2021. 7. 25

第194(日)「暮らし」から始まる

建築家前田伸治さんの話を、料亭「嵯峨野」で伺うことができた。伊勢に拠点を構えられ、日本中のあちこちに、日本の建築を建てられている。事務所の名前が「暮らし十職一級建築士事務所」となっていて、最初はこの看板をなんとなくスルーしていたが、話を伺うにつれて、敢えて「暮らし」というワードを事務所名にされていることの意味を捉えることができた。

料亭嵯峨野2011/設計:前田伸治、外観

美しい青森杉で構成された、自身の作品に包まれてのスライドレクチャーは、本人の作品解説は一枚もなかった。かわりに主題となったのは、「日本人の暮らし」について。日本の空間は、基本的に用途を定めない多目的室の連なりとなっていて、プライバシー的にも物理的に強く遮らずに、融通無碍な空間であり、それらは人々の「暮らし」の顕れとして成立していた、というのが一つ目のお話。家というハードと、暮らしというソフトが適切に絡んでいて、そこを媒介する要素として「道具」があった。道具は家具のように、定位置に固定されずに、その時々によって場所を変えて用いられるもの。だから、小さな文机も固定されれば家具だが、小さいまま、その都度に好きな場所に設置して用いられれば「道具」となる。日本の家具は、確かに小ぶりで、収納と移動、設置を繰り返すことのできるものも多い。それは西洋的な家具の概念からすれば、「道具」なのだ。現代の日本の住居を寝殿造りにまで辿るならば、それが当に、几帳や御簾などの可動可変の「道具」によって空間を区切って人が生活していた原風景に到達する。それらを想像するなら、日本の住まい×道具は、遺伝子レベルの組み合わせであり、根深い歴史そのものである。

もう一つのお話は、竣工時の写真で話を完結してしまいがちな建築家のスライドレクチャーとは裏腹に、自身の作品でもない、設え、室礼、所作、暮らし、の話だった。打ち水に始まり、床の間の飾り、正月飾り、祭りの儀式、など、なんとなく、民俗学の講義で伺うようなスライドだった。古き良き時代の日本人の暮らし、と言ってしまうこともできる。これをNHKの教育番組で見てしまうと、歴史上の事実として、脳内から間もなくインパクトが消えていく。ここでは、建築家=建築を造る人間が、敢えてその器の中で起こっている事柄を凝視していて、その「暮らし」から建築が起こる、という。そうなると、否が応でも「暮らし」から設計せねばならなくなってくる。私達がこれから未来にどのような「暮らし」を目指したら良いかの命題が、深遠なものとなってくる。

料亭でのスライドレクチャーは、その後すぐに宴会になった。時に緊急事態宣言中、5名以上の宴席は日中でもアルコール不可。前田さん自身が、こんな料理が出てくるのに、お酒が飲めないなんて、と開口一番に吠えるものだから、場が少し和む。見かけは強面だから、余計に、心中の率直さが、共感を覚える。

九銘協の峯さんが、後になって、席の配置がうらやましかった、と言われたので、本人の二つ隣に座らせてもらった立場として、宴席での雑談をなにか書き留めなければならないが、あまり細かなことは思い出せない。総じて感じたのは、人間とか文化に対する率直な敬意、愛のようなもの。普通なら、建築家であるから、建築を通して社会を見据える姿として見えてくるが、前田さんの場合は、根底に、人間とか文化=つまり暮らしに対する思いやりのようなものがあって、建築という媒介物が先立っていない感じがした。文章に書けば、当然の理想のようだけれども、建築家の思考プロセスが必ずその順番であるとは限らない、というのは自分の胸に当ててみてもよく分かる。

建築が好きで好きでたまらない、だけのエネルギーの創造力とは、なにか、違う。そういうことから、おそらくだが、依頼主を虜にしてしまう根源的なものが備わっている。自分も同業なのに、この人にうっかり何かを頼みたくなりそうに、なった。

建築家の話は、それなりの方々の人数を伺ってきたつもりであったが、これまでとはちょっと違う、社会的存在に触れる機会だった。料理は言うまでも無く美味しかったし、清々しい木材で構成された澄み切った空間も格別だった。そこに新鮮な建築家の存在が加わり、正直、あちらからこちらから、感覚を研ぎ澄まされる、ある意味拷問のような、至福の時間であった。

2021. 7. 11

第193(日)「命がけで遊ぶ」三島喜美代

 

今回の日曜美術館(2021/6/27)にもやられた。御年88才の女性アーティスト、であることは置いておいて、ひたすらに作品づくりに没頭する姿勢そのものに、やられた。否、「没頭する」という月並みな言葉で言い表せるものではない。表題にあるように、命がけ=一生をかけた没頭の類い。

