木を使っていなければ、近作にあらず、といわんばかりに、日本の現代建築の先端は木造、木質化建築へ一色の感がある。木の文化の再帰再来、というよりも、新素材を発見したかのような迎えられ様でもある。この流れの根には、コンクリートと鉄で多くのものを作ってきた直前の歴史からの反動があるのだろうか。または、自らの原点、歴史文化の類いへの回帰なのだろうか?あるいは、単純に漠然とした「自然」を代表するものへの眼差しなのだろうか?どれも間違いではないだろう。

盛り上がれば上がるほど、そのものに危うさのようなものさえ感じる。訥々と木造をやってきた設計者の幾ばくは、後陣からの舵取りの類いの、静観役に買って出る者が必要ではないだろうか。

 

 

木造建築ブームの前提の一つである日本の林業の実態を、もう、見て見ぬ振りはできない。「2010年公共建築物等における木材利用の促進に関する法律」は、建築設計業界としては、何人も知る木造政策の道標である。遡り、2005年には林野庁による「木使い運動」がこれを先導している。我が国は、木材資源が増える一方となってきたから、とにかく、身の回りの小さいモノから大きな建築物に至るまで、何でもいいので木を使いましょう、という骨子だ。さらには、この前提として1997の第3回気候変動枠組条約締約国会議で締結された京都議定書にまで至る。温室効果ガスの主たる二酸化炭素の排出を軽減させる約束から、日本は林業のサイクルを整備していくべき、となっていく。国内産の木を使えば、日本の林業も活性化し、二酸化炭素の固定化=排出抑制効果にも繋がる、ということになっている。

 

だが、これらの諸々の理由付けが疑似科学として疑問視され、その声が多くなってきた。まずは、内地材を使えば、即、林業が活性化する、という因果関係への疑問。例えば、CLTを含む集成材の類い(エンジニアリングウッド)として製品化される場合、原木のグレードはB材でいいのだが、製品歩留まりは15%ほどしかなく、安い材料を大量に必要とする。これらを用いた建築仕様は、加工量がある分、資本力を持った工場にはお金が落ちるが、山は買いたたかれる一方となる。旧来の無垢製材のような製材加工度の低い木材の利用に比して、山(林業=川上)へお金を落としにくい収益モデルなのである。もっとも、集成材の生産が始まったころからの慢性的な現象ではあるが、2000年以降の統計を見ても、伐採材積が増えていながら林業所得は減少するといった事態が確認できる。※1 買いたたかれる安価材を沢山必要とするような木材の使い方は、日本の山にとっては不向き※2であり、再生どころか、林業の息の根を止めていく方へ向いている。従って、日本の木材を利用すれば、日本の林業に寄与する、というシナリオが実現するには、余りに条件が足りない。木造ブームの前提となっている、林業振興のためというなら、山にお金が適切に届くような、木の用い方をしなければならない。

もう一つ、山の木を伐って、生活のあちこちに用いれば、二酸化炭素がそこに固定され、山の新しい苗木が成長しながら、新たな二酸化炭素を吸ってくれる、という原理について。このとおりの結果となるには、他に条件がいくつも必要になるはず。まず、建築を含む木材製品が、焼却されるまでの期間が関係しているはず。単純に考えると、その使われた木材の樹齢と同等以上に長持ちして使われないといけないのではないか。60年生の材木から作られたものは、60年以上、燃やされてはいけない?また、先述のエンジニアリングウッドの経費構成のこと、建築の構法的な事情から、立木は買いたたかれる一方だから、山主にとっての再造林の動機付けが弱まり、伐採された後の植林が進まないという事態である。これなら、今現在育っている中大径木は、切らない方がよっぽど環境によいのではないか。※3



建築設計における木造、木質化の営みは、当然のことながら、川上から川下へ流れてきた木材を社会、ニーズという大海原へ適合させていく作業である。だから社会もしくはニーズに向いているのは極めて通常目線である。しかし、日本の林業復興に貢献すべき、というなら、川上の方をも伺いながら、設計理念、設計倫理を調整しなければならないだろう。製品単価ではなく、原木(立木)をより高単価な材として建築に迎えることができるような設計が必要になってくる。林業が求めるものの輪と建築がめざすものの輪が完全一致はしていないから、両輪が重なっているところに設計指針を据えることになる。

