2010. 3. 21

第91(日)道草のデザイナー

おととい、改修工事の現場で、左官工事を行った。行ったというのは、事務所のスタッフとでにわか職人となって鏝を握り、壁に塗った意味。請け負った、と書きたいところだが、まだまだ、職人としてはお金を貰う勇気がなく、現場は高校の同級生宅ということもあり、竣工祝いとして無償で行った。一般にはどういう竣工祝いをするのか、同業者で話したことはないが、例えば施工者などが、傘立てとか、スタンドとか、蘭とか、いろいろ候補ある中、私たちは「塗り壁」をプレゼントした。だれでもは出来ない粋なプレゼントだろうと自己満足がないでもないが、内実はなかなかである。職人はダテやスイキョウで職人ではなく、毎日職人ができるから職人なわけであるが、我々は突然その日、職人をやってみるわけで、翌日以降は筋肉痛と闘う役立たずに転じる。
それはともかく、その日始めて鏝をもったという若い一人を除き、その他古株はいつの間にか、少し左官仕事ができるようになってきたと見受けた。設計者でありながらその日は職人になるというスタイルは、ごく普通に考えれば、道草する学生のように見られるかもしれない。近視眼的には、設計業務に支障する余計な行為であるかもしれない。だが、そういうふうには考えないことにしている。むしろ、ものづくりとして極めて自然な行動であると開き直っている。ものづくりに関わっていれば、買ってきたものを貼り付けるだけでは済まなくなり、となれば、モノの物性を知らずしてそれは構想できないとなり、終いには、自らの手でそれを触れずには居られなくなる。至極自然な成り行きである。かつて日本の大工棟梁はデザイナーと職人を併せ持っていたということだが、そういう風習のようなものよりもっと初源的な欲求に近い。また、その大工棟梁が我々の社会からいよいよ消えていったころ、70年代にクリストファーアレグザンダーが「アーキテクトビルダー」という、施工に直接関与する建築家のスタイルを提唱したが、こういう理想論とも同じようで違う。自分自身を問いただしてみても、先例のイメージや理想論に従っているというのではなく、率直なモノへの好奇心から起こる行動であり、只、愉しいからやっているという節がある。
最近、ただ愉しいと思ってやっていることをもう少し社会的なものにすべきではないかとも考えるようになった。きちんと業務として、報酬付きの職人デザイナーを目指してはどうかと。設計者サービスや、竣工祝いなどと言わずいま一歩。もちろん、本物の職人との棲み分けを捉えた上でである。毎日が職人という職能に、にわか職人が勝てないことを土台としていなければ単なる愚者である。だから、できることを限定し、その仕事については、本物の職人では出来ない魅力を持っていなければならないだろう。そうして、結果的に、やはり、建築づくりを通した、モノとの距離を狭めた設計者像が浮かび上がる。モノとデザイナーの間に距離があるデザインではなく、そこに距離がないデザインというものとはどんなものだろう。具体的にどういうものかと聞かれても、ここのところは文字化できない。おそらく重要なのは、モノが対象化されないデザイナーの状態であり、結果は導き出されたものである。例えば使う素材などは、今ここで相応しいものとして断定できるものではなく、デザイナーの好き嫌いに因っていて良いし、同じ人間でもその興味は歳と共に変転するかもしれない。作風などは、人によってその顕れは異なるだろうし、机の上で問題にすることではない。匂いがするかしないか、そういうことはどちらでも良くて、結果から先に構想されるものではない。必要なのは、あくまでもそれとの距離。自分の手で触っているか、どこまで深くそれとじゃれているかどうかだけ、ものをつくるとは本来そうであった、という初源が現代に芽吹けばいい。

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