2023. 1. 1

第200(日)働く時間、場について。

先日、とある建設会社の支社長と、おそらく日本中で起こっている、人手不足の話し。なぜ、今、現場監督が不足しているのか?の理由の一つに、働き方改革があるのではないか、というもの。会社は、今は定時になると自動的に、電源が落ちてしまい、問答無用に、残業ができなくなるとのこと。企業というのは、なるほど、そんなにシステマティックなのだと感心しつつも、問題がそこから始まる。あー仕事が終わったと、精々しながら帰宅する社員の中に、それらに関係なく、たとえ残業代がつかなくても、たくさん働いて、早く、一人前の現場監督になりたい、という若者が、少なからずいる、とのこと。5年もやっててまだ作業所長になれないのか君は?の話しになるらしい。時間のメリハリをつける行動規範が、知らぬ間にスタンダートとなり、そういう枠にとらわれずに仕事を覚えたい若者の芽を摘んでいる、という。

規範や規律というのは、時に重要なものごとをもスポイルすることもある。とある左官の親方のぼやき。親方を慕って左官を目指す若者が、手弁当でいいから、働かせてくれ、といってきた。しかし、そういうすべての若者に、労働基準法が強いる最低賃金を払うことができないから、仕事はあるし、席はあるが、断るしかないと。互いに雇用条件が満たされているにも関わらず、受け入れができない事態、一人の若者に学びの場を与えることができない制度の限界を嘆いていた。

時間に縛られずに、気持ちの赴くままにたくさん働いて早く一人前になりたい、という時に、時間にけじめをつける仕事の仕方が果たして正しいのだろうか、と疑うのは自然だろう。時間を限って、仕事の効率を促すというのは、まずは、時間を忘れて仕事をしてしまう(ことができる)人間が考えるべきだと個人的には思っている。給料とかそういうことよりも、優れた仕事を盗みたいという感覚が、一人のペーペーな作り手に生まれるのもピュアで健全な志以外のなにものでもない。そうであるなら自由にさせてやったらどうか、という柔軟な環境であることの方が理想であるのは言うまでもない。制度整備とはかくも金太郎飴の世界である。

 

 

 

年末の休み突入初日に、この本を読んだ。自身を三流とする世界が認めた一流シェフが、休みなく働いた修行時代を振り返っている。朝から晩まで、そして日曜日もない日々。そういうひたむきな生き方を、天才のみがなせると他人事にするか?しないか?夢や希望で自己を純化していこうとする者=志には、社会や組織が敷いた制度や世論のリミッターなんて、関係ない。それにしてもさあこれから休みだーという時の読書としては、ちょっとふさわしくなかった、「感涙」の一冊。

 

 

人間は、やはり、集団で生きている。だからこそ、最大公約数に照準を合わせて、それらが道しるべとなり、集団が成り立つ。ただ一方で、人間は、限られた個の力で、集団が引率されているのも、紛れもない事実である。そういう人種の生態への対応も、同時に、同列に、考えなければならないだろう。

もう一つ、時勢的な話しとして、リモートについて。数年前からのパンデミックにより、また、パソコン環境の社会基盤的充実により、思いの外リモートで仕事でもコミュニケーションでもなんでもできるということが、わかった。しかし今は、もう、私たちは、会わずにできる側面よりも、それでもやはり、人間が居合わせることの意義を再認している最中である。

とある神社の宮司の話し。近頃は神社のお祭りも、リモート配信しているらしく、月次祭(つきなみさい)や、交通安全、学業成就などの御祈願なども、ネット上の決済をしながら、リモートで参加できるという。そのこと事態は、へーと思いつつ、さもありなん、という内容。話しはそれから。

