性を保つことが難しいので最小限であるべき、等。案外木がイオウの影響を受けにくいということで、この建築の2Fは木造とした。仕上げも、その調子でいくと総木目張りとなるところを、準防火地域という法律が無情にも了解しなかった。ということで、内外の大部分がシックイ。腐らないというだけなら樹脂ペイントが最もよいということになるが、そうはしないところが、建物ではなく建築を頼まれた者の責務である。そのシックイは黄色に着色された。この地の宿命であるイオウをむしろ建築にて結晶化してしまおうというものだ。「毒をもってドクを制す」である。本当は、イオウそのもので着色したかったが、アルカリのシックイに酸のイオウを入れるというのは「毒をもって自害す」ことになってしまうので、左官用の色粉を用いた。それらの経年をこの目で確かめる機会だと思って出かけたのだが、駆けつけた時には、悪い箇所はきれいに繕われていた。専ら湯気の噴きかかる壁、天井面の痛みだということで、地元の人々も、太陽が東から上り、西に沈むのと同じぐらい自明なことといった認識。いずれにしても、修復前の惨状を見てみたいという密かな欲望は満たされなかった。ちなみに竣工その後の面倒を見ていただいているのは、せんだいメディアテークの現場所長でもあった佐々木君吉氏。私が今まで出会った現場監督の中でも崇敬に値する一人である。
この町に充ち満ちているイオウが結晶したような建築であると思いながら作ったが、今にいたって思うには、東北の小さな町が厳しく変化を求める時代の中で生き抜いていこうという人々の願いの結晶であると言えるかもしれない。おそらくこの建築は、この地の宿命を受け止めることによって、頻繁に修繕を余儀なくされる。却って、その更新の程に美しさや強度のある結晶体になっていくなら、その時はもう、設計者の意志という袂を離れて、町の人々の宝物となっているはずである。

080202 手の間


説明のしにくいこの空間が出来たのは、かれこれ3年前?ということで、施主さんから呼び出され、なにやら神妙な模様。「お二人(担当者諸共)にとって残念なことがあります」というかなり重たい前触れにより、小さな改装の話を頂く。蓋を開けばなんのことはない、今より良くなるではないかと直感し、快諾した。編集業機能の拡充のための低い間仕切り家具は却って空間として締まった。その部分はまた別にに触れるとして、特記したいのは、この時に加えた、アルミ6×6の目地棒。ここのカウンターに着席し杯を傾けると、丁度真ん中のシナベニヤの突きつけ目地に目が留まり、その都度に酔いが冷めた。例えたら、閉まっているのか空いているのか解らないズボンのチャックに目が引っかかってしまったというような。この小さな改装を好機と、大工にアルミ棒を渡した。親方は、いまさら埋め込むのは無理だといったが、寄越された職人は、上から付けただけだと不細工ではないか、と精密なノミ裁きでこれを埋め込んだ。理想的な雇用関係である。いや、明日からここで正真正銘の酒飲みに変身できる。

070806 博多百年蔵壱番蔵
ちょうど一年前の夏、この酒蔵の改造に着手していた。今は3期工事。私自身が続投をさせてもらっている喜びと、もう一つ忘れてならないのは、この蔵自身にとっても、定期的に改良が加えられることの喜びがあるはずである。こういう面倒見の良い飼い主ならぬ持ち主を持った古い建築は、その幸せに感謝しなければなるまい。さて、説教はさておき。かつて蒸米が行われていたこの蔵には瓦屋根面に小さな天窓が付いていた。その光を受け止めるべく、飛び込み台のような棚を作り、恵比寿様を招来した。12時を過ぎた頃の夏の光がまるでスポットライトのように彼とその配下の漆喰壁を照らし出すことを発見した。漆喰壁は彫りの深い、ちょっと西洋人的な感じ、また漆喰壁自身の表面の手の揺らぎが明らかになる。恵比寿様はよほどここが気持ちよいのか、何時までも飛び込まずにここに立っておられる。お酒に酔う人々、新婚生活に酔う人々をいつも眼下に仰ぎながらも、自分を見失うことなく、孤高でありつづけている。この町に充ち満ちているイオウが結晶したような建築とも言えるし、また、東北の小さな町が、厳しく変化を求める時代の中で生き抜いていこうという人々の願いの結晶であると言えるかもしれない。おそらくこの建築は、この地の宿命を受け止めることによって異例の頻度での修繕を余儀なくされる。むしろ、その更新の程に美しさや強度を増す結晶体になっていくなら、その時はもう、設計者の意志という袂を離れて、町の人々の宝物となるはずである。この町に充ち満ちているイオウが結晶したような建築とも言えるし、また、東北の小さな町が、厳しく変化を求める時代の中で生き抜いていこうという人々の願いの結晶であると言えるかもしれない。おそらくこの建築は、この地の宿命を受け止めることによって異例の頻度での修繕を余儀なくされる。むしろ、その更新の程に美しさや強度を増す結晶体になっていくなら、その時はもう、設計者の意志という袂を離れて、町の人々の宝物となるはずである。
070507 カトレア美容室2002
今日アンタなんの日か知っている!と聞かれて結婚記念日に不覚の夫があわてるベタなシーンを、我が施主との間で再現してしまった。ちょうど5年前にオープンしたその日に、我々はメンテナンスを行っていたのだ。洗面ボウルぐらつきの補強、事務所オリジナルの照明シェード取り替え、その他。5年も経つと、いろんなものが取り変わっていて、建築はすっかり施主さんのものとなっていた。それを左右するのは「趣味」に他ならない。この美容室に限って言うなら、最初に出逢った時点で、趣味のステンドグラス、装飾、アンティーク家具、そして美容室なんだからとインフォメーション等、美しい整頓された空間ではなく、モノが雑然と散在する工房のような店にしたい、という強い要望があったので、ある意味では当時出たてのフレーズ、インフォームドコンセントであった。5年後の今日は、室内にひまわりがたくさん咲いていた。無邪気な表現に感覚を奪われそうになる、解ってはいたが・・。かつてアアルトが、セイナッツアロの役場に無断で掲げられたネオンを無断で取り外し、警察沙汰になった、という話をふと思った。今は建築士の社会性が疑われかねない時代、武勇伝として納めておきたい。

