2021. 5. 2

第192(日)建築の第一寿命 その二

■生産より廃棄のことを

帝国ホテルが2030年までに完全に建て代わるというニュースに、またか、という印象を真っ先に持たせたのは、ホテルがかつてライトの名作を廃棄したからだけではない。福岡では、昨年(2020)、西日本シティー銀行(前出)の解体が着手されたり、全層吹き抜けで当時話題となった商業空間=イムズ(1989)が、今年(2021)に閉館し、来年から、より高利益の商業空間へ建て替えが始まるなど、我が市域の身近な所に、同様の建築があるからでもある。西日本シティー銀行は、建築関係者を中心に、哀しみと共に見送ったばかり。イムズは、デパートなので、これまでの利用者から「ありがとう」の声が寄せられつつ、現地へ出向けば、「なぜこれが解体されなければならないか判らない」「もったいない」などの一般の声が散見されている。

地球環境問題、持続性社会、SDGs、カーボンニュートラル、等、定期的にかけ声は刷新され、新しい問題提起のように振る舞われるが、人間と地球(自然)の共存関係の再構築という根元はなにも変わらない。それぞれの人間ができることをするしかない、という採るべき姿勢も依然変わりは無い。建築を考え続ける、作り続ける人間としては、如何にして、使える建物が廃棄されずに使われ続けるようになるか、変わらず考え続けるしかない。多くの人に感動を与える建築を構想し、作り、建築から愉しみを引き出し与えることは、少なくとも目標とすることはできる。一方で、それだけではとてつもなく遠い道のり、というより到底間に合わない、そんな冷めた視点もぬぐうことができない。もはや、建築の生産活動だけでは、この根本的な過ちを是正できない、の諦めに近い。

間に合わない、の感覚は、例えば昨今の木造と環境問題の絡みにも当てはまるように思う。以下のシュミレーションを通して見てみる。今、日本は、樹齢50~60年生の杉材を沢山伐って、建築として、炭素を固定しようとしている。伐採地を再造林すれば、若木の森が老木のそれよりも単位面積あたりで2~3倍多くCO2を吸収するから、ということになっている。下記のグラフは、国立の森林総合研究所から2010年に発表されたものだが、その当時から後の40年間、日本の杉材を、

①現状 ②現状から伐採量を半減 ③伐採量を2倍 ④伐採量2倍+再造林(80%)

の4つのシナリオで営林していった場合の、森林の炭素吸収量の推移が示されている。

(森林総合研究所 研究成果選集 H22年版より抜粋)

 

このグラフによると、2050年までの話しなら、伐採量はより少ない方が、炭素蓄積量(吸収量)が最大となっている(え?という感覚)。一方、伐採を当時より倍にして再造林される場合は、2050年以降になれば、炭素吸収量が、他のシナリオを追い抜き始める、となっている。現在、建築に多くの国産材を用いようという根拠がここにあることが判る。

このグラフを眺めているだけで、林業と建築のあり方の根本が様々に導き出せる玉手箱のようである。そして、眺めているうちに様々な疑問が生まれる。まず、このグラフの炭素蓄積量は、単純に森林に蓄積されるCO2量であるから、伐採後に燃やされる木材からの排出量は欄外である。二酸化炭素を固定するからという木造推奨にまつわる議論の中に、用いられた木材が、この世に何年燃やされずに存在しなければならないか、は不問となっている。(再造林も必須条件だが、これは林業の問題として追いやる)燃やされれば、固定されていた炭素(C)が酸素(O2)と結合し、大気中に戻ってしまう。これをカーボンニュートラルと説明している場合があるが、歯抜けの論理にアゴが外れそうになる。人間が、なにかを作る以上、行為そのものや副次材に炭素を用いてしまう。また、建てられた木造建築が焼却されるサイクルによっては、地中に固定されていた石炭石油を燃やすのと同じく、これら何れも人間の行為による、カーボンポジティブ(炭素排出超過)のはずである。炭素吸収量としての木材成長のサイクルが考慮された木材の存在年数が守れないのなら、変な話し、木は、山に植わっていたままの方がよかった、となるのではないだろうか?

少なくとも、このシュミレーションによれば、の第④シナリオに基づく量的木造建築の推進は、直近30年の二酸化炭素吸収量にはほとんど寄与しない、ことになっている。老木を若木に代替わりさせる効果は、言うほどのことではないのかもしれない。「脱炭素」というならば、伐採量を増やすことを殊更推奨するよりも先に、木造の使用年数の向上を殊更推奨(強制)する政策の方が、圧倒的な実質性を持っているのではないだろうか。

 