クローズアップされた作品は、ゴミアート。だが、本物のゴミをアレンジしてアップサイクルすると言うのとも異なっている。空き缶や、古新聞を、焼き物として模造し、それをアートとしている。粘土を焼成して新たに創り出されるものが、なぜか、完全にゴミを模している。一見するところ、理解不可能な作業。それを50年続けてきたという。

積み重なった新聞紙を模した、焼成物としての作品は、ブルーシートを掛けられて、十数年、空き地に放置されていた。いよいよ増えていくゴミ?アートの処分の必要性を自ら悟り、ゴミ回収業者に見積を依頼していた。そこにこれらの作品の常設展示を願い出る人物が現れる。

ギャラリーオーナー本人曰く、ブルーシートの中身を全部知っていたわけではないが、(三島さんは昔から人物を知っていることもあり、)なにがしかの確信があったから、引き受けようと思った。

ゴミを模したゴミ?アートが、本当にゴミになろうかという瀬戸際で、ゴミ?アートのまま、人目に触れる舞台へと登った。当の本人三島さんは、自分の作品がどのように扱われるか、ということに、恐ろしいほどの無関心、というか無頓着、だった。自ら創作した結果物に対する期待とか効果には、なんの執着もなく、作る過程が真に愉しいから、只、作ってきた。只それだけ。得てしてこれらはゴミ問題へのテーゼ、というようなことと理解され、解説されがちな作品ではあるが、ちょっと待て、私は、ゴミ問題ごときの話ではない、と思った。

以下の書籍の中から抜粋してみる。

「人間はどこから来てどこに行くのだろうか」2002 本山博氏

「個人的なものであれ、社会的なものであれ、結果としての目的が求められる時には、その結果、目的を求める自分は行為をしている時、常につきまとっている。「結果を求める自分」はなくならない。この、結果を求める自分が無くならない限り、結果を求める自分を越えた世界に入ることは出来ない。結果を求めない行為が『超作』なのである。結果や目的を定めないで行為が出来るだろうか。

何かをするからには、目的や結果を定めて、それが成就出来るように行為すればよろしい。しかし、その目的や結果が得られるように全身全霊を打ち込んで、行為そのものになりきり、行為する自分を忘れ、目的そのものになりきる時、その目的が達せられるのである。そして、達成された目的、結果に何の執着も生じない時、それは一つの『超作』の完成である。~中略~

しかも、その結果を喜んでも、それに執われない、自慢をしない、結果は神によって与えられたものと感謝することができれば、その人は常に行為を通じて行為そのものになりきり、行為の対象、目的と一つになり、対象と対立しつつ、行為をする自己を否定し、越えることが出来る。

このような、目的と一つになって自己否定をし、自己を越え、結果に執らわれない行為を『超作』という。」

わかりやすい話で例えると、活躍するスポーツ選手の「ゾーンの入る」の類いがそうなのかもしれない。また、著名な音楽家が、「楽器と一つになる」「音と一つになる」と言っている状態のことなのかもしれない。これらに、三島さんが、芸術家の場合の『超作』事例として、すっぽり当てはまったように思ったのだ。作品を作る最中には、当然、対象に対して自分の理想を描きつつも、それが、他人にどのように評価されるか、脳内のバックグラウンドで駆け巡っているはずである。例え評価基準の中に、名声や金も含まれているとしたって、人間が意欲的行動を採るのに必要な動機付けともいえる。しかし、三島さんの場合は、打算なきバイタリティーなのである。こういう人を、人は、純粋であるとか、子供のような大人、というだろう。そういう場合は、「私とは違って」とか「私にはとうてい及ばない」という意識=自分とは別の人種と区別してしまう意識が、発する側にはあるかもしれない。でも、本山博氏の『超作』の概念で、三島さんのような人間を透視するなら、その子供のような行為の「質」は、何人であっても目指すべき行為の「質」なのだと、言っているようである。

三島さんを風変わりなおばあちゃん、と理解するか、『超作』の実践者と見通すかで、番組の価値が、まるで異なってくるようだ。

だから、日曜美術館は侮れない。

2021. 5. 2

第192(日)建築の第一寿命 その二

■生産より廃棄のことを

帝国ホテルが2030年までに完全に建て代わるというニュースに、またか、という印象を真っ先に持たせたのは、ホテルがかつてライトの名作を廃棄したからだけではない。福岡では、昨年(2020)、西日本シティー銀行(前出)の解体が着手されたり、全層吹き抜けで当時話題となった商業空間=イムズ(1989)が、今年(2021)に閉館し、来年から、より高利益の商業空間へ建て替えが始まるなど、我が市域の身近な所に、同様の建築があるからでもある。西日本シティー銀行は、建築関係者を中心に、哀しみと共に見送ったばかり。イムズは、デパートなので、これまでの利用者から「ありがとう」の声が寄せられつつ、現地へ出向けば、「なぜこれが解体されなければならないか判らない」「もったいない」などの一般の声が散見されている。

