2012. 11. 25

第140(日)地域主義の時代

福岡建築ファンデーションのオープニングパーティーに出席した。福岡の近現代建築のツアー企画を基壇に、多くの人々と共に、建築や都市に愛着を持ち、育てていこうという趣旨のものだ。建築従事者が自らの生活圏=畑に種を蒔く行為でもあるが、それは同時に、地方都市に根を下ろす建築従事者(しばしば建築家)の、中央集権からの自立のチャンスとも取れる。建築家である以上、ナショナルブランド、もしくはワールドブランドを目指そうとするのは、近代的自我に目覚めた建築家にとっては自明であるが、いきなりそこに目標を据えるのではなく、「リージョナルブランド」に向かって生きる道もあるはずだ、という誘いにもとれた。
ちょうど、同じ週の始めに発刊された新建築住宅特集12月号は「地域特集」であった。「作家性」を選定基準とする平時から、地域差を暴くための選定基準として53題が寄せ集められた。特集を纏めるプロローグもエピローグもない。北海道~沖縄まで、9の地域単位で、各々がそれぞれの意見と作品にて、地域を語っていた。

日本中、風景も人も言葉も、モノも、一見するところの地域差が見えなくなる一途であり、さらに、世界の隔たりも小さくなる方向=グローバリゼーションである。その反動として、近年の地域主義に関する議論があるだろうことは、だれしもたやすく理解できる。人間には、場所の隔たりを小さくしようとする営みと、場所の異なりを愉しみたいという矛盾した欲望があるのだ。今は只只、場所の隔たりを小さくしてきたことの、偏に反動なのかもしれない。

しかし、「ご当地グルメ」と称して発掘される地域の食べ物のようには、建築には、劇的な地域差を見いだせてはいないのではないか。差の大部分は、やはり、建築家個人、もしくは、住み手個人の表出であり、そこには寒冷地と温暖地の気候差が分け入るのが関の山で、技術的、舞台裏的な差異など、微妙な差異でしかない。建築はおそらく、食べ物以上に、時代と共に劇的な変化をしてきた。情報化する社会と共にモダニズム建築は育ってきたから、国際様式化とまではいかなくとも、国内様式化するのは当然の帰結であった。冷凍庫があれば日本中何処でも同じ味の冷凍食品とその土地のsolefoodは、それぞれ自立した存在であり続けることができるだろうが、日本中どこでも建てられるメーカー住宅と、地付きの大工工務店が建てる注文住宅とは、構法や建材、間取りに至り、抜き差しならない干渉が起こる。双方というより、地付きのモノがその影響を受けやすい。さらに、ご当地グルメは、その土地の素人達が育てるが、建築は産業、つまりプロが育ててしまう。プロゆえの勤勉さが、流行への収束、最適解への模索に向かわせる。

木や土や漆喰などという、ローカルなイメージの素材を用いるスタイルでいると、私自身、いつのまにかに地域主義の議論に加わっていることが少なくない。だからこそ、これから生き残っていく地域性とはどんなものか、金科玉条があれば、すがりつきたいものである。気候の違いを捉えたり、モノ、素材、地産地消的な話はわかりやすい地域。決して間違ってもいない。今ひとつ、そこに付け加えるとするのであれば、やはり最後は「人」ではないかと思いあぐねる。個性を脱色された「人」(しばしば業者)でもなく、個性を期待された「人」(しばしば建築家)というのはこれまでのこと。個性的ではあるが、もっと大きな背景に裏付けされた「人」。背景とは氏素性を超えて地域、場所である。建築家という構想者、そして職人という施工者を介して、建築の地域性を認めていく。認知していくというか、その感覚を多くの人々と一緒に削りだしていく、ということではないだろうか。(例えば絵や彫刻や、器のように、そこに作り手の背景を受け手が感じることができるように。)

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