
楽只庵2002のお風呂
お風呂の壁に漆喰というのは、最初は、思い切りが必要でした。なぜ風呂に漆喰かというと、漆喰を塗り続けていると、目地なしの白い壁の奥行き感が、より狭い空間であればあるほど効果があるように、身に覚えたからでした。
トイレにこそ漆喰を(2001〜)、と先にやり始めたことと根は同じで、なにもしないでじっとしている狭い空間にこそ、機能だけではないクオリティーの某かが必要なのではないかと考えるようになりました。
最初は楽只庵(2002)というお一人の方の住まいでのお風呂場。この時のお風呂の仕上げは漆喰と杉板の仕上げとの混成でした。カビが巣くうのではと、内心は心配もありましたが、施主さんの用い方も上手であったため、14年後の今でも綺麗な状態が維持されています。次に試みたのは、Kさんのマンション(2013)。いわゆるフルスケルトンリノベーションでしたが、そのお風呂は、ヒバの風呂桶、檜のすのこ、壁~天井全て漆喰という、当に風呂バージョンの「漆喰と木の室」となりました。
私は、基本的に実験要素の高い生活の片々は、自宅で実験してみてから世にリリースしてきたのですが、この「漆喰風呂」については、完全に人様のお宅で先んじられてしまいました。なにがしかの敗北感さえ感じつつ、そのままでは落ち着かず心が騒ぎ、その次の年に、Kさんのマンションで設計した漆喰風呂のバージョン2を、自宅で実現しました。(設計者としては逆だろうということですが)
住宅に関わる数だけ、お風呂を設計してきたということですが、その中でも風呂桶が木であるという事例は、それまでわずか一例のみでした。維持が大変だということで、施主さんからの要望でないかぎり、まずは選択の土俵に上がりません。つまりは、自らが使ってみてしか、人様に薦めることなどできないわけでもあります。
1年半、自宅で使ってみて今どうか。答えはyes。(限りなく木風呂に肩入れした判断かもしれませんが、実は私は0~15才まで木風呂で育ったのですが、かつてはすぐに黒ずんでしまう木風呂のイメージは、今の製品にはあてはまりません。表面の退色を防ぐ一手間が加わっていて、ずいぶん維持性が増していました。自然木ですから、もちろん様相は変わっていきますが、その気になれば、木のまな板のように、サンドペーパーで削れば、奥から新鮮な肌合いが現れます。この、脱皮して新しいモノが奥から生まれ出てくる感覚が、なんともいえないのです。現代素材に浸ってきた感覚からすると、ある意味新鮮です。檜やヒバは、何年たっても、新しい肌が浮き出てきた時に、ほのかな香りがしてきます。これは、個人の趣味的なものとは言いがたい。
20世紀の建築材料は、工場かどこかで、別の形で再生することはあっても、その場で再生することはない素材でした。今世紀もその流れは強いと思います。その中で再び、表面と中身が異ならない素材への回帰、もしくは再チャレンジが芽生えるのではと考えていたりしています。代謝を促すのは、人間の手ですから、このあたりがターニングポイントではないかと思います。時々のメンテナンスは必要であっても、長いタイムスパンを考えると得ではないか、というパターンがあるように思います。やはり、お金を払うメンテナンスから自分で行う労働のささやかな楽しみが、見いだせるかどうか、が分かれ道かと。日常生活の時間割が関係しそうです。