地球環境問題、持続性社会、SDGs、カーボンニュートラル、等、定期的にかけ声は刷新され、新しい問題提起のように振る舞われるが、人間と地球(自然)の共存関係の再構築という根元はなにも変わらない。それぞれの人間ができることをするしかない、という採るべき姿勢も依然変わりは無い。建築を考え続ける、作り続ける人間としては、如何にして、使える建物が廃棄されずに使われ続けるようになるか、変わらず考え続けるしかない。多くの人に感動を与える建築を構想し、作り、建築から愉しみを引き出し与えることは、少なくとも目標とすることはできる。一方で、それだけではとてつもなく遠い道のり、というより到底間に合わない、そんな冷めた視点もぬぐうことができない。もはや、建築の生産活動だけでは、この根本的な過ちを是正できない、の諦めに近い。

間に合わない、の感覚は、例えば昨今の木造と環境問題の絡みにも当てはまるように思う。以下のシュミレーションを通して見てみる。今、日本は、樹齢50~60年生の杉材を沢山伐って、建築として、炭素を固定しようとしている。伐採地を再造林すれば、若木の森が老木のそれよりも単位面積あたりで2~3倍多くCO2を吸収するから、ということになっている。下記のグラフは、国立の森林総合研究所から2010年に発表されたものだが、その当時から後の40年間、日本の杉材を、

①現状 ②現状から伐採量を半減 ③伐採量を2倍 ④伐採量2倍+再造林(80%)

の4つのシナリオで営林していった場合の、森林の炭素吸収量の推移が示されている。

(森林総合研究所 研究成果選集 H22年版より抜粋)

 

このグラフによると、2050年までの話しなら、伐採量はより少ない方が、炭素蓄積量(吸収量)が最大となっている(え?という感覚)。一方、伐採を当時より倍にして再造林される場合は、2050年以降になれば、炭素吸収量が、他のシナリオを追い抜き始める、となっている。現在、建築に多くの国産材を用いようという根拠がここにあることが判る。

このグラフを眺めているだけで、林業と建築のあり方の根本が様々に導き出せる玉手箱のようである。そして、眺めているうちに様々な疑問が生まれる。まず、このグラフの炭素蓄積量は、単純に森林に蓄積されるCO2量であるから、伐採後に燃やされる木材からの排出量は欄外である。二酸化炭素を固定するからという木造推奨にまつわる議論の中に、用いられた木材が、この世に何年燃やされずに存在しなければならないか、は不問となっている。(再造林も必須条件だが、これは林業の問題として追いやる)燃やされれば、固定されていた炭素(C)が酸素(O2)と結合し、大気中に戻ってしまう。これをカーボンニュートラルと説明している場合があるが、歯抜けの論理にアゴが外れそうになる。人間が、なにかを作る以上、行為そのものや副次材に炭素を用いてしまう。また、建てられた木造建築が焼却されるサイクルによっては、地中に固定されていた石炭石油を燃やすのと同じく、これら何れも人間の行為による、カーボンポジティブ(炭素排出超過)のはずである。炭素吸収量としての木材成長のサイクルが考慮された木材の存在年数が守れないのなら、変な話し、木は、山に植わっていたままの方がよかった、となるのではないだろうか?

少なくとも、このシュミレーションによれば、の第④シナリオに基づく量的木造建築の推進は、直近30年の二酸化炭素吸収量にはほとんど寄与しない、ことになっている。老木を若木に代替わりさせる効果は、言うほどのことではないのかもしれない。「脱炭素」というならば、伐採量を増やすことを殊更推奨するよりも先に、木造の使用年数の向上を殊更推奨(強制)する政策の方が、圧倒的な実質性を持っているのではないだろうか。

 