■エネルギー消費

ここから先は、建築設計者の範疇を逸した、勝手な妄想である。また、小学生レベルの思いつきであるかもしれない。

電気、もしくは汎用性のある高効率エネルギーの消費によって、私達は大量に物を生産廃棄できている。のであれば、その電気を、節度を持って使うしかないようにするのはどうか。環境税等はすでに密かに施行されているが、そこに「異次元の増税」というのはどうか。二酸化炭素の排出に費用が課せられるカーボンプライシングの施行が検討されているように、電気使用料に対する異次元コストを与えて、いわゆる価格インセンティブを行う。産業の既得権益が阻害される、物価高騰などの経済上の問題が立ちはだかる、など様々に絡むだろうことは目に見えているが、敢えて知らない振りをしたい。もはや非情なトレードも致し方ない状況である。個人の「良識」や「我慢力」の萌芽を待つのではなく(個人の良識が不要というつもりはない)、社会全体が個々の意思を代表して仕組みを作り、電気や化石燃料の消費を抑制する。消費税が生活必需品に対して軽減税率を設けているように、電気そのものを逆に嗜好品として、重税化する。結果、人間に取って代わり働いていたエネルギーによる労働量の類いは、再び人間自身が行わなくてはいけなくなる。当然あらゆる製造コストは今よりも高騰するだろう。また、製造に要する時間も同様に倍増する。あらゆる物が、手っ取り早く、しかも大量には出来なくなり、これまでのように簡単にモノが捨てにくくなる。つまり、人の値段(人件費)に対して相対的にモノの値段が上がる。一つ一つのモノの価値が相対的に増すことによって、「もったいない」というかつての文化の類いは、必然性を持って再得される。モノが安く沢山手に入ることによる豊かさを目指してきたが、モノがある、ことによる豊かさを再認する。人間のモノへの慈愛のようなものが、豊かさの某かであったことに気づく。後に述べる仏教経済学の語り口調でもある。建築は、目に見える大きな仕事として、個人、法人、行政の別なく、作ることも壊すことも、プロジェクトは全て、軒並み、相対的に大事業となる。社会構造から促される省エネルギーが成されれば、それに追従して、人間と自然(モノ、地球)との関係全体が改善されていく。

直近で公開された、帝国ホテルの建て替え計画は、もはや現状2棟の帝国ホテルの建て替えに留まってはいない。内幸町一丁目の街区全てに及んだ、地区のスクラップアンドビルドとなっている。だから2024~36年の12年間の計画となっている。大プロジェクトの類いに他ならないが、それが12年で出来るということは、実は異常なこと、と考えるべきだ。200年前からタイムスリップしてきたお上りさん的視点の方が、正しいと考えるべきだ。現状のお金と時間のスケール感覚を決定づけているのは、市場といった抽象的なシステムだと捉えがちであるが、そのシステムを動かしている実態は、エネルギーの存在と、その消費、である。

 

生産のスピードや量について、過去のある時代を参照することになるのだろうか。例えば、1970年代始めに、イギリスの経済学者E・F・シューマッハが節度をもった産業の質と量を地域単位で設定していく中間技術という営みのあり方が示された。節度、とか良識といった概念が、突っ走る経済をコントロールするという概念から、先述した「仏教経済学」という言葉へと結実していった。シューマッハの提唱そのものは、20世紀に入り急進する経済のあり方の批判から、エネルギー危機を唱え、結果、直後の1974年のオイルショックを予言したとして、脚光を浴びた。がその後、そのほとぼりが冷めるにつれて、節度、とか適正、とかの行動の制限や抑制を旨とする考え方は、一部の人々の間で温め続けられてきたとは思うが、メジャーな世論として多くに共有されてはいかなかった。(本国イギリスには、今でもシューマッハカレッジという小さな大学院大学がある)世の中は抑制どころか、結果、人類の化石燃料換算のエネルギー消費量は、1970年当時から今日では、倍以上になってしまった。

しかしそれではいけない、とシューマッハの考えを拾い上げる人は確実にいる。今年(2021)の年始のTV番組で、落合陽一氏が、今年読むべき本として、「スモールイズビューティフル」small is beautifull/E. F. Schumacher1973を挙げていたのだ。此奴、カッケーと思った。正月休み中の呆けた脳天に電撃が走り、慌てて忘れかけていたその一冊を探して、本棚をなめ回したが、もはや何処に行ったか判らないものになっていた。この稿を書くに当たっては、行方不明の座右の書を諦めて、ネット情報から拾うという情けない状況。そこからやはり、鋭い彼のワードを一つだけ。「どんな阿呆でも物事を複雑にすることはできるが、単純化するには天才が要る」15〜6年前に、この書を手に取り、私の中にぼんやりとあるものが汲み出される思いがした。その後、スマート=賢い、という接頭語があらゆる製品にとりつく潮流に対して某かの疑問がぬぐえず、2011年に、センシブル=良識のある/分別のある、というワードを当てつけて、文書にしたり、辻説法をした。その後、不便益(第188日)という、不便であるがゆえの利益という概念が先行していることにも気づき、それらの筋道は着実に繋がっている、と思い直した。そして改めてまた、ここ(シューマッハ)にもどることになりそうである。

 