 

※1 林業所得=¥3000/㎥(2003)→¥700/㎥(2009)「林業経営統計調査」(農水省より)
※2 例えばCLT生産において、オーストリアをとりまく旧東欧圏の経済的な有利性が、日本とは下敷きが異なる、という言説(網野禎昭氏)
※3 皆伐の後の再造林が成されるのは3割ぐらいという話し。伐期60年を向かえた立木であっても二酸化炭素吸収量は、伸び続けているという研究結果もあるとのこと。

今回は、博多の名産、明太子の製造販売メーカーの本社ビル新築に、大工と左官で構成されたファサードを設置するにあたり、中大径木の無垢製材を用いた列柱を構成した。長さ10mの通し柱。言うまでも無く、奈良から飛鳥時代に遡る木造寺院建築をどこかに想起させる野太い木造をイメージした。本体は、1Fが物流倉庫であることから、8m超の架構スパンとなり、木造の経済的合理性が見込めないから、鉄骨造とし、ファサードの列柱は、屋根荷重を鉄骨の片持ち構造とし、主構造を回避した。もしこれが構造ということになれば、・・・準耐火建築物として燃えしろ設計が必要となり、部材断面は正角材として縛られる。

材木は、この計画の着工と共に探索が開始された。当初は日田(大分県)の山で探したが、適材が見つからず、南に下って都城(宮崎県)の山からとなった。図面には元口400以上、末口は約200(成り)、という指示。末口350前後の6本の原木から12本の平角柱(元口400超見付け)が製材された。10m超の大木を裁断できる製材所が偶々伊万里(佐賀県)にあったから、そこまで足を運び、加工を見学することができた。大径材一本一本を人間がレバーを操作しながら、注文者の言う建築部材に仕立て上げていく風景そのものが、もはやアナクロニズムだ。10年後、ここがあるか?同じ事ができるか?。
ちなみに、山の所得そのものである立木原価は、製品単価から製品加工+流通コストと伐採コストを引いた残りである。「川中」に差し引かれるこの二つのコストがなぜか優先的に確保され、「川上」の取り分である立木単価が、木材価格の増減を吸収しなければならない、という商習慣。これこそが、日本の林業が絶望的になっていく因子か。立木単価を担保するために木造設計が出来ることは、偏に、原木を歩留まりよく、より少ない加工にて無垢製材として用いる、ということになる。原理的には、105角や120角といった現行流通サイズよりも、300×120などの大断面平角材の方が、原木一本を裁く加工度が低くなり、立木単価に還元できる、らしい。ちなみに、今回のこれら列柱分の原木価格(=立木価格+伐採コスト)は10万円/㎥となった。立木価格の輪郭までを追跡できなかったが、通常の正角材の3000円台/㎥から比較すれば、それなり山にお金が届いた用い方ではなかったかと憶測する。
どのような木造を目指すか=日本の山をどのようにしていきたいか、という「川上」を設計する視点。中大径木の無垢製材による木造は、CLTのような優れた性能特製や、新しい造形の可能性を秘めた未来的な木造のイメージはなかなか描きにくいけれども、日本の山の営み、風景との繋がり、あるいは木造史との繋がりという意味では、無尽の可能性を持っている様に思う。沢山増えてもいい一手法ではないかと思っている。

 

ベンガラ加色による甘木土の外壁。全部で4枚の面を少しずつグラデーションで濃度を変えている。「美味しそうな建築」を作るために必須な左官技術。中径木を用いた木造=大工と左官の技術というツートップの構成による現代建築。
人造大理石研ぎ出し。ほぼ仕上げが終わった内装で鞘堂で囲い、集塵機による作業。(左下)


(左)応接室 漆喰の壁天井とナラフローリング、ホワイトアッシュの天板、新月伐採の矢部杉。
(右)丸種石の人造石研ぎ出しのエントランスカウンター。明太子のつぶつぶ感をこの種石で表現。「美味しそうな」建築の部位