とある氏子さんが、こう尋ねた。「宮司さん、寒い、暑い、あるいは、感染を免れようと、出向かずに神様にお願い事をできるのはいいが、実際に出向いて参拝するのと、違うんでしょうか?」違うかというのは、おそらくストレートにいってしまえば、ご利益に差があるのかどうか、というお尋ねなのだと推測。宮司さんは、「心というのは、神様の方からすれば時間や空間の制約を受けないので、ご自宅でお祈りなさっても、多分、聞いてくださると思いますよ。」「でもですね、みなさん、この境内に入ると、家に居るのとは違う感覚になりますよね。毎日毎日私たちや氏子さんたちが掃き清めて、綺麗にされた境内と、神様にお供えする祭壇、ここにきて、ああ神様お願い、って気持ちになりませんか。」「私たちはこのように場の雰囲気というか蓄積された力、意識のようなものから多かれ少なかれ直接的に心が影響を受けながら生きています。神様は祈る人間の真心の度合いを汲み取るのですから、自宅でなさるのと同じか言われると、同じにはならないでしょうね。」

真心の話しをリモートワークと、どう重ねるかだ。事務所には神様が居て、というのではない代わりに、人間がいる。他者がいる。皆、必死で働いている。もし、必死な環境の中に、必死でない者がいたとしたら、彼は自然に居ることができなくなる。逆に必死でない者に囲まれて、必死である者が居たとしても、彼は、そこに居続けることはない。よくも悪くも互いに影響を受け会いながら、特定の物事の成就のために、そこに集まり、知らぬ間になにかを交換しあっているというのが、対面環境だ。対面環境を設ける意義は、時に眠気を起す気概の類を与え合う場、人同士で良い影響を与え合う場、つまりは各自が各自の自宅でやっているでは絶対にできないトレードがなされている、というのが底部にある。極論、IT端末を用いて、遠隔のコミュニケーションモードでの連絡に努めれば、可視的な情報そのものは、100%やりとり可能だと考えるられる。ツールを介さない対面での対話の意義を私たちはもう痛感しているが、言葉を交わすという見えやすい事象の背後に、不可視的なもののトレードが、潜在していることを、証ているかもしれない。

まずは場を掃き清めて、場の見えない糸をピンと張る。そして、時々の各所の整理整頓。そして、各々が各々で自己管理している心身がそこにあれば、自然に互いに他者に良い影響を与えるような場が作られていくのだと思う。人間が二人以上いて、彼らが何かの目的に向かって、一つ所で協働しようというところから、「場」が生まれる。相互扶助的な働きがある人の集まり、空間をこそ「場」と言ってもいいようにも思う。

 

 

2022. 11. 27

第199(日)信じること、愛、ルイスカーン、建築?(とある建築講義の忘備録221121)

武雄での打ち合わせを、2時間濃密に収めて、急行電車に飛び乗り大橋を目指す。九大大橋での、お三名の講義があると聞き、久しぶりに、建築の集まりに潜る。

最初の土居義岳先生の講義には、最後の10分だけ伺うことができた。会場にたどり着いた時には、「信じる」とか「愛」などの言葉が発せられていて、これは果たして、自分が目指してきた会合であるかどうか、一瞬疑った。話の文脈がわからないまま、しかし、「信じる」ということが、全てにおいて人間の根源的に重要なことではないか、の力のこもったお話に、いや、それは間違いない、と素直に頷く。信じる対象が神であればそれは宗教で、それが建築の理想に対するものであれば、それは立派に職業的な姿勢なのだと。結論のタイミングに滑り込んだ自分がいけなかったが、でも、不遜ながら、自分もほぼ同じことを、考えてきた。人間の営みは、ほぼ全て、直近であれずっと先であれ、分かり得ない、見えていない結果に向かって、行動をするしかない。「信じる」ことができなければ、行動に着手すらできない。より見えにくいもの、分かり得ないものを確信して、行動をし、その結果が社会的なものであれば、それだけ何がしかの付加的な役割が担える。より分かりやすく見えやすいものへの行動には、自明のこととして取り沙汰されない。そのグラデーションのどこに自分を置くか、は「信じる対象」と「信じる程度」の掛け合わせそのものであり、それが社会の中での自分の役割を決める。「信じる」というと、倫理的なもの精神論的なものとして、金科玉条的に仰ぎ見がちであるが、むしろ、全ての人において、本来日常茶飯事のことなのである。土居先生の、今日のお話は、最初から聞かねばならぬものに違いなかったが、自己流交えてかろうじて自分なりに受け止めることができた。そういえば「建築の聖なるもの」2020は発刊されてすぐに購入したが、そのままになっていた。再び手にとって、きちんと読破しなければならない。