■エネルギー消費

ここから先は、建築設計者の範疇を逸した、勝手な妄想である。また、小学生レベルの思いつきであるかもしれない。

電気、もしくは汎用性のある高効率エネルギーの消費によって、私達は大量に物を生産廃棄できている。のであれば、その電気を、節度を持って使うしかないようにするのはどうか。環境税等はすでに密かに施行されているが、そこに「異次元の増税」というのはどうか。二酸化炭素の排出に費用が課せられるカーボンプライシングの施行が検討されているように、電気使用料に対する異次元コストを与えて、いわゆる価格インセンティブを行う。産業の既得権益が阻害される、物価高騰などの経済上の問題が立ちはだかる、など様々に絡むだろうことは目に見えているが、敢えて知らない振りをしたい。もはや非情なトレードも致し方ない状況である。個人の「良識」や「我慢力」の萌芽を待つのではなく(個人の良識が不要というつもりはない)、社会全体が個々の意思を代表して仕組みを作り、電気や化石燃料の消費を抑制する。消費税が生活必需品に対して軽減税率を設けているように、電気そのものを逆に嗜好品として、重税化する。結果、人間に取って代わり働いていたエネルギーによる労働量の類いは、再び人間自身が行わなくてはいけなくなる。当然あらゆる製造コストは今よりも高騰するだろう。また、製造に要する時間も同様に倍増する。あらゆる物が、手っ取り早く、しかも大量には出来なくなり、これまでのように簡単にモノが捨てにくくなる。つまり、人の値段(人件費)に対して相対的にモノの値段が上がる。一つ一つのモノの価値が相対的に増すことによって、「もったいない」というかつての文化の類いは、必然性を持って再得される。モノが安く沢山手に入ることによる豊かさを目指してきたが、モノがある、ことによる豊かさを再認する。人間のモノへの慈愛のようなものが、豊かさの某かであったことに気づく。後に述べる仏教経済学の語り口調でもある。建築は、目に見える大きな仕事として、個人、法人、行政の別なく、作ることも壊すことも、プロジェクトは全て、軒並み、相対的に大事業となる。社会構造から促される省エネルギーが成されれば、それに追従して、人間と自然(モノ、地球)との関係全体が改善されていく。

直近で公開された、帝国ホテルの建て替え計画は、もはや現状2棟の帝国ホテルの建て替えに留まってはいない。内幸町一丁目の街区全てに及んだ、地区のスクラップアンドビルドとなっている。だから2024~36年の12年間の計画となっている。大プロジェクトの類いに他ならないが、それが12年で出来るということは、実は異常なこと、と考えるべきだ。200年前からタイムスリップしてきたお上りさん的視点の方が、正しいと考えるべきだ。現状のお金と時間のスケール感覚を決定づけているのは、市場といった抽象的なシステムだと捉えがちであるが、そのシステムを動かしている実態は、エネルギーの存在と、その消費、である。

 

生産のスピードや量について、過去のある時代を参照することになるのだろうか。例えば、1970年代始めに、イギリスの経済学者E・F・シューマッハが節度をもった産業の質と量を地域単位で設定していく中間技術という営みのあり方が示された。節度、とか良識といった概念が、突っ走る経済をコントロールするという概念から、先述した「仏教経済学」という言葉へと結実していった。シューマッハの提唱そのものは、20世紀に入り急進する経済のあり方の批判から、エネルギー危機を唱え、結果、直後の1974年のオイルショックを予言したとして、脚光を浴びた。がその後、そのほとぼりが冷めるにつれて、節度、とか適正、とかの行動の制限や抑制を旨とする考え方は、一部の人々の間で温め続けられてきたとは思うが、メジャーな世論として多くに共有されてはいかなかった。(本国イギリスには、今でもシューマッハカレッジという小さな大学院大学がある)世の中は抑制どころか、結果、人類の化石燃料換算のエネルギー消費量は、1970年当時から今日では、倍以上になってしまった。

しかしそれではいけない、とシューマッハの考えを拾い上げる人は確実にいる。今年(2021)の年始のTV番組で、落合陽一氏が、今年読むべき本として、「スモールイズビューティフル」small is beautifull/E. F. Schumacher1973を挙げていたのだ。此奴、カッケーと思った。正月休み中の呆けた脳天に電撃が走り、慌てて忘れかけていたその一冊を探して、本棚をなめ回したが、もはや何処に行ったか判らないものになっていた。この稿を書くに当たっては、行方不明の座右の書を諦めて、ネット情報から拾うという情けない状況。そこからやはり、鋭い彼のワードを一つだけ。「どんな阿呆でも物事を複雑にすることはできるが、単純化するには天才が要る」15〜6年前に、この書を手に取り、私の中にぼんやりとあるものが汲み出される思いがした。その後、スマート=賢い、という接頭語があらゆる製品にとりつく潮流に対して某かの疑問がぬぐえず、2011年に、センシブル=良識のある/分別のある、というワードを当てつけて、文書にしたり、辻説法をした。その後、不便益(第188日)という、不便であるがゆえの利益という概念が先行していることにも気づき、それらの筋道は着実に繋がっている、と思い直した。そして改めてまた、ここ(シューマッハ)にもどることになりそうである。

 

