大川といえば、家具の産地として有名ですが、その発端は、ここ若津港周辺に始まった建具屋が始まりとされているようです。小保地区は旧柳河藩(立花)の宿場町として、榎津は旧久留米藩(有馬)の港町として栄え、そのちょうど境にある街道が「藩境のまち」として今に伝えられています。その通り沿いの古い商家(昭和8年(1933))をオーナーが購入したところから始まりました。かつては綿を売る「綿屋」として使われていた住宅でした。それを最小限の耐震補強と、最小限の内装工事を加え、外観は、市の修景事業を得ながら、新しいファサードへと再生させ、美味しいフランスパンのお店となりました。

 

 

 

パンを焼く厨房はともかく、お店は、ワークショップを行い、みんなで漆喰や土を塗って造りたい、というオーナーの希望に沿って、設計者は、工事の一部としてワークショップを請け負いました。下地と仕上げの2日間。各14〜15名の、様々な立場の老若男女が集まり、労働を愉しみました。

 

 

 

土は、ミカン畑の土だったようです。4面塗ったもののうち、西面のこの壁だけは、石灰もセメントも入れない土100%にして、竹の下地に厚みをつけて、塗りました。迫力のあるひび割れ仕上げが出来ました。藁が見えるのは、「投げスサちらし」という技法によるもの。この位の空間であれば、一人の講師で、左官の素人である参加者を、ある程度コントロールして、なんとか収まりをつけることができる、と改めて思いました。

 

 

オープンの2日前に、既存店で用いていたレジカウンターが、新しい?空間に異質な存在となることが判明、急遽、2軒隣の、家具屋さんに、天板の端部を切ってもらい、腰から下を、同じ土で塗りました。左手には、この古家に元々あった、大川家具。かなりの価値があるようで、というか、もしかしたら、この敷地と建築の中で、最も値段の付く「お宝」であるかもしれないことが、後で判明。私たちで塗った土壁は、一気に背景に成り下がり、まるで、元々この古家に塗ってあったかのような、自然な存在。でも、紛れもなく、2015年に新たに仕上げられた新参者。

 

 

大川市で第一号となった修景事業。実はこのカットに写っている大川組子の門灯も、フランスパンを表した鏝絵も、補助金対象外の工事でした。こういうものは、現時点では、建築行為を扱う修景事業としては、公の共通解とはならない、ということでしょうか。それでも、こういう部分的な造形にこそ、多くの人にスッとなじむ、アイコンとしての親しみやすさがあるのだと思います。「藩境のまち」の街道沿いの町並みの中で、会い言葉のように繰り返される、その最初のスタートだと考えると、これから、さらなる仕事をしなければならない、と思い知らされます。