風位2022 MUNAKATA 三女神の休息所 中西秀明 (宗像みあれ芸術祭2022 高宮斎場にて)

 

 

 

そして香山壽夫先生登壇。お名前はもちろん、門下の方々との出会い、実作やドローイング集などで、おなじみであるにもかかわらず、肉声を初めて伺う。そして始まりは、「建築はおもしろい」だった。いきなり観念的な投げかけに始まり意表をつかれるも、すぐにそれは、なぜか、と切り込まれた。

1.人と人とをつなぐものであること、そして、2.自然(大空の下、大地の上に)の中に建てられるものであるから、という。どちらも分かりきったことのように聞こえなくもないが、しかし、建築を60年以上続けてこられて、この分かりきったことに確信を得る、ということに、言うまでもなく重みを感じる。建築は人と人とをつなぐコミュニケーションツールである、極論すれば、ツールに過ぎない、とまで言いたくなる感覚が歳とともに増幅する。人と人、とはいろんな組み合わせがあるのかもしれないが、まずは、建築の作り手(施主、設計者、施工者)側と鑑賞する(利用する)側とのコミュニケーション、だろう。むしろ、設計者としてはここしか、関わることができない。そして、二番目の自然(大空、大地)に建つ、というのは、一瞬、拍子抜けするほどに当たり前のことのように思えたが、先生が、「だから、自分は宇宙ステーションにはまるで関心がない」と添えられたことで、合点することができた。自然の中=人間が創ったものでないものの中に親密に存するものであるからこそ、きちんと考えなければならない。つまりは、地球に対する愛のようなもの?建築設計者は、これから人類全体に求められる感覚を率先しなければならない、と言われているようでもあった。

そして話しは、水が流れるが如く、ルイスカーンの話しへ。先生は、ルイスカーンが教鞭をとるペンシルバニア大学へ留学されていた。

What was has always been.

What is has always been.

What will be has always been.

これは、ルイスカーンの言葉の中で、唯一自分が(日本語で)記憶していたものの原文だった。『あったものは、常にあったものである。今あるものも、常にあったものである。いつかあるであろうものも、常にあったものである。』この言葉は、カーンは、本当にいつも、いろいろな場面で、いろいろな人に語っていた、という。カーンは、たくさんの哲学的な言葉を遺しているのは有名だが、この言葉にどっしりと軸足を置いていたというのは、知らなかった。カーンがいかに、人が歴史とつながっているか、あるいは、つながっているべきかの確信の強さがこれどまでとは知らなかった。そして、香山先生は、この名文に続く手書きの英文章をスライドで紹介をされたのだったが、一番最後に会場に到着した自分は、会場の再奥から、メガネ矯正視力0.7の性能でもって、その文字を書きとることができなかった。上記の有名な What was…に続く文章には「歴史的には、豊かな宝物のようなものが潜在している。しかしそれを発掘し自らのものにするためには、穴が開くほどに、それを見続けなければならない」というような意味のものであった。これらには、もうなにも付け加える必要がないだろう。(正確に把握されたい場合は原文を探索ください。)

 

 

 

最後、トリは、安倍良さん。なぜ先生がつかないかというと、石山研究室時代の直上の先輩だから。 リアスアーク美術館に始まり、早稲田の観音寺や、淡路島のプロジェクト、他、自分たちが本当にペーペー時代に、実務的なこと、石山さんとの接し方等を学びながら、長い時間、緊張感しかないあの研究室で共に過ごさせてもらった方の一人。その方が、建築学会賞を受賞されてその記念講演をされると聞いて、呼ばれていないにもかかわらず(井上先生からは、なんで高木さんがここに居るんですかと、注意された。)、なんとしてでも、駆けつけなければならないの動機によるものであった。