■個人の気づきから社会の構造へ

(話し戻して)エネルギー消費量にバイアスを掛ける、ことができるのは、時間的に、個々人の意思、活動の某かでは不可能である。市場の世界は、個人の欲得を利用、あるいは増長させることで成り立っているから、環境負荷を減らそうとする時に「我慢をせずに」が欠かせないものとなる。そこに初歩的な限界がある。元々、我慢をしなかったからこうなった、ということには蓋がされ、もはやかつてのエネルギー消費水準へ後戻りは出来ない、ということが前提となった提案の構造的限界。我慢をしないための代償システムは、次なるテクノロジーに期待される。そうやって出てきた代償の最もわかりやすく最大のものは、原子力だろう。それも今は核分裂でやっているが、いずれ核融合だ、というふうになっていく。これらから学ぶべき教訓は、「他の代償を払わなくてすむためには、我慢を受け入れる」しかないこと。それを社会に敷き込むのは、繰り返しになるが、政治と行政の仕事である。研ぎ澄まされた個人は、様々な表現方法で既に世の中にそのことの啓蒙や提案を積み重ねてきたたし、今でも実行し続けている。⇨mindset2015第161(日)数的には今後も増えていくのではないか、という風を感じなくもない。しかし、いつまで、彼等にこんなに大きなコトの教育係を任せっきりにしていいのだろうか。彼等を変人視するかわりに、もう少し真面目に自分のこととして学び始めていく段階、社会基準としていくために、そろそろ、社会の仕組みとして、トップダウン的に、大胆に行わねばならない段階だと思う。

 

ライトの帝国ホテルのすばらしい再現ビデオから、とんでもない話しに飛んでしまった。先ずは、一人一人が、今の物事が進行するスピードの異常さに気づき、それはなぜか、どうしたらそれを正常な、適正なるペースへとコントロールできるか、その実行性を考えていきたい。不利益を被る方々へは、大変申し訳ないが、一旦、(個人ではなく)社会全体で電気の使用量を制限したら、どのように良くないことが起こるか?からではなく、どんないいことに繋がっていくだろうか?から考え始めるのはどうだろう。どれもこれも両立するような魔法をいつまでも追い求めるようなマインドセットそのものとも決別するべきだろう。

2021. 4. 4

第191(日)建築の第一寿命 その1

 

■歴史の疑似体験

先日、現帝国ホテルの建て替えの話が、ニュースに出てきた。そういう話が出てくると、建築に関わる者としては、またか、という思いがよぎってしまう。

1923ー68年までの間、東京の虎ノ門に現前していた、フランクロイドライト設計の帝国ホテルの克明なCG再現ビデオが、タイムリーにもyoutubeに掲載されていた。それはそれは克明で、建物の外観を巡りながらも、水面が揺らぎ、鳥の群れが戯れる様相まで動きとして再現されていた。これはもう、予算的には、内観までは作っていないだろう、外から眺めるだけで終わりか・・と思っていたら、とうとう内部にもその目線は進んでいったから、まるで実体験さながらの疑似体験であり、その分だけ、いろいろなことを思い巡らせる時間なった。

設計者にとって、パソコンによる3DCGは、物事が出来上がるまでの、自分と相手(基本的には施主さん、そして、利用者)を説き伏せ、事を運ぶための大事な「商売道具」に他ならないが、ここでは、失われた名建築を追体験するという、決して再生することのできないものを再生させる、まるで創造主であった。

架空の3D表現に過ぎなかったが、人間の造営ということの壮大さ、気高さのようなものを感じた。設計者としてのライトの力量に因るものに他ならないが、それにとどまらず、無名の工人達の魂が蘇るかのようでもあった。19世紀にジョンラスキンが振り返って中世建築を熱弁するがごとく、これらを作らせた時代背景、また多くの職人達の汗、あるいは犠牲的精神の結晶体であったことを、確信させるものだった。これだけの人間の意識が集め固められたものであっても、地盤沈下と老朽化を理由に、鉄球をぶつけて壊していくモンケン解体となった。今これがあったなら、相当に感動を得ただろう。こういうものが世の中に蓄積され、後世に伝わらない仕組みそのものを恨むほどである。CGの精度は、単なる歴史事実の再現を感心するにとどまらない、不穏な感情を湧き起こさせるものであった。

■人生50年?

ふと、近代の建築の寿命はどんなものだろうと思った。

ホテルオークラ 谷口吉朗 1962-2014 52才

都城市民会館 菊竹清訓 1966-2020 54才

出雲大社庁の舎  1963-2016 53才

大谷体育館 アントニンレーモンド 1955-1999? 44才

安川電機本社  アントニンレーモンド 1953-2015 62才

香川県立体育館 丹下健三 1964ー現在56才(保存?)