「趣味」にまつわる施主との調整も「そののち」のデザインである。だが、実際は設計者が施主の「趣味」を操りつづけることは不可能である。あるのは、互いを尊重するという姿勢しかない。まるで結婚式のスピーチであるが、つまるところ、そうでしかない。

写真は木製の螺旋階段。鉄骨で作れば楽な構造であるのは承知していたが、あえて木だけで作った。その答えは面の構造となった。合板を避け、ベイマツの無垢材による、小さな空間である。5年経った今もさすがにここにはミニマルな空間が残っていた。

070407 楽只庵2002 <shaka-ive<夜桜の宴>


花の杉謙太郎と書の一鬼香葉が楽只庵にて共演した。少し遅めの花見、でもあった。通常は駐車場兼アプローチであるタタキの間と直上階である畳の間の重なりが、これほどまでに活かされる出来事は、完成後4年半経過のこの日まで、見ることはできなかった。照明もこの日のために追加され、前面道路から一点透視の額縁によって庭を観るという視点が浮かび上がった。そこに桜が舞い、ギタリストの音色が響く。都市の一角が舞台の起源であったことを考えるなら、ここが一夜の劇場になったというのはなんの不思議もない。ここまで想定して設計されたのかという質問には、ある意味予定調和であることを伝えるしかなかった。そうはいいつつも私自身、ずいぶん新鮮な気持ちでこの一夜を堪能させていただいた。

060324 楽只庵2002

当初この建築の赤土は、素人を交えて塗ったこともあり、風雨にさらされた部分の壁に不具合が生じていた。施主さんは、そんなもんかと思っていたが、左官Hはそうは思わなかった。結局2日かけて塗り足した。3年半後のことである。配合は詳述しないが、明らかに進化させている。であるためか、色も当初とすこし違う。どちらがいいいというわけではない。ついでに(これは有償で)玄関脇の空地に屋外床の間を創った。床の間というより押し板(床の間の原型で、浅く長い)のような空間は、つい、花を生けたくなる。新しい楽しみである。こうして少しずつバージョンアップしていく家作りも楽しい。

060802 TerraceBuilding2004

2年ぶりにカメラを持ってこの建築を見に行った。なにか、竣工当時よりも活き活きしていると感じた。設計当時考えていた、「建築はそんなに変わることはできないけど、植栽で茂るテラスの様子は季節を通して変化する」は思いの外実現されているようだった。店舗であるとはいいつつも、よく理解し、気配りしてもらっている2人の施主(1+2Fと3F)さんに感謝。

060808 N-Building2005

この建築が出来上がったのは、昨年の秋。メインファサードはきれいに北向きであったため、常に逆光での姿しか見ることができなかった。夏至より少し遅れたが、所用のついでにカメラを持って行った。順光とはいえないが、それでも、竣工当時確認することが出来なかった光景を見ることが出来た。断熱塗料の白い鉄板の空中茶室が、黄色く輝いていた。機械のような鉄骨のデティールが輪郭を力強く現した。建てても建ててもできばえに満足することの出来ない設計業ではあるが、時には自作に驚くこともあるのかと。燃える夕日に感謝