2018. 4. 1

第179(日)少量製作物「引き手に生まれ変わる」

竣工間近の住宅?の木製建具の「引き手」に予算が入っていなくて、間に合わせのものが現場で付いていた。これはまずいと思い、ふと考えた。事務所のガレージに転がっている、ステンレスパイプφ30。どこかで何かに使われていたものだろうが、少し曲がっていて、廃棄されようとしていた。これに熱を加えて端部でビスを揉めるようにしたら手すりになることは、鉄工場でこれまでお願いしてきたので、すぐにイメージできた。

事務所の工場(自称ガレージ)で同様のことがなんとかできるのではないかと気づき、春うららの土曜日昼下がりにガレージに立った。最初は火起こし用のガスバーナーで加熱しはじめる。ふと脇を見ると、スパイラルダクト製のロケットストーブが、ここで熱したらと口を開けている。早速火をおこし、パイプを突っ込む。真っ昼間から大人の火遊び(ちょっと違う)ならぬ、ステンとの真剣勝負。間もなく取り出し、普通の金槌で叩くと、思っていたカタチになる。火入れしたステンは、焼けた鉄黒になり、鏡面部分とのグラデーションが、生々しい。思いの他簡単に「引き手」が出来る。

そしてまた、気づく。もはや使わないワードローブハンガー(空間状になったパイプハンガーにカバーがあるやつ)の鉄パイプがガレージ土間に数十本、ガムテープに巻かれてこれもまた廃棄を待っていた。もったいないが再びこれを使う手立てが思いつかずにいた。この瞬間に、これも「引き手」に焼き入れなおせる、と考えた。

こちらは小さくて早い。端部のみならず、全長に渡り火をいれて、黒の焼き付け塗装を剥がすと、なんともいえない鉄のマットな質感の「引き手」に生まれ変わった。

大工と左官のなにがしかは、製作事例を重ねてきたが、鍛冶屋は始めてだった。売り物になるにはもうちょっとだが、何事も商品ラインナップから選ぶのではなく、自分達で作っていこうという依頼者の感覚を触発することはできそうだ。僅かな技術と、それをドライブさせるアイデアがあれば、捨てるしかないモノが思いがけないものに生まれ変わると、改めて学んだ。

2018. 1. 28

第178(日)個人がモノをつくるということ

台湾土産ということで身内から与えられたダウンジャケットを着続けて30年。さすがにくたびれ果ててはいた。外側は安物だけど、中の羽毛はいいものだから、という言い伝えが何となく響いていて、また羽毛という天然素材は今の服飾の素材として貴重なのかもしれないという思いから、このボロボロのジャケットをリフォームすることになった。(建築ではもはや使われなくなった「リフォーム」)

Sifukuの永石さんにお話したところ、快く引き受けてくださった。小さな改装や模様替えが当然に愉しいように、身にまとう衣類の改装もまた同様に愉しい。もちろん、経済的には説明のつかない非合理がつきまとう。昨年やったもので当にそうだという事例。同じくダウンジャケットだったが、こちらは10年ほどまえに手に入れていたユニクロの製品。ピッチの細かいステッチが主流の最近のものは個人的になじめず、2007年製を長く着用してきたが、ついにジッパーがいかれてしまい、リフォーム屋へ。ジッパー部分の取り替えだけでさらっと8000円。元の本体の値段が確か7000円台だったから、本当はまるまる新調できるはずだが、これと同じモノは今は手に入らないから、その場でお願いした。通常誰もがする皮算用の心にフタをして。(ダウンジャケットのジッパーは手間が掛かるらしい。値段聞いて持って帰る人も沢山いるとのこと。)

今回のダウンベストも同様、新調できる値段で、リフォーム。古建築の改修と同じで、コストメリットというよりも他に価値を見いだすことによる、リサイクルプログラム。ぼろ切れ同然の既存のダウンに裁縫家が一対一で向き合うのは、考えてみると既製服全盛時代としては贅沢な出来事。当然、既製服では見かけないだろうという仕掛けを彼女にぶつけてみた。

用途は基本的には寒い日の野良仕事=日曜大工の類い。だから袖まである防寒服は機動性が悪く、ベストがいいとかねてから考えていた。胸から腰の前面に、マジックやカッター、ドライバーなど、職人さんたちが道具を突っ込んで腰に巻く「釘袋」の役割を果たすポケットを要望。イメージは、釣人が着るポケットが沢山並ぶベストも思い浮かんだが、それよりも、戦争物の映画で胸に銃弾の類いが整列して並んで差し込まれているベスト。反射的にすぐに取り出して使える、類い。