いうまでもなく「島キッチン/2010/豊島」の話し。室内空間のない、おそらく学会賞としては前代未聞の作品の、そのストーリーは、ネット情報を撫でているだけだった自分にとっては、言うまでもなく圧巻だった。詳述は避けるが、豊島という離島に、島の人々と外からの人をつなぐ何か、建築でなくてもいいので、そのようなものを創って欲しい、というオーダーに始まり、建築とは言い難い屋根だけの仮設物を工作し、それが、パーマネントな建築へと代謝していく10年のストーリー。受賞作品の類、もしくはみんなが見上げるような建築作品にはおおかれ少なかれ垣間見える、お金の匂い、というか、高度資本主義社会の大前提のようなものが、感じられない。(語弊を恐れずにいうなら)そういうしっかりした社会性、あるいは経済のあるべき循環のようなものがすっぽ抜けている代わりに、人の心と心のトレードだけが、豊かに渦巻いている建築。騙されているのではないか、と思うほどの清々しさを感じた。安倍さんはどうやって、離島の人々や建築と10年付き合うための、フィーをもらっているんだろう、などと、邪な質問さえも思いついたが、井上先生が、(あくまで)「学生さんから質問はありませんか」の進行に、アラフィフは口を紡ぐ。

他者になにかを伝えたくて、建築を通して、それをしようとした時に、必ずお金が物を言う要素、プロセスがある。お金の量が乗り越える糧にもなる。そういう宿命の構図から自由になることが建築にはあり得る、と立証されようとしている。このようなプロジェクトをもって立派に建築なのだ、と皆が同意する(満足する)時代になれば、もしかしたら、人間は地球に存続し続けられるのではないか、とさえ思った。

2022. 10. 31

第198(日)日常的分解者の営み

物心ついた時から、物をいじりまわすのが好きだった。どちらかと言うと、決められた通りのものをつくるよりは、それをアレンジするのが好きだった。ランボルギーニカウンタックを作れば、後輪タイヤを『グランプリの鷹』風に二列にくっつけて走らせたり、ガンプラの類は、今のとは比較にならないぐらい不自由な関節だったので、熱で曲げたり、軸をつけて可動にしたり。その原風景としては、親父が、やはり手先をつかってものをつくるのが好きで、日曜日には、NHKで囲碁の番組に食い入っているか、飛行機とか船とかを作っているかだった。彼は、昭和初期の生まれだったから、プラモデルというモノのない時代。厚紙から船とか飛行機とか、あるいは、古金物から実働するモーターを作るとか、常に原材料からの工作だったようで、そういう習癖のようなものの成れの果てを横で見ていたことになる。おそらくその結果、兎に角、人がお膳立てをしつくしたものづくりに面白みを感じにくい体質となってしまった。そしてそれが、今に至り、建築現場の周辺で迷惑をかけている?始末となっている。

私的な日常として今は、ガンプラを作らない代わりに、また、巨匠スケッチを描かない(描けない)代わりに、日用品を作ったり、修繕したりする習癖のようなものがある。もしかしたら貧乏なのではないか、もしかしたら暇なのではないか、と思われてしまう恐怖、また、製品に対して美しさを競う代物でもないこと含めて、この習癖は自慢にならないと思い込んでいていた。おそらく日曜日の記事にしたくても、してこなかった。

「分解の哲学」藤原辰史の中で、上記の自慢にならない手遊びが、実は人の営みとして基本的に大事なこととして、拾い上げられていた。冒頭で筆者の住む集合住宅の掃除のおじさんが、毎回毎回捨てられるダンボールゴミから、子供のおもちゃののようなものを作っては、子供に与えている営みに、モノの世界の真正なる循環の類が読み取られた。 筆者本人も、エアコンやなにやらの家電が壊れて、それらを何の躊躇もなく新調することに違和感を覚えて、自分で修繕をしていると告白する。壊れたら迷わず新しいものを買うというマインドセットの類を「新品世界」と名付けて、相対化する。

読書における「目からウロコ」というのはこのことである。こういう人(藤原氏)が、自著でこのような些細な習癖を哲学の源に据えることによって、私のような小人がようやく喋り始めることができる。ならば、これもあれもあるよ、と事例は幾つでも出てくる。