福岡相互銀行 磯崎新 -1971-2020 49才

大分県医師会館 磯崎新 1960-1999 39才

八幡市民会館 村野藤吾 1958-  2016の解体危機時58才 2018に保存決定

旧電通本社ビル 丹下健三 1967-  現在54才

代々木オリンピック体育館 丹下健三 1964- 現在57才現役

以下、ご長寿

東京中央郵便局/吉田鉄郎/1933-2008(かさぶた保存) 75才

旧丸の内ビル 桜井小太郎 1923-1997 74才

以下、短命

赤坂プリンスホテル 丹下健三 1982-2011 29才

旧東京都庁 丹下健三 1957-1991 34才

 

曲がりなりにも私も建築設計者の一人(ちなみに私が建築なら明日解体されてもおかしくない歳)、私自身の作ったものが、どのような寿命であるか、気にならないはずがない。だが、仮に名建築と称された建築物であっても、人間の寿命に及ばないというのなら、その社会構造そのものに、大きな不安がよぎる。建築は、いかなる大命をもってして、いかなる精神を入れ込んだものであっても、ちょっとばかり大きな消費財の一つとして、冷静沈着に廃棄される。あるいは舞台セットのように、ある演目が一頻りとなれば、片付けられてしまう。一部の建築関係者、愛好者のみが、その建築の素性を辿って消費財などではなかろう、と存在の異議を唱えるが、だからといって、急に文化財として読み替えてもらえるというものにはならない。

 

■ストックされなくていい?

人間は、動物と異なり、言葉を持つことによって、情報を共有し、集団的な解決力をもって、様々な危険を回避し、生存力を強めてきた。言葉=情報の蓄積と並行して、実物としての生産物が社会にストックされる。言葉のストックがあり、そして、物が一定の代謝をしながらストックされる=社会資本により、社会はより安定し、豊かに成熟していくはずであった。しかし、なにかの理由で、物はストックされるより、より早く入れ替わる方が却って世の中が安定する構造になってしまった。しかし、人間側にとっては当面の安定ではあったかもしれないが、環境=地球全体としては、バランスを逸していた。例えば、マイクロプラスチックが世界中の海に散在している問題は、プラスチックが、現代生活の隅々に行き渡っては捨てられるものとして世界レベルで野放図になってしまったことの結果である。こんな調子で物は全ての大きさの次元で、過剰生産と廃棄を繰り返す。それら実物の最大級として、建築、もしくは土木がある。こんなに大きなものまで、過剰な生産と廃棄が可能なのである。これらを実現させているのは、(人間の動物的欲求という大前提を除けば)科学技術というふうによく言われる。だから、人間は科学そのものをコントロールしなければならない、と言われるようになる。そこに相異はないにしても、もう少し、的を絞るなら、それはエネルギー、あるいは「電気」というふうに話を集約できるのではないだろうか。電気は、化石燃料や、原子力、その他自然エネルギーが元になっているが、端的に言えばそれらから生産された、最も応用性の高い電気と、幾ばくかの化石燃料と、それによって動く機械類が、全ての物の大量生産=大量廃棄を可能にしている、といえる。できるようになったから、する。モノはストックするよりも、より短いサイクルで入れ替わる方が、諸々上手くいく、という社会の安定の保ち方となる。⇨第150(日)ハムスターホイールライフhwl-1/

■第一寿命

保存運動が起こるような社会的評価が与えられた建築物を廃棄する持ち主は、それを実行するための理由付けを公言しなければならない暗黙のマナーがある。メンテナンスコストがかさむ、とか、単に老朽化と言ったりするが、つまるところは経済性が伴わない、ということに帰結する。その建築物が、その年齢で、その時を乗り越えていこうとするときには、必ずその時点での経済性が成立していない、という判断が付随する。そこから先は、只悪化の一途であるという読みも伴う。ライトの帝国ホテルの解体理由についても、東京の虎ノ門という好立地を考えるなら、当時の判断としてやむかたなし、と今振り返っても誰も疑問を挟むものではないだろう。しかしもし、仮に、今現在、ライトの帝国ホテルが、愛知県犬山市丘陵地の明治村ではなく、東京都虎ノ門に建っていたら、どうなっていただろう。ホテル業として成立するかしないか、私には精密な計算が出来ないが、1966年の解体当時よりは、もしかしたら、次元の異なる価値、そしてそれに伴う収益を見込むことはできなかっただろうか。