事務所に納品していただき、ファッション史交えた雑談をしながら、既製服+大量生産の渦中に一人洋裁家で活きる永石さんの決意のようなものを伺う。小さなリフォーム店の雇われ時代、沢山のお客さんに支えながら、一方では値段が折り合わぬと、しかられ続けた日々。何万枚も一気に縫う一枚のコストと、その一枚に一人が取り組むコストが度台異なるのは、判ってはいても容易に了解はされないのだ。自分がやっていることが万人向けでなくとも、一人で洋服を縫っていくというのは、作り手として見える量産世界に疑問があるからである。当然、原価を抑えるための様々な技法、縫い方、型紙の取り方の違いを見抜いている。売れ残ったら安売りして、それでも残ったら何千枚と焼却処分される(フードロスだけではなかった)ということも知っている。そこには加担できない、という感覚があるのだ。

作り手というのがその世界のものづくりを最もよく知っているというのは、当然のことである。米作農家が、自分達の食べるお米だけ、別の田んぼで農薬を減じて耕作しているなどという話しは、よく知っていることから生まれる行為である。では、消費する側はどうなるのか。一生「知らぬが仏」のままモノを消費し続けるしかないか。お金がかかることだから、仕方のないことなのかもしれない。私たちは日常生活の中で、様々な選択をしながらモノを得ている。同じ役割を果たすもののの中から、一人の人間が心を傾けてつくった「割高」なモノを取り入れようと考えるには、何か別な感覚が必要だ。量産世界から基礎的な生活水準がこうして担保される。そこに、「これこそは」という抑揚を発見できたらどうだろう。これはちょっと贅沢だけれども、というのをに少しだけ混ぜればいい。変な話し、2980円でシャツがそろえられるから、4万円のダウンが羽織れるのだ。経済感覚の上に美的感覚を育てればいい。

リフォーム前のダウン

あるいは、個人でモノをつくる人間は、同じように個人でモノをつくる人間の作るモノになにがしかの意味を感じることができる、もしくは信じて発注することができる。彼らは互いに生産者であり、消費者である。受注者の時もあれば、発注者の時もある。アメリカで世界初の自動車産業を創始したヘンリーフォードが、工場労働者が車の購入者となれるよう、十分な賃金を設定することによって、車の大量生産を成立させたのと同じ構図を、個人のものづくりに置き換えてはどうか。例えばダウンジャケットのリフォームに4万円かける意味を、万人に伝えようという難題に取り組むよりも、先ずは個人でモノを作る人たちの間で、互いのモノが理解されあう世界を考える方が易い。そこにノルマや文律をいきなり設ける必要はもちろんないが、個人でモノをつくる人々どうしが、互いに関心をもって知り合う必要があるだろう。個人でモノをつくる人々は、自らの制作に没入する日々が常だと思うが、たまには他人の制作物から励されることによって再び自作へ戻るというパターンも必要だろう。そういうサイクルが、この大量生産の世界の中である層をもって成立している。すでに現実にあるという側面もあるが、まだまだ、妄想の世界だとあえて言いたい。そんなことをあれこれ考えながら、ダウンベストに袖をとおす。

2017. 12. 31

第177(日)技術のデザイン-4(石灰壇)

石灰壇(いしはいのだん)といえば、知っている人からすれば、それがお前の造るモノとどう関係があるのだと、言われるしかないかもしれない。現京都御所 清涼殿にある、歴代天皇が「毎朝御拝」を行っていた6畳ほどの祭祀空間のこと。版築工法により、高床のレベルまで突き固め上げられた「地面」に表面を漆喰で塗られた床である。漆喰とは基本的に壁や天井を塗るものであって、床面には、通常想像すらしないものであるから、その手の人々(左官技術を面白く今に用いようという人)には、目から鱗のもの。歴史的な事例としてもおそらく唯一の事例ではないだろうか。

その手の研究書(※)を読むと、石灰壇の始原は、宇多天皇(867-931)が天皇祭祀として、888年に定め、創祀された。以降、途中中絶する時期も含みながら明治維新を経て4年後に、祭祀制度としての発展的解消に至る。とはいえ1000年以上、原則は伊勢神宮への毎朝の礼拝空間であり続けた。

どうして、木床組の建物の一部にそのように異質な素材の床が設えられたか。本来ならば正式な祭祀空間である庭の地面に平伏して拝礼をするところを、地面を建物の室内に取り込み祭祀空間とした。つまり、人間が神に祈るヒエラルキーとしては、屋外の地面であることが常であった当時、それを保持したまま、室内空間を得たという経緯。天候等に左右されず毎朝の祭祀を行うため、いわば疑似地面を室内に構築して、祭祀空間の簡便化、恒久化を計った結実である。