■個人の気づきから社会の構造へ

(話し戻して)エネルギー消費量にバイアスを掛ける、ことができるのは、時間的に、個々人の意思、活動の某かでは不可能である。市場の世界は、個人の欲得を利用、あるいは増長させることで成り立っているから、環境負荷を減らそうとする時に「我慢をせずに」が欠かせないものとなる。そこに初歩的な限界がある。元々、我慢をしなかったからこうなった、ということには蓋がされ、もはやかつてのエネルギー消費水準へ後戻りは出来ない、ということが前提となった提案の構造的限界。我慢をしないための代償システムは、次なるテクノロジーに期待される。そうやって出てきた代償の最もわかりやすく最大のものは、原子力だろう。それも今は核分裂でやっているが、いずれ核融合だ、というふうになっていく。これらから学ぶべき教訓は、「他の代償を払わなくてすむためには、我慢を受け入れる」しかないこと。それを社会に敷き込むのは、繰り返しになるが、政治と行政の仕事である。研ぎ澄まされた個人は、様々な表現方法で既に世の中にそのことの啓蒙や提案を積み重ねてきたたし、今でも実行し続けている。⇨mindset2015第161(日)数的には今後も増えていくのではないか、という風を感じなくもない。しかし、いつまで、彼等にこんなに大きなコトの教育係を任せっきりにしていいのだろうか。彼等を変人視するかわりに、もう少し真面目に自分のこととして学び始めていく段階、社会基準としていくために、そろそろ、社会の仕組みとして、トップダウン的に、大胆に行わねばならない段階だと思う。

 

ライトの帝国ホテルのすばらしい再現ビデオから、とんでもない話しに飛んでしまった。先ずは、一人一人が、今の物事が進行するスピードの異常さに気づき、それはなぜか、どうしたらそれを正常な、適正なるペースへとコントロールできるか、その実行性を考えていきたい。不利益を被る方々へは、大変申し訳ないが、一旦、(個人ではなく)社会全体で電気の使用量を制限したら、どのように良くないことが起こるか?からではなく、どんないいことに繋がっていくだろうか?から考え始めるのはどうだろう。どれもこれも両立するような魔法をいつまでも追い求めるようなマインドセットそのものとも決別するべきだろう。

2021. 4. 4

第191(日)建築の第一寿命 その1

 

■歴史の疑似体験

先日、現帝国ホテルの建て替えの話が、ニュースに出てきた。そういう話が出てくると、建築に関わる者としては、またか、という思いがよぎってしまう。

1923ー68年までの間、東京の虎ノ門に現前していた、フランクロイドライト設計の帝国ホテルの克明なCG再現ビデオが、タイムリーにもyoutubeに掲載されていた。それはそれは克明で、建物の外観を巡りながらも、水面が揺らぎ、鳥の群れが戯れる様相まで動きとして再現されていた。これはもう、予算的には、内観までは作っていないだろう、外から眺めるだけで終わりか・・と思っていたら、とうとう内部にもその目線は進んでいったから、まるで実体験さながらの疑似体験であり、その分だけ、いろいろなことを思い巡らせる時間なった。

設計者にとって、パソコンによる3DCGは、物事が出来上がるまでの、自分と相手(基本的には施主さん、そして、利用者)を説き伏せ、事を運ぶための大事な「商売道具」に他ならないが、ここでは、失われた名建築を追体験するという、決して再生することのできないものを再生させる、まるで創造主であった。

架空の3D表現に過ぎなかったが、人間の造営ということの壮大さ、気高さのようなものを感じた。設計者としてのライトの力量に因るものに他ならないが、それにとどまらず、無名の工人達の魂が蘇るかのようでもあった。19世紀にジョンラスキンが振り返って中世建築を熱弁するがごとく、これらを作らせた時代背景、また多くの職人達の汗、あるいは犠牲的精神の結晶体であったことを、確信させるものだった。これだけの人間の意識が集め固められたものであっても、地盤沈下と老朽化を理由に、鉄球をぶつけて壊していくモンケン解体となった。今これがあったなら、相当に感動を得ただろう。こういうものが世の中に蓄積され、後世に伝わらない仕組みそのものを恨むほどである。CGの精度は、単なる歴史事実の再現を感心するにとどまらない、不穏な感情を湧き起こさせるものであった。

■人生50年?

ふと、近代の建築の寿命はどんなものだろうと思った。

ホテルオークラ 谷口吉朗 1962-2014 52才

都城市民会館 菊竹清訓 1966-2020 54才

出雲大社庁の舎  1963-2016 53才

大谷体育館 アントニンレーモンド 1955-1999? 44才

安川電機本社  アントニンレーモンド 1953-2015 62才

香川県立体育館 丹下健三 1964ー現在56才(保存?)