建物には、その時を越えられるかどうか、という年齢の節目のようなものがあるのではないか。第一寿命、第二寿命、本寿命ともいうべき節目。最初に訪れる寿命は、元々があばら屋でも無い限り、本当に物理的な寿命だというふうにはなかなかならない。壊して立て直した方が、いろんな意味(多くは経済的に)良くなる、という社会的寿命が最初に来る死神。名建築であれば、そこを越えた先には、越えたなりの次元の異なる価値を帯び始める、その節目。次に訪れる寿命は、もしかしたら、同じように社会的寿命=第二寿命であるかもしれないし、場合によっては、物理的にちょっと持たせにくい⇨大往生=本寿命であるかもしれない。いずれにしても、建築を迎えに来る死神は、風雪といった外来物というよりも、むしろ人間そのものであると言ってもいい。あるいは、無名の建築であっても第一寿命を越えられず、物理的寿命を全うできない状況は変わらない。むしろ、数多の建築物の廃棄スピードこそが、文化的側面を完全にスルーし、人類生存の可否に関与している。これらの建築群は、名建築のような、建築の支持者による、嘆願書の類い=保存運動などとは無縁である。もちろん、保存運動なる手法そのものが、国内においては、建築保存のための有効な手段になっているとはいいきれないが、それでも、建築を大事に使っていこうという眼差し、共有意識に働きかける役目を、最後に担うことになる。数多の無銘の建築物はそのような犠牲的役目さえ与えられず、誰の目にも留まらぬまま、只のモノに成り下がり、使い捨てプラスチックのように、只只、迷惑な塵屑と化す。

■廃棄される理由=社会的老朽化

銘の有無関わらず、建築物の所有者が、第一寿命の段階で、あくまで経済性を支点に、廃棄か利用を水平な天秤にかけることができるようになるにはどうしたらいいか。少なくとも既存の建築的な、建築業界側からのアプローチでは、限界である。例えば、相続のタイミングで、住宅が廃棄される。あるいは、土地+建物がお金を借りる担保になっていると、仮に立派でまだ十分に住める住宅であっても、相続税をそこから払う、あるいは、借金の返済のために、土地建物を売らなければならない。売った先には基本新築の市場しかないから、あえなく第一寿命でおしまいとなる。敷地の周りは鼻息荒い新築至上市場?で包囲されていて、相続人が生きている間だけ、あるいは、借金が返済出来ている間だけ、その土地が建物を守っている。一度、状況が変われば、舞台セット(建築)は引き摺り下ろされる。底地の持ち主が変わっても、建築は社会的存在意義を保ち続けられるような市場が成り立っていないことが、最終的に建築を裁いているけれども、少なくとも底地の転売を強制するのは、現行税制や、抵当権制度だということになる。

フラット35等の住宅融資の優遇制度に絡めて、住宅における物理的な耐久性を増す仕組みを国交省が敷いている。建物の廃棄が物理的な老朽化に因っている、という前提があれば、それは有力な手段であるかもしれない。しかしながら、解体時、構造物として老朽化しているものがどれほどあるだろう。近所で住宅が解かれる時は、努めて一部始終を目視するようにしているが、まだまだ10年20年先まで余裕で住み続けることのできる家家ばかりである。これは、十分に使い切った(儲かった)住宅だなというような、そんなものはめったにお目見えしない。戦前か戦直後ぐらいの木造在来のものが解体される時には、確かに古さを感じるが、しかしその場合も、逆に上手にリノベすれば稼げる臭いがプンプンしてくるものも少なくない。一軒の住宅が廃棄される理由の内訳には、物理的な老朽化とは言えない、他の要因が8割ある、といっても言い過ぎではないように思われる。多くは、建築側からコントロールできない、社会の仕組みの問題である。(廃棄・解体理由に関わる統計調査等に出会えず、そういう言い方しかできない)

近くの住宅の解体現場。木造モルタル2F建て。杉の野地板や、壁内の竹小舞土壁であることが、住宅構法の時代性を感じさせる。躯体の類いとしては、全く傷んでいないと言って良い。

その2につづく

2021. 1. 31

第190(日)ポスト近代的自我

父は、遊びに連れて行って欲しい子供の欲求を他所に、毎週日曜日の午前中はNHKの囲碁将棋の類いに釘付けだった。それを遺伝子で引き継いだかは判らないが、その子供の日曜日は同じチャンネルの一つ手前、「日曜美術館」に釘づけられている。

数週間前、現代美術家の李禹煥(リ・ウファン)解説による雪舟(1420~?)が取り上げられていた。雪舟は禅僧で、大陸の水墨画を輸入し、日本の水墨画として完成させた人。という以上の詳細を知らなかったから、内容は、自らの不勉強を省みつつ、驚きや発見が少なからずだった。一人で国宝六点をも残したということが偉業となっていることに始まり、空から実際に見ることができない時代に、日本三景の天の橋立の鳥瞰図を描き、「秋冬山水図」では、シュルレアリズムより500年前に、実際にはありえない風景の重なりを描き、「慧可断臂図」(えかだんぴず)では、水墨画の描き方では考えられないような筆遣いの線により主題(達磨)の姿を描き、「四季山水図巻」では、長さ16mの巻物として、春夏秋冬の移り変わりを一つの風景の連続として描き上げていた。紹介された作品を並べただけで、その時代の常識にとらわれず、それぞれが異なる手法や考え方を下敷きに、異なるトライアルが繰り返されていたことが今に伝わってくる。