また、石灰壇には、310φ×470d(安政時代再建)ほどの円形の火を起こせる「塵壺」という炉が併設されていて、冬の朝の暖房設備として用いられていた。この塵壺の併設を手がかりにすれば、寝殿造の平面の一部に「地火炉(じかろ)」という今日の囲炉裏空間が、石灰壇へ発展したのではないか、の別ルーツも並立している。

また、塵壺を設ける石灰壇は、神聖な祭祀のためだけではなく、酒宴や料理にも平然と用いられていたという史実もあるようである。

さらに、毎朝御拝という天皇祭祀の以前には、「元旦四方拝」という祭祀が行われていたようで、こちらは唐文化の影響のものらしく、宇多天皇は、宗教改革の一貫として、毎朝御拝+石灰壇という形式を創始し、祭祀における国風文化化へと向かっていたらしい。こんなに不思議な空間が、当時としては国風文化を担っていた、というのである。

前置のつもりが本題そのもののようになってしまった。この部屋は、一室の壁天井床全部を一つの素材でやってみようということで、12年前の自宅の一室を左官の原田さんに、全部土で塗り込めてもらったものだった。その前は、実につまらない新建材の張り詰められたつまらない空間だったが、それを仕上げのみで生まれ変わらせる力業を試したもの。問題は床だった。壁天井は普通にラスモルタル下地土壁でいいとして、表面強度を維持しながらそのまま床へと、しかもできれば色調はそのままで、というのが挑戦であった。土に対して強度を得ようと石灰とセメントを多くすると、色がそちらに引っ張られていくので、これらを抑えて施工したが、やはり室内床としての強度は不足していた。様々な家具により、表面は剥がれ、子供が手に持っているもので突き、またある時は、犬がココホレワン、と地面と見紛う土の床を掘った。土は土然としたまま、これらの仕打ちに抗することはできなかった。

この空間が、事務所の執務室となることになり、この床の惨状は急遽補修されなければならなかった。くぼみを、同一の材料で埋め合わせた後、表面を全体にタナクリームと土のパウダーをその場で合わせながら、折り重ねた。タナクリームとは、西洋漆喰(生石灰クリーム)で、日本の漆喰より粒度が細かく、表面硬度が堅くなるので、日本の漆喰よりはわずかに床に適していると言える。生石灰クリームといえば、軍手磨き、というほど、磨くとピカピカ光るので、軍手を、となりそうなところ、軍手ではなく、そこに転がっていた、プチプチで磨いた。片面がでこぼこであったから、手との相性もよく都合よかった。プチプチでピカピカ。

冬至の日の9:00〜14:00、たった6畳ほどの床に飲まず食わずのノンストップ作業。技術として、今回は、誰でも出来る、というものではない。数種類の左官材料を顔料に見立てて、抽象絵画を描くのに近い。絵と違うのは、人や物が踏むから表面強度や平滑性も求められる。そして、二度と同じパターンはできない。その時の作業者の体調や精神力、天候(気温、湿度)の影響を大きく受けやすい。アクションペインティングよりも、同一再現性は乏しいだろう。どんなに頑張っても結果の詳細までを制御できないから、習作を繰り返すしかない。油絵より水彩画であり、書。

さて、この床と日本の祭祀制度における国風文化を担ったとされる石灰壇が、どう繋がるかというと、決して深くは繋がらない。まず、ここは祈る空間ではない。営利をむさぼるために画策し、作業し、挫折する場所。地面のメタファー(暗喩)でもない。ここは二階なので、地面から版築で突きあげて、地球と直結するなど想像するだけで恐ろしい。ただ、土の下地の上に石灰が塗られているという共通点。もう一つ、石灰壇という土の塊に塵壺という暖房機能と同様に、ここでは、ガスの元栓を設けて、輻射式のガスストーブを置き、床やその他に蓄熱し、放熱して、輻射暖房の合理性を見込んでいる。

さらに強いて言えば、この空間が「今に有る」ことによって、石灰壇という歴史上の面白い空間の物語にハイパーリンクするバナー役となれば、というぐらいである。

※参考文献:石灰壇「毎朝御拝」の史的研究 平成23年 石野浩司著

2017. 11. 26

第176(日)技術のデザイン-3

33年間、雨ざらし状態であった勝手口門扉の取り替え工事。

桧の木製建具であったが、良く保った。新しい建具を、以前と同じように作るのは面白くないから、全く異なるものを。機能的には、視線や空気は透けていいから、かねてより温める「建具そのものの奥行き感」、というものに改めてトライすることした。例えば、障子は、太い框と細い桟の二部構成で出来ているが、細い桟のみで一つの建具を構成できないか。そしてその細材は縦横に重なって、奥行き方向へ向かう。建具とは、空間を遮るものだから、薄くあることが宿命で、それ自体に奥行きなどという概念のないものではなかったか。そこを逆転的に考えた。

