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2007. 9. 16

第10(日)建築という寺院

京都から社寺建築専門の建築家が事務所に来場。福岡市内の禅寺のプロジェクトの手伝いを依頼される。もっとも、突然依頼を受けたのではなく、春先にすでに伺っていたこと。どういう配分で仕事を分担するのか、またどれほどの量の仕事が任されるのか皆目検討がつかず、既に抱えている仕事のことを考え、「あまりお力になれるかどうか」とは伝えてきたが、本当は、木造で本堂と庫裏を新築するという、滅多にない仕事に関わらせて貰うということに明らかなる意欲を感じてもいる。建築(といっても概念も名称も明治になってから作られた言葉であるが)といえば本来、古今東西?宗教建築のことを指してきた。建築=architectureはarchi(万有の)・tecture(製造物)の意であったから、一般的な個人住宅はおのずと万有の製造物たりえなかった。20世紀を迎えて、住宅が建築家の重要な表現手段となり、作品となっていったにもかかわらず、住宅は建築か?などという議論がやまなかったというのは、そういった根底が尾を引いていることの証であろう。
今日の宗教、もしくは仏教が、その建築に万有の概念を封印できるほどの積極的な意味づけを行うのか、あるいはその必要があるかどうかはわからないが、少なくとも雨風をしのぐだけではない製造物、ビルディングタイプであることを期待させる。雨風をしのぐとか、機能的であるというのは、ある意味持ち主にとっての当然の奉仕であるが、それだけでは「建築」ではないのである。(あたりまえのこと。)今日、私たちが触れることのできる仏教のコンテンツには、釈迦が説いた本当の仏教から大きくはずれたものがあまりにも多い。つぶさに挙げると、営業妨害の範疇になるという代物でさえある。だからというべきか、私たちは生きる糧としての仏教という、中身の美味しい果肉の部分に出逢うことなく、表面の無味乾燥な厚皮に辟易してしまう。あらためて「寺」とはなにか。人を幸せに導く場所?本来の意味で建築になっていく可能性を秘めたビルディングタイプ?はたしていかに。

 

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