雪舟等楊「慧可断臂図」国宝 室町時代(1496年)199.9×113.6㎝ 齊年寺蔵

恥ずかしながら、大型本の類いが本棚にありながら、また様々な書籍の端々に、そしてもしかしたら美術館その他で目にしていたかもしれないはずなのに、雪舟という人の作品に対して日本水墨画の大家、というレッテル以上の深い認識や理解がなかった。その事態そのものを、ちょっと客観的に裁断してしまうが、水墨画という歴史意匠が、それより奥を覗かせない被覆の某かになっていたのではないか。水墨画、という入り口の段階で、歴史上の技法であり、今はそういう手法は縁の無い遠いもの、となり、それだけで普段見ないモノを見た新鮮な感覚に浸ってしまう。現代という場所から、額に手をかざして遠景を眺めては、そこで終わってしまう。専ら日曜日の友のままでいいというのであれば、そういう目線に留まるのもかまわないのかもしれないが、先人の仕事を貪欲にも我が仕事の肥料にしようというなら、やはり、近景にまで迫り、眼前の歴史意匠の概観を突き破って入っていかなければなるまい。

よくよく考えるなら、建築にも同じことがいえるだろう。現代に生きる人間が、歴史建築から何かを得ようと言うとき。例えば家を建てようという人や、設計しようという人が、200年前の民家に対して、過ぎ去ったモノと見るか、なにかを読み取ろうとするか。民家という歴史意匠の概観を一旦度外視して、それらを見進めることができるかどうか、これによって得られるものは変わるだろう。屋根は藁葺きで、その下は扠首構造で、牛梁がここに掛かっていて、土間の三和土、畳と囲炉裏、障子、竃、大黒柱といった具体的な要素を、現代生活者の視点から遠望しているだけでは、その民家を現代生活を創造していくことはできない。それら要素のそれぞれに対して、当時なぜ、そこに発生したか、そして、無くなっていったのか、あるいは、その機能性はどうであったか、どのように改修されていったか、あるいは、カタチに篭められた象徴的な意味の有無、など、成立と衰退の背景、要因を、当時の時間にしばしタイムスリップして、丁寧に読み解いていくことによって、得られるものは大きくなるように思う。それらのいずれかにでも、現代的な課題を発見すれば、そこで初めて、歴史は、現代に活かされるようになる。

李禹煥(リ・ウファン)がなぜ雪舟を見続けているかということが、自分なりに判るような気がしてきた。雪舟の生きた時代は、まさに西欧ではルネサンスの始まりであり、おそらく西欧(あるいは全世界?)がそれ(デカルト)以降、いわゆる近代的自我を萌芽させていく直前のタイミングだった。雪舟はそのような世界的な流れにあるものを先取りする、というよりも、そこに左右されない人間像のようなものの道を歩んでいたのではないか。デカルトは、我に思いがあることを実在の証としたが、雪舟の題材は「心不可得」=自分の心は、確かめられない、であった。水墨画家である以前に、禅僧であった。自らの心を確定していこうという方向ではなく、むしろ放下して預けていく感覚。自然をありのままに描く、などという定型句は、こういう所から生まれるのだろうか。描き手が受け止めた自然、というのではなく、描き手の自我よりも遙かに大きななにかに支えられながら、描かれる。そこが、李にとって雪舟への最大の関心事のようでだった。李は自らが単独の力で、なにかを生み出しているのではない、というような意味のことを、インタビューの中で、何度か繰り返していた。単独では無く、例えば与えられた場所から、与えられた対象物から、あるいは、より大きな自然から受けるものが画家をそう描かせる、のであり、また手に取った筆や手掛けた素材が、そのようなものを描かせ、作らせる。自分だけではない何かとの相乗によって、作者になる。「自分勝手にやっているのではないのだ」と言う。第一線として作り続けてきた結果、自己の作為をそうせしむる、より大きな何かを感じ取ったのだろうか。

こういうスタンス自体を、雪舟の時代である近代的自我以前に戻る、と考えたいところを、ポスト近代的自我、とでも言ってみてはどうか。自我は、まずは克明に洗い出されなければならないものであり、その5世紀あまりを、私達は積み重ねてきた。これからは、その自我を超えていくためにあるかもしれない。ちなみに李は雪舟の絵を、あるいはかの時代そのものを、「初々しい」と表現していた。その言葉の背景を直ぐには理解できなかった。でも、少し時間が経てば、思いつくことさえある。厳然たる作為、確たる主体性の類いとは別次元の、あるいは真逆の、とびっきり鋭敏な受容力の顕れを「初々しい」と言っているのではないか。このような心のあり方を求めて、李は日本にやってきたのではないか?あぶり出される哲学の類いに、次世代を感じた。