福岡相互銀行 磯崎新 -1971-2020 49才

大分県医師会館 磯崎新 1960-1999 39才

八幡市民会館 村野藤吾 1958-  2016の解体危機時58才 2018に保存決定

旧電通本社ビル 丹下健三 1967-  現在54才

代々木オリンピック体育館 丹下健三 1964- 現在57才現役

以下、ご長寿

東京中央郵便局/吉田鉄郎/1933-2008(かさぶた保存) 75才

旧丸の内ビル 桜井小太郎 1923-1997 74才

以下、短命

赤坂プリンスホテル 丹下健三 1982-2011 29才

旧東京都庁 丹下健三 1957-1991 34才

 

曲がりなりにも私も建築設計者の一人(ちなみに私が建築なら明日解体されてもおかしくない歳)、私自身の作ったものが、どのような寿命であるか、気にならないはずがない。だが、仮に名建築と称された建築物であっても、人間の寿命に及ばないというのなら、その社会構造そのものに、大きな不安がよぎる。建築は、いかなる大命をもってして、いかなる精神を入れ込んだものであっても、ちょっとばかり大きな消費財の一つとして、冷静沈着に廃棄される。あるいは舞台セットのように、ある演目が一頻りとなれば、片付けられてしまう。一部の建築関係者、愛好者のみが、その建築の素性を辿って消費財などではなかろう、と存在の異議を唱えるが、だからといって、急に文化財として読み替えてもらえるというものにはならない。

 

■ストックされなくていい?

人間は、動物と異なり、言葉を持つことによって、情報を共有し、集団的な解決力をもって、様々な危険を回避し、生存力を強めてきた。言葉=情報の蓄積と並行して、実物としての生産物が社会にストックされる。言葉のストックがあり、そして、物が一定の代謝をしながらストックされる=社会資本により、社会はより安定し、豊かに成熟していくはずであった。しかし、なにかの理由で、物はストックされるより、より早く入れ替わる方が却って世の中が安定する構造になってしまった。しかし、人間側にとっては当面の安定ではあったかもしれないが、環境=地球全体としては、バランスを逸していた。例えば、マイクロプラスチックが世界中の海に散在している問題は、プラスチックが、現代生活の隅々に行き渡っては捨てられるものとして世界レベルで野放図になってしまったことの結果である。こんな調子で物は全ての大きさの次元で、過剰生産と廃棄を繰り返す。それら実物の最大級として、建築、もしくは土木がある。こんなに大きなものまで、過剰な生産と廃棄が可能なのである。これらを実現させているのは、(人間の動物的欲求という大前提を除けば)科学技術というふうによく言われる。だから、人間は科学そのものをコントロールしなければならない、と言われるようになる。そこに相異はないにしても、もう少し、的を絞るなら、それはエネルギー、あるいは「電気」というふうに話を集約できるのではないだろうか。電気は、化石燃料や、原子力、その他自然エネルギーが元になっているが、端的に言えばそれらから生産された、最も応用性の高い電気と、幾ばくかの化石燃料と、それによって動く機械類が、全ての物の大量生産=大量廃棄を可能にしている、といえる。できるようになったから、する。モノはストックするよりも、より短いサイクルで入れ替わる方が、諸々上手くいく、という社会の安定の保ち方となる。⇨第150(日)ハムスターホイールライフhwl-1/

■第一寿命

保存運動が起こるような社会的評価が与えられた建築物を廃棄する持ち主は、それを実行するための理由付けを公言しなければならない暗黙のマナーがある。メンテナンスコストがかさむ、とか、単に老朽化と言ったりするが、つまるところは経済性が伴わない、ということに帰結する。その建築物が、その年齢で、その時を乗り越えていこうとするときには、必ずその時点での経済性が成立していない、という判断が付随する。そこから先は、只悪化の一途であるという読みも伴う。ライトの帝国ホテルの解体理由についても、東京の虎ノ門という好立地を考えるなら、当時の判断としてやむかたなし、と今振り返っても誰も疑問を挟むものではないだろう。しかしもし、仮に、今現在、ライトの帝国ホテルが、愛知県犬山市丘陵地の明治村ではなく、東京都虎ノ門に建っていたら、どうなっていただろう。ホテル業として成立するかしないか、私には精密な計算が出来ないが、1966年の解体当時よりは、もしかしたら、次元の異なる価値、そしてそれに伴う収益を見込むことはできなかっただろうか。

建物には、その時を越えられるかどうか、という年齢の節目のようなものがあるのではないか。第一寿命、第二寿命、本寿命ともいうべき節目。最初に訪れる寿命は、元々があばら屋でも無い限り、本当に物理的な寿命だというふうにはなかなかならない。壊して立て直した方が、いろんな意味(多くは経済的に)良くなる、という社会的寿命が最初に来る死神。名建築であれば、そこを越えた先には、越えたなりの次元の異なる価値を帯び始める、その節目。次に訪れる寿命は、もしかしたら、同じように社会的寿命=第二寿命であるかもしれないし、場合によっては、物理的にちょっと持たせにくい⇨大往生=本寿命であるかもしれない。いずれにしても、建築を迎えに来る死神は、風雪といった外来物というよりも、むしろ人間そのものであると言ってもいい。あるいは、無名の建築であっても第一寿命を越えられず、物理的寿命を全うできない状況は変わらない。むしろ、数多の建築物の廃棄スピードこそが、文化的側面を完全にスルーし、人類生存の可否に関与している。これらの建築群は、名建築のような、建築の支持者による、嘆願書の類い=保存運動などとは無縁である。もちろん、保存運動なる手法そのものが、国内においては、建築保存のための有効な手段になっているとはいいきれないが、それでも、建築を大事に使っていこうという眼差し、共有意識に働きかける役目を、最後に担うことになる。数多の無銘の建築物はそのような犠牲的役目さえ与えられず、誰の目にも留まらぬまま、只のモノに成り下がり、使い捨てプラスチックのように、只只、迷惑な塵屑と化す。