直近で言えば、コーヒーポットの取っ手の修繕。事務所のものがある日突然プラスチック製の取っ手が根本から割れてしまい、どうにもならなくなった。部品交換が可能かどうか、少し調べたが、やはり見当たらなかった。多分、ここだけを買い足して使うような経済原理が働かないから、その部品を売る商売が生まれないのだろう。

ならば、作ってやろう。どうやって作るか、この瞬間が一番愉しい。地下工房に転がっていた、栗の木の木片を取っ手の形に切り出して、ステンレス製の結束バンドで結ぶ。半日を費やし、材料代は結束バンド代七十円ぐらい?普通はここで、大人の時給を鑑みて、新品購入と比較したりする健全な経済観念を働かせるものだが、そこで既に違う、と考える。あくまでも、それは、現在の産業構造、社会の仕組みにもとづくパラダイムに過ぎない、と言い聞かせる。藤原氏の言う「新品世界」とは別の世界を想像する。この世界をなんと言おう?分解の哲学の意からすれば、「分解と生成の世界」なのだが。

現在の「新品世界」は、発案者や生産者、つまり、アウトプットの主体者が一定の有利性とステータスを与えられるようになっている。そのことにとらわれずに、分解者の営みを見ていこう、あるいは真似ていこう、それが、人間社会を持続させることにつながっていくのではないか、となっていく。

これまでも、エコロジー、リサイクル、アップサイクル、サスティナブル、SDGs、脱炭素と掛け声を刷新しながら、私たちは、それへの動機付けを維持していこうとしてきた。「分解の哲学」も、新しい掛け声の一つにすぎない、かもしれない。いや、むしろ少し難しい言い方だから、普通の人々にすぐはなじまない、ということもあるだろう。

だからこそ、こうやって、目から鱗の落ちた人が、咀嚼し、実行し、触れ回って、少しずつでも当たり前のことにしていく、べきと思った。そして、なんといっても、持続社会への行動規範といった目先の目標にとどまらず、あらゆる立場の人や動物や植物に対する、あるいは、自己の外側の全てに対する、愛のようなもの=より根源的な人間のあり方につながる哲学でありそうなことが、なによりである。自分が生きれなくなるから、地球のことを考えよう、というのは、一人にとっては、とても抽象的で、難しい心構えなのだ。自分が生きている間に起こることかもわからないし、本当に地球をダメにしているかも、なにか特別な体験でもしないかぎり、実感がない。それが普通の我々の感覚状態だ。

だから、分解の哲学者は、冒頭に、廃段ボールでおもちゃをつくる清掃員を持ち出したのだ。フンコロガシに偉大な役割を見出す観察者としての感性を育てるのでもいいが、一方では、自分自身がフンコロガシのように、自らの趣味趣向に従って、分解から始めるなにかの生成者になればいいではないか、と励まされているようである。

2022. 7. 31

第197(日)無冷房執務への挑戦

ちょうど10年前、「スマートとセンシブル」と題したエッセー、を西日本新聞の文化欄のために執筆した。当時、ずいぶんと、担当の方から、もっとわかりやすく、の推敲を受けながら、入稿したことを思い出した。短い文章の中に、結構、根の深いことを書こうとしたから、力んだかもしれない。読者側からすれば、今読んでもわかり難かろうことを慮るもののがある。しかし、言わんとすることは、今でも変わらない、むしろ、死ぬまで言い続ける必要性がありそうだと確信を強める一方である。

私たちは皆、今の時点の位置から、いろんな物事の見聞において、未来も歴史も、両方とも、ある意味イーブンに楽しむことができる。でもそれは、もっぱら外観のスタイル(=カタチ)である、その外形をかたづくる中身の技術については、古い技術は新しいそれと対等に並ぶことができず、新しいものに頼るのが常である。ならば、意図的に、意識的に、古い技術の現代的な意義を考えつつ、古い技術を取捨選択すべきではないか。新しい技術を目指す姿勢、もしくは新しい技術の矛先を仮にスマート、と言い換えるなら、その正反対の姿勢に言葉があるか、というと、とりあえず見当たらなかった。そこにセンシブル=分別のある、思慮深い、という語を当てつけた。スマートが「賢い」ならば、もうちょっと、広く先を俯瞰していそうな、「分別のある」意を対置させた。それほどまでに「スマート」は、卑近な利便性能の類に狭められたキーワードに成り下がってしまったように思えた。スマートの冠を着せた構想やプロダクトが、本当に「賢い」のかどうか、怪しくなってきた。これを2010年ごろから、悶々と一人でつぶやいていたのが、つい最近、「不便益」の言葉、研究概念(不便益システム研究所)を知り、言葉は違うが、眼差しがほぼ同じ、ということが判明し、同朋を得た感があった。

