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2012. 5. 8

センシブルハウス「プロローグ2」

賢いことは良いことだ、ということで、あらゆるものが、賢い方向へ向かっています。スマートという言葉が、いろんなところで聞かれます。大きくは都市(スマートシティ、スマートグリッド)、小さくは、スマートフォン。もっと大きいものも小さいのもあるでしょうか。いずれにしてもそれらの中間にスマートハウスがあります。家がスマートになれば、家は家電屋さんの商品となります。大きな家電のような家を電気屋さんが売る、これが次世代の家です。なんとなく、この大きな潮流にのった方がよさそうな雰囲気です。一方、ちょっとまて、という臭いもただよいます。大きな流れが常に正しいわけではない、と勇気をもって、今一度冷静に見つめている必要があるかもしれません。

賢いことは、良いことではあります。しかし、賢くなるのは、人ではなく機械である、そこに問題が潜んでいるように思います。それに囲まれた人々は、賢くなくなるのではないか、という話です。(厳密には、創った人はやはり賢い。)人間が行っていた身体的な適応能力、頭脳力は、機械がそれを代行すればするほど、人間のそれは退行する。もちろん、この悪循環はスマート〇〇の時代に始まったことではなく、少なくとも産業革命が始まった17世紀ぐらいを起点にさかのぼれるのかもしれません。しかし、機械が人の単純な肉体労働や、単純な頭脳労働を代行していた工業化時代はかわいいもので、今はスマートの時代、人間の能力の立ち位置を根こそぎ奪う、これが現代のテクノロジーの凄さでもあります。

であるからこそ、家は、賢さだけでなく、もっと思慮深い(センシブル)ものであるべきではないか、と今、考えを巡らせています。単純に、人の要望に応えるだけでなく、深く人のことを考え、時には、人の要求を鵜呑みにせず、彼がじっくり能動的に動くのを待つようなスタンスも必要ではないでしょうか。人が生きるその生活の器とは、ちょうど、親が子を思うように、思慮深くあってもよいのではないかと思うのです。家は、住まう人と、長い間、しとやかに関係を持ちつづけるからです。

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