■廃棄される理由=社会的老朽化

銘の有無関わらず、建築物の所有者が、第一寿命の段階で、あくまで経済性を支点に、廃棄か利用を水平な天秤にかけることができるようになるにはどうしたらいいか。少なくとも既存の建築的な、建築業界側からのアプローチでは、限界である。例えば、相続のタイミングで、住宅が廃棄される。あるいは、土地+建物がお金を借りる担保になっていると、仮に立派でまだ十分に住める住宅であっても、相続税をそこから払う、あるいは、借金の返済のために、土地建物を売らなければならない。売った先には基本新築の市場しかないから、あえなく第一寿命でおしまいとなる。敷地の周りは鼻息荒い新築至上市場?で包囲されていて、相続人が生きている間だけ、あるいは、借金が返済出来ている間だけ、その土地が建物を守っている。一度、状況が変われば、舞台セット(建築)は引き摺り下ろされる。底地の持ち主が変わっても、建築は社会的存在意義を保ち続けられるような市場が成り立っていないことが、最終的に建築を裁いているけれども、少なくとも底地の転売を強制するのは、現行税制や、抵当権制度だということになる。

フラット35等の住宅融資の優遇制度に絡めて、住宅における物理的な耐久性を増す仕組みを国交省が敷いている。建物の廃棄が物理的な老朽化に因っている、という前提があれば、それは有力な手段であるかもしれない。しかしながら、解体時、構造物として老朽化しているものがどれほどあるだろう。近所で住宅が解かれる時は、努めて一部始終を目視するようにしているが、まだまだ10年20年先まで余裕で住み続けることのできる家家ばかりである。これは、十分に使い切った(儲かった)住宅だなというような、そんなものはめったにお目見えしない。戦前か戦直後ぐらいの木造在来のものが解体される時には、確かに古さを感じるが、しかしその場合も、逆に上手にリノベすれば稼げる臭いがプンプンしてくるものも少なくない。一軒の住宅が廃棄される理由の内訳には、物理的な老朽化とは言えない、他の要因が8割ある、といっても言い過ぎではないように思われる。多くは、建築側からコントロールできない、社会の仕組みの問題である。(廃棄・解体理由に関わる統計調査等に出会えず、そういう言い方しかできない)

近くの住宅の解体現場。木造モルタル2F建て。杉の野地板や、壁内の竹小舞土壁であることが、住宅構法の時代性を感じさせる。躯体の類いとしては、全く傷んでいないと言って良い。

その2につづく

2021. 1. 31

第190(日)ポスト近代的自我

父は、遊びに連れて行って欲しい子供の欲求を他所に、毎週日曜日の午前中はNHKの囲碁将棋の類いに釘付けだった。それを遺伝子で引き継いだかは判らないが、その子供の日曜日は同じチャンネルの一つ手前、「日曜美術館」に釘づけられている。

数週間前、現代美術家の李禹煥(リ・ウファン)解説による雪舟(1420~?)が取り上げられていた。雪舟は禅僧で、大陸の水墨画を輸入し、日本の水墨画として完成させた人。という以上の詳細を知らなかったから、内容は、自らの不勉強を省みつつ、驚きや発見が少なからずだった。一人で国宝六点をも残したということが偉業となっていることに始まり、空から実際に見ることができない時代に、日本三景の天の橋立の鳥瞰図を描き、「秋冬山水図」では、シュルレアリズムより500年前に、実際にはありえない風景の重なりを描き、「慧可断臂図」(えかだんぴず)では、水墨画の描き方では考えられないような筆遣いの線により主題(達磨)の姿を描き、「四季山水図巻」では、長さ16mの巻物として、春夏秋冬の移り変わりを一つの風景の連続として描き上げていた。紹介された作品を並べただけで、その時代の常識にとらわれず、それぞれが異なる手法や考え方を下敷きに、異なるトライアルが繰り返されていたことが今に伝わってくる。