 

さて、事務所にて、このクソ暑い夏であるにもかかわらず、可能であれば、冷房をつけず、窓を全開して、設計業務を無理なく行うというトライアルに毎日挑んでいる。その日1日、冷房をつけずに、済ますことができれば、無冷房執務の達成、となる。知っている人からは、なにをしているのかわからない、ということで、ここで改めて意義をいうなら、どこまでの暑さを我慢できるか、とかどこまで電気代を節約できるか、ということの他に、体がどれだけ丈夫になるか、を自身の身体を使って実験している。熱中症がなぜにこれほどまでに、多くなったかの、主たる理由は、異常気象、ということなのかもしれないが、それだけではなく、冷房の普及を始め、人間側の能力の減衰も関係あるはずだと思っている。人間は、だれでも、外気温にある程度適応する恒温動物だが、それを具体的に制御しているのが、自律神経である。これが本格的に乱れると暑さ寒さに我慢ができなくなる。

人が夏に、外気温にさらされる時間を、ゼロに近づけられるなら、話は別かもしれない。宇宙戦艦ヤマトの地下都市ならこんな議論が必要ないのかもしれないが、今の現実の生活は活動している人間にとっては難しい。少なくとも建築業は、夏に建築現場があれば、エアコンの効かない空間で、所定の時間を過ごすから、1日の内の極端な温暖差サイクルは、恒温動物の恒温性能を超えて、体がおかしくなる。

もしかしたら、高温多湿の外気の状態は、体を芯から温め様々な器官を整えてくれる、低温サウナ(塩サウナとかミストサウナは40〜50℃だとか)の類ではないだろうか、と思いつき的な仮説すら出てくる。

事務所が幸い、中心市街を離れて緑の多い高台に位置しているから、その地の利を証すためのトライアルでもあるかもしれない。自然の風を頼りに。

執務の品質が、落ちるのではないか?あるいは、体は低温サウナもどきで整う前に、くたばってしまうのではないか?それはありうる。だから、気温がぐんぐん上がってくる昼頃になってくると、お互いに顔を見合わせて、「大丈夫か?」(ちゃんとやれているか)の声を掛け合う。殺伐とした設計事務所に、妙な思いやりのようなものが生まれる。これはもうよくない、と思えば、迷わず、冷房をON。もし、昼の一番暑いピークを越えて、夕方の涼しい風が事務所をひと吹き通り過ぎようものなら、例えようのない達成感が生まれる。

ちなみに、無冷房執務が達成できるか否かは、気温よりも、湿度が大きい。気温が30℃を下回っても湿度が70%などになれば、迷わず冷房ONである。そして平均風速は、ありがたい。図面の類がしわくちゃになりながら全部吹き飛んでしまっても、窓全開、大歓迎である。念の為、室内の風速をはかるために、簡易な風速計を購入した。気象庁観測の平均風速が4m/sあっても、実際の室内は、1m/sいかない。もしかしたらビジネスチャンス?としばし思い倦ねる。

この自虐的トライアルに込めたものがもう一つあった。いわずもがな環境負荷軽減の様々な振る舞い、行動規範における、根本的な2叉路。我慢しないエコロジーか、我慢を余儀なくされるエコロジーか。

センシブルの指しているのは、迷わず、我慢を余儀なくされる類である。我慢せずに、地球を維持していこうというのは、どうしてこうなったかの経緯を考えると、どうひっくり返そうと思ってもできない、と思うのだ。我慢せずに、テクノロジーを中途半端に進展させて、スマートに解決しようという典型の成功例が今まであっただろうか?限られた、しかも神には達しない頭脳の集積だけで努力するというのではなく、全員が、それぞれで小さな我慢をする。思いの外、深いぞ、無冷房執務。