両脇のタテ框とヨコ材の仕口架構は、アルバイトのアオタ君がノミを手に取りニワカ職人に挑んだ。それ以外は、たこ糸により丸材をタスキ結びとしたことに表されるように、造作は特別な道具は不要の、技術的にはローテク+手間の類いであった。これは扠首(サス)構造の藁葺き屋根と同じだと思った。この建具は一人で5〜6日を費やして完成したが、仮に家一軒の屋根の構造であってもだれか一人、慣れた人が居れば、あとは手伝いの類の技術力で構築することができるもの。必要なのは、丁寧に一つ一つを作ること。その手間の積み上げで、できるもの。しかし、お金で雇うと、高価な造作になるもの。現代に持ち越された茅葺き屋根はその最たるもの。

2017. 10. 1

第175(日)技術のデザイン-2(職人的技術の手前に)

店舗に設置してあるレジスターの背面を上手に隠せるなにかをデザインして欲しいの依頼を受けて、5×30の角材を屏風綴じにした、小さな衝立を考案。高さは250mm、蝶番は、建築の内装にはもちろん家具にも滅多にはお目見えしない、極小蝶番の存在を発見、それを200個。そしてネジ屋に出向いて、店で扱っている最小の鍋ビスが何とか径に入ることを確認して、900本を購入。

只単に小さいというだけではあったが、未知のスケールの造作。本来は家具屋に製作を依頼するのが当然だが、ワンセット(屏風風にいうなら、五〇曲一隻)6万円という見積が出てきた。おそらくこの小ささと、関節の数に腰が引けたのだろう。私の方は、たかだかこの程度の役割の品物にこんなに掛けるわけいかないと腰が引けて、抗議の意を込めて、発注を引いて事務所で製作を請け負うことになった。

作り方の合理性は作りながら判明させる、そのスタイル。もう一回請けたらもっと時間短縮できただろうが、今回は五〇曲二双(つまり50枚の繋がりが2セット)+塗装をして、合計するとだいたい丸1日(24時間)ぐらいかかってしまった。

 

思えば、この品物にデザインされた技術は、修練されなければ得られないような高い木工技術は不要である。代わりに、繰り返される工程に絶えながら、一定の精度を保つ執念だけは必要である。試しに学童強制労働として、小学一年生をも借り出してみたが、品質に関わらないところで彼らが加勢できる工程があることが判った。家内制工業はこうやって成立したのだろう。もちろん、これを沢山作るのだとなれば、某かの機械を作り、人間の苦労を解消していくことは可能だ。本来的にハンドメイドでなければ出来ないという技術デザインではない。

1.既に工業的に製作(量産)されているものを主とするデザイン

2.高い技術は不要だが、人間の手で行うと大変な手間がかかるもの(機械化によって量産されうる技術デザイン)

3.手工業=人間の手によってでしか作ることのできない技術デザイン

技術のデザインという意味では、機械と人間の関係によって、大きく上の3段階があるように思う。現代の様々な量産ラインを想像するならば、大抵の煩わしい繰り返し工程は機械が取って代わることができるだろう。そういう状況にあっては、3.人間の手によってしか作ることができない、という技術デザインの領域は、いわゆる熟達した、優れた職人の技術ということもできるし、もしかしたら、優れた職人技術とは言えなくとも、生身の人間の手間の集積によって、この領域に踏み込めるモノがあるのかもしれない。

今回の代物は、おそらく2.止まりだが、それなりにできあがりは愉しみだった。例え特別な技術でなくとも、手間が掛かる、ということが「見たことがない」という状況を作り出している場合は、素直にそれがそのモノの価値となる。

私たち日本人は、なんとなく習性として職人的な技術へのあこがれを持っているが、一方では、其れが経済活動の中で神格化し、棚の上に飾る技術のようなものとして日常生活から追いやっているという側面もある。もう少しその手前には、技術的には踏み込めそうな、手間でもって切り抜けられそうな世界がある。そこをあえて他人任せ=お金で買うのではなく、自分の愉しみとしてやってみる。知らぬ間に神格化されていた職人の手仕事が、他人事ではなく身体感覚として理解しやすくなるような気がする。彼らの仕事を観る力、想像する力となるような気がする。