雪舟等楊「慧可断臂図」国宝 室町時代(1496年)199.9×113.6㎝ 齊年寺蔵

恥ずかしながら、大型本の類いが本棚にありながら、また様々な書籍の端々に、そしてもしかしたら美術館その他で目にしていたかもしれないはずなのに、雪舟という人の作品に対して日本水墨画の大家、というレッテル以上の深い認識や理解がなかった。その事態そのものを、ちょっと客観的に裁断してしまうが、水墨画という歴史意匠が、それより奥を覗かせない被覆の某かになっていたのではないか。水墨画、という入り口の段階で、歴史上の技法であり、今はそういう手法は縁の無い遠いもの、となり、それだけで普段見ないモノを見た新鮮な感覚に浸ってしまう。現代という場所から、額に手をかざして遠景を眺めては、そこで終わってしまう。専ら日曜日の友のままでいいというのであれば、そういう目線に留まるのもかまわないのかもしれないが、先人の仕事を貪欲にも我が仕事の肥料にしようというなら、やはり、近景にまで迫り、眼前の歴史意匠の概観を突き破って入っていかなければなるまい。

よくよく考えるなら、建築にも同じことがいえるだろう。現代に生きる人間が、歴史建築から何かを得ようと言うとき。例えば家を建てようという人や、設計しようという人が、200年前の民家に対して、過ぎ去ったモノと見るか、なにかを読み取ろうとするか。民家という歴史意匠の概観を一旦度外視して、それらを見進めることができるかどうか、これによって得られるものは変わるだろう。屋根は藁葺きで、その下は扠首構造で、牛梁がここに掛かっていて、土間の三和土、畳と囲炉裏、障子、竃、大黒柱といった具体的な要素を、現代生活者の視点から遠望しているだけでは、その民家を現代生活を創造していくことはできない。それら要素のそれぞれに対して、当時なぜ、そこに発生したか、そして、無くなっていったのか、あるいは、その機能性はどうであったか、どのように改修されていったか、あるいは、カタチに篭められた象徴的な意味の有無、など、成立と衰退の背景、要因を、当時の時間にしばしタイムスリップして、丁寧に読み解いていくことによって、得られるものは大きくなるように思う。それらのいずれかにでも、現代的な課題を発見すれば、そこで初めて、歴史は、現代に活かされるようになる。

李禹煥(リ・ウファン)がなぜ雪舟を見続けているかということが、自分なりに判るような気がしてきた。雪舟の生きた時代は、まさに西欧ではルネサンスの始まりであり、おそらく西欧(あるいは全世界?)がそれ(デカルト)以降、いわゆる近代的自我を萌芽させていく直前のタイミングだった。雪舟はそのような世界的な流れにあるものを先取りする、というよりも、そこに左右されない人間像のようなものの道を歩んでいたのではないか。デカルトは、我に思いがあることを実在の証としたが、雪舟の題材は「心不可得」=自分の心は、確かめられない、であった。水墨画家である以前に、禅僧であった。自らの心を確定していこうという方向ではなく、むしろ放下して預けていく感覚。自然をありのままに描く、などという定型句は、こういう所から生まれるのだろうか。描き手が受け止めた自然、というのではなく、描き手の自我よりも遙かに大きななにかに支えられながら、描かれる。そこが、李にとって雪舟への最大の関心事のようでだった。李は自らが単独の力で、なにかを生み出しているのではない、というような意味のことを、インタビューの中で、何度か繰り返していた。単独では無く、例えば与えられた場所から、与えられた対象物から、あるいは、より大きな自然から受けるものが画家をそう描かせる、のであり、また手に取った筆や手掛けた素材が、そのようなものを描かせ、作らせる。自分だけではない何かとの相乗によって、作者になる。「自分勝手にやっているのではないのだ」と言う。第一線として作り続けてきた結果、自己の作為をそうせしむる、より大きな何かを感じ取ったのだろうか。

こういうスタンス自体を、雪舟の時代である近代的自我以前に戻る、と考えたいところを、ポスト近代的自我、とでも言ってみてはどうか。自我は、まずは克明に洗い出されなければならないものであり、その5世紀あまりを、私達は積み重ねてきた。これからは、その自我を超えていくためにあるかもしれない。ちなみに李は雪舟の絵を、あるいはかの時代そのものを、「初々しい」と表現していた。その言葉の背景を直ぐには理解できなかった。でも、少し時間が経てば、思いつくことさえある。厳然たる作為、確たる主体性の類いとは別次元の、あるいは真逆の、とびっきり鋭敏な受容力の顕れを「初々しい」と言っているのではないか。このような心のあり方を求めて、李は日本にやってきたのではないか?あぶり出される哲学の類いに、次世代を感じた。

2020. 11. 1

第189(日)鉄:彫刻家:中西秀明-1(物心集)