 

2022. 5. 29

第196(日)善管注意義務

2015年にお引き渡しをした、建物が雨水漏水をした。最初に報告をいただいてから、原因究明~対処するまで半年近くかかってしまった。設計者と施工者が雁首を揃えて、内側から、外側から、ああでもない、こうでもない、と推理しながら、結局は、煙突の突先に据え付けられていた防鳥ネットの取り付けビスのコーキングの劣化、というのが原因だろうと確信され、対処された。

施工者単体のミス、もしくは、単純な経年劣化であったならば、ここにあえて記すことはないが、設計者として自戒の念を込めて、書き留める。

(上)2014年、足場解体の直前の状態 (下)2022/5月 この熟練の屋根職人が、漏水のシナリオを見事に示してくれた。長く一つの仕事をしていることが、見えにくいものを見通す能力につながっていく。頼もしい職人の類。

 

 

現時点で特定された原因は、煙突突先に設置されている板金笠木に対して、脳天から撃ち抜かれた、16本のビスが、大雨の時に一定時間以上、浅く小さな浸水状態となることにより、ビス穴に水みちが発生して、室内に侵入する。他にもたくさん可能性のあったが、ここであることを、熟練の板金屋=屋根屋が足場に登り指摘した。

すぐに合点した。理由は、建設時、足場が落ちる数日前、もう二度と肉眼で見れないだろうと思い、当然の役割として、この部分を確認したことを思い出した。当時、一瞬、「大丈夫かな?」という感覚がよぎった。笠木板金のわずかな水勾配の水下側に、せき止められるように、防鳥ネットのステンレス枠材が、みっちり乗っかっていたからだ。スムーズに雨を煙突内に流すには、ネットの枠材のわずかな段差が邪魔だな、と思った。一方で、枠材を乗り越えるか、さもなくば、オーバーフローして、水はどちらにせよ内側か外側に排水されるだけではないかとも思った。コーキング亡き後のビスからというところまで推理が及ばなかった。

正直、早くこの足場を降りて終わりにしたい、とさえよぎった。今回の煙突頂部への再登頂で、その感覚が蘇った。建築物に取り巻かれた足場というのはいかに高くても、そんなに怖いと思ったことはなかったが、煙突の突先というのは、自分の足元が360°で奈落の底、思いの外、いやかなり怖い。時々、高所恐怖症の現場監督と出会うと、鼻高々におれは違うぜと心で笑っていたが、煙突の突先の場合は、そんな出鼻は簡単に挫かれる。思えばまた来年も違う煙突の改修工事があることをにわかに思い出す。

足場の怖さを理由にするのはこれくらいにして、やはり、設計者の過失が少なからずあると思った。設計図よりも多くのビスを打ち、念を入れて、枠と板金の間にコーキングを打ち、風雨に飛ばされないようにと考えた(屋根屋ではない)別種の職人の思いに悪気はなかったが、それを上回る、物理現象への正確な認識と修正力が、監督側には必要であった。

「善管注意義務」 国が制度化していて、出頭を余儀なくされる建築士定期講習会にて頻発される言葉。たしかにそうだな、と昼寝でもするかと渋々出向いた身に、背筋が伸びる思いのする、言葉。その時のちょっとした判断の不行き届きに、建築は、多かれ少なかれ、反応し、正直に現れるから、建築士は、この言葉を噛み締めて業務を行わねばならない、と講習会では強調して指導される。元は民法の条文に記されている、取引における基本的な姿勢から引用されているらしく、「受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負うー第644条」と建築士法には記されている。注意を払うべき箇所は無限である。真に善良な管理者であったなら、雨天時の状態を正確に想像することができただろうか。あるいは5年後10年後を想像することができただろうか。同じことは繰り返さない学習能力は流石に携えているつもりだが、新しい設計内容のあらゆる側面に、様々な事象の行く末を想像して、問題をゼロにしていく強靭な想像力がないと、その建築は、歓迎されないのだ。