2012. 11. 18

第139(日)日常景観の利益

ひさしぶりに、20代に生活していた近辺を再訪した。再訪するとは大げさだが、個人の心理としては、ちょっと普通ではない感覚が騒ぐ。自分が19で上京を試む時、先に大学生活をおくっていた兄の一人住まいのこの地に転がり込んだ。18までの私の世界観では、東京には人間的な住空間は存在しない、ということになっていたから、井の頭公園周辺の住宅地を見て、東京ではこれより他人間の住むところはないはず、と勝手に決め込んでしまい、以来、12年間の都暮らしはこのあたりで、うろうろとすることになった。人間の刷り込みや思い込みというのは、まったく恐ろしい。
晩秋の落葉の上を歩き、20代という修業時代、すなわち暗黒時代を思い起こすかと思えば、思いの外、この通勤路はそんな小さな出来事を吹き飛ばすように、都市生活者へあいもかわらず、でっぷりと、美しい日常景観を与えていた。
生まれ故郷の地方都市に戻ってからは、こんな風景を日常的に感じるような環境は、むしろ遠のいてしまった。実は、大都市には、その規模や経済や人口に比例して、地方都市よりも、たくさんの豊かな日常景観があるのかもしれないという気もしてくる。そして、私は動物的に、暗黒生活空間とのバランスとして、井の頭公園あたりを寝床として選んでいたのかもしれないと思い返した。今日の私にとってここはビジターであり、日常ではなく特別な美しい公園の散歩道であったが、かつては毎日朝晩必ず通る通勤路に過ぎなかった。池水に反射する朝日も、木々を通り抜ける風も、さして心地よいと意識することなく、頭はどこか別のところを歩いていた。なにかにめいっぱい向かっているあまり、現前する環境に目が及んでいなかった。
そのこと自体は、仕方がなかったと思うのだが、でも、だからといって、噴水の音や、ピンクフラミンゴの声(井の頭公園には小さな動物園が内蔵されている。)が、20代の無感覚的機械的能力主義的若造に、なにも役割を果たしていなかったとは思わない。やはり、こういう日常の風景が、そのときのぎりぎりの若造をどこかで支えていたのかもしれない、とも思った。本人は、こんな風景とは関係がなく、降りかかる仕事を自らの力でこなしているつもりで生きていたのかもしれないが、本当は、この風景が、毎日、小さく彼を元気づけていたのかもしれない。堅い言葉でいうと、日常景観から利益を得ていた。もちろん、定性的にも定量的にも顕すことが難しい。個々人の気づきでしかない。工学的にではなく、どちらかというと文学的に語るしかない。

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