建築を通して、モノづくりに関わってきた中で、ふと気づいたことがあります。技術というのは、素材に対して共通にあるもの、という風に捉えがちですが、もう少し細分化していているということです。例えば、木の加工、というと、家の構造フレーム=軸組、そして床や壁を作るのは大工さんですが、木の建具を作るのは建具屋さんですし、木の家具を作るのは家具屋さん、と分かれていて、それぞれ微妙に、持っている道具が、その技術が異なります。同じ木を加工する職人さんたちではありますが、単純化して言えば、作るものの大きさが異なるから、木の種類から異なり(木材は、例えば同じ杉材を用いるにしても、その杢目の細かさや節の有無等、産地含めて別物)、加工の方法や工法も異なっていきます。家具や建具の職人さん達は、かつては「指物大工」と呼ばれていました。指物とは、彫り込んで、ほぞ差しする接合方法による造作物です。そのように、素材単位で、技術(職人さん)が特定されるのではなく、その素材でなにを作るかで、最終的に技術が分かれていく、というのが、あらゆる技術の到達点になっているということです。家一軒を作るのに、左官屋、基礎屋、屋根屋、サッシ屋、電気屋、水道屋・・もっと沢山の職人さん、素材の数より数倍の職人さん達が関わって出来るわけですが、にもかかわらず、それぞれの職人さんたちを十把一絡げに「大工さん」と呼ぶ一般の方が結構沢山おられます。つまりは、知るということは、どんどん、これらの差異が、判明していくということです。細分化された技術網をほどいていけば、もっと面白い世界が潜んで居るぞ、ということでもあります。

福岡市の新宮町に、ART STUDIO NAKANISHI という工場があります。鉄の彫刻家、中西秀明さんの工場です。戦後の九州を代表してきた鉄の彫刻家、父中西久吉さんから引き継がれてきた工場です。建築設計をする者が普段に見聞きする鉄といえば、構造体としての鉄です。Hとか、コラムとか言われる形鋼をざくっと切って、15~20㍉幅などで溶接して、超音波試験で構造的な欠陥がないか確認して、その後鈍紅色の錆止め塗装を塗って出荷待ち、という風景です。ですがここには、そういうスケールの鉄はありません。紅色の形鋼もありません。布膜が掛けられた物体をめくると、様々なオブジェが隠されています。木の切り株の欠損した部分に鉄の造形が象嵌されているもの、番線の結び目が堆積したもの、えぐられた鉄、編まれた鉄、叩かれた鉄、溶け出した鉄、錆び錆びた鉄・・。鉄の彫刻家ですから、建築生産システムとして、ルーティーン化された鉄骨工場の風景とは、まるで異なります。加工製品である形鋼、ではなく鉄そのもの、あたかも鉄の元素に向かって、人間が飽くなき挑戦を試みている、そういう格闘の場のようです。中西さんは、「元素との対話」と言われました。

私が中西さんに出会ったのは、独立直前の1999年の仕事に「現代っ子ミュージアム」という宮崎市にある小さな木造ギャラリーをさせてもらった時に、施主さんの自宅の玄関取手が、当にお父さんの中西久吉さんの作品だったことに因ります。建具の引き手は、普通に接している限りの殆どは既製品の世界ですが、そうでない一品生産品には、独自の存在感が宿ります。その一本から辿り、この工場に行き着いた、ということになります。そこには、そんな取り手とは比較にならない奥深く壮大な鉄の創作物の数々と、そしてそれらを作り続ける親子が、工場脇の薄暗い応接間で待ち構えていました。

美術館などに納められる彫刻作品の類いを発注するには、相応の条件が必要ですが、彼等の鉄に対する深い思いの一端を建築の一部に投げ込むことならばできそうでした。彫刻家の彼等にとっては、間違いなく肩慣らし程度の仕事にしかならないかもしれませんが、建築側にとっては、とても重要な要素になります。それほどまでに建築は、個人の技能が応用されにくい産物になっているからです。彼等の仕事のメインは言うまでも無く、彫刻制作でありますが、それでも、建築という道具的側面に彼等の鉄が参画される、ここが大事な接点かと思います。鉄は建築の中では日常的な素材ではあるものの、個人の技能はいつの間にか、生産ラインから外れてしまっているわけです。知らぬ間に接点がなくなったところを繋ぐためには、意図的でなければなりません。彼等にとっては美術館で展示するファインアート的なものからの世界から、建具の取っ手という応用芸術の領域にまで、敢えて言えば「下る作業」です。その下る作業を、独立したばかりの何物でも無い建築者が、生意気にお願いしたのでした。当にそれらを、彼等は待ち構えていたのです。

2020/10/26工場再訪。廻りに住宅が建ち並んでしまい、中西さん達は、大きな音の出る加工がしにくくなったという。元々は市街化調整区域だったのが、緩和され、このようなことに。

建築は、あいかわらず、生産システムとしての成熟へと向かっています。わかりやすく言うと省力化です。それがいいか悪いか、便利益、便利害の判別というよりも、省力化の一途なのであれば、そうではない建築のあり方も探求すべき、のバランス感覚は、当然の帰結です。中西さんの鉄は、建築生産における重要なオルタナティブです。省力化が必ず捨象する、「人間が作っている」部分を補う何者か。建築のどこかにあることで、建築に何かが吹き込まれる。人間が鉄という元素と対話しようとして生まれた物体が、場に生気のようなものを与える。世の中に省力化が徹底いけばいくほど、このあたりの暗黙知的な価値が、必ず反動として見直される。人間の世界ですから、そのようなバランス調整が必ず発生するのだろうと思います。

2020. 8. 2

第188(日)不便益

石堰(二ッ川堰/柳川市/江戸時代):ある一定の流量以上になると堰が決壊して流れを促す。また石を積み直して、復元。その時の費用は必要だが、現代の可動堰に比べると、平時のランニングコストが0円。実は賢い?

誰よりも早く寝入ってしまって、目が覚めると午前1時。仕方がなく、徐にTVの前に座っていると、ヘウレーカという番組に出くわす。そこで、目も覚めるようなおもしろい研究者が現れる。「不便益=不便が生み出す利益」の言葉。例えば、広いワンフロアで業務する大手IT会社の机のレイアウトを、動線的に迂回しなければならないようなジグザグの配置をしたところ、確かに目的の場所との往来は非合理な動線になるが、社員同士のコミュニケーションが十数パーセント増した、という話し。あるいは、分量や手順が定められていない、素材のみが与えられた、だし巻き卵のレシピを実践すると、答えに行く着くまでに時間がかかるけど、そこからいろんな原理や発見が導き出されるという風景。
これらの考えを導く川上浩司教授が、なぜこの「不便益」に至ったかも興味深い。それまでは教授はAI=人工知能を研究していた。AIは、基本的に人間がしなけれならない判断=仕事、を機械がどれだけ担えるか、という追求になるが、モノ(機械)と人間の関係は、果たしてそれだけだろうか?機械が人間の仕事を代替する=人間の省力化を担う一方の関係しかないのだろうか?の疑問が生まれる。モノが人間に便利をもたらすという以上に、人間の成長を促すためには、当面の不便を強いながらも、より広い視野での人間の利益をもたらすような関係性もあるのではないか?
その概念をより明確に浮き彫りにするために、2行2列のマトリクスが掲げられる。そもそも不便益という聞き慣れない概念の背中には、「便利害」がある。さらに、この関係の対称軸には、不便害と便利益がある。このテロップが出てきた時に、とうとうやられたと思った。
この、便利益を求め、と不便害を退ける性向は、現行の人間の、いや人間の、動物の、揺るぎない自己保存原理だから、説明の必要がない。残る、不便益と便利害の対を行き来することによって、「不便益」が浮き彫りになっていくというのである。

以下は不便益システム研究所のホームページに乗っていた一例
「富士山の頂上に登るのは大変だろうと,富士山の頂上までエレベーターを作ったら,どうでしょう.よけいなお世話というより,山登りの本来の意味がなくなります.」
山登りの本来の意味はなにか、ということを改めて何処まで言わなくてはいけないか、ということになるが、あえて言葉にして言えば、苦労して上ったからこそ、ご来迎や、その他の風景が、とても感慨深いわけで、機械が自分を運んでくれた暁に、同じ風景があったとしても、同じ受け止め方はできないのではないか、というようなことは、これ以上の説明なしに、誰でも想像ができる。だから、各地にある、景勝地のロープウェイを見て、なにか言葉に表せぬ違和感というか残念感があるのは、この富士山の話の縮小実践バージョンなのだと考えると、はっきりしてくる。

もう一つ、このサイトから、決定句を引き出すと以下。
「便利の押しつけが,人から生活する事や成長する事を奪ってはいけない」

僕が、2011年に思いつき、見つけ出した「センシブル」(センシブルハウス全7(日))という言葉。当時スマートという語が、接頭語になり、あらゆる物事の理想を指し示し始めたころ、このスマートが、怪しいのではと何となく思いかけていた。言語学的には、対義語でない「センシブル」(分別のある・良識のある)を概念として対義語、つまりスマート一辺倒の対概念=警鐘語に無理矢理仕立て、近くの人たちに通り魔的に呼びかけていた次期があった。スマートなのはモノであって、そういうもので囲まれた人間はアグリーになるのではないか?と、その危機感は決して変わらず、むしろより深く確信を深めてはきたのだが、いかんせん、共感者、というか、同期者が見当たらなかった。この日の深夜の目覚めは、10数年来、出会うことのできなかった同胞者に出くわしたという、只の目覚めでは片付けられない大きな収穫の類いであった。

川上教授は、20年も前から、この研究をされているとのこと。同朋者というより、明らかに先んじている。僕は、あくまで建築設計者であるから、建築を通して、不便益を追求するしかないのだが、考えてみると、建築は、人間が作る道具の質量共に大きな産物であるし、文化という、それこそ当面の利益では説明できないものを含んでいるから、「不便益」なる概念とは、本当は相性のいいものであるはずである。だからこそ、センシブルの語を懐で暖めていたのだが、そこに「不便益」という、体裁もなにものない日本語の造語が、しかも研究所の類いを背景に暖められていたことに、素直に感服した。
各論のことは、言い出すときりがないし、その各論を作っていく役目だと思うから、また改めて別項を設けたい。(設けられるように励みたい)