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2011. 5. 22

第122(日)土:左官:原田進-1(物心集)

土を山盛りに載せた10トンダンプが走っているその後ろを付けている人が居ます。山の奥からおりてきた仙人のような風貌がダンプを、いや土の山盛りを追いかけています。ダンプが目的地に土を下ろし始めた時、その仙人の風貌が運転手にこう言います。「その土、このトラックの荷台にも下ろしてみて」軽トラックの荷台がその土の山盛りで一杯になったら、そそくさと家路に急ぎます。そして、さっそくその土をふるい、漆喰を混ぜてから、30センチ角の木製額縁に試し塗りをします。この土は土間にいい、外壁でいけそうだ、いや、ちょっと難しいかもしれない、と大体この段階で、建築材料として相応しいかどうかの匂いがしてきます。

 

左官の原田さん。代々左官職人でした。高校を卒業と共に父の弟子となり、職人を務めていましたが、仕事が本心から面白いと思えない日々が続き、あるとき、バイクに乗って家を飛び出します。一路、瀬戸内は淡路島。明石海峡大橋が架かっていない時代、どこからあの島へ渡ることができるか、生まれ故郷の外を初めて見た純真な職人は途方にくれてしまいます。目的地の先方へは電話一本もしないどころか、島への渡り方も調べぬままの家出。その目的地は久住章氏という、今では日本を代表する左官職人でした。そこで彼が知ったのは、コンクリートの土間抑えでもなく、ブロック積みでもなく、土や漆喰で様々な仕上げを施す仕事でした。本来、左官職人の仕事として土塗りというのは、あらゆる上塗りの下地作りとして当たり前の仕事でありましたが、戦後、左官という職種そのものが、大変な勢いで縮小していく中で、最初期になくなっていった工種でした。建築現場にとっては、水を使う工法(湿式工法)は現場が汚れる、職人によって生産ムラができる、硬化養生の時間がかかる、ということで厄介扱いされていく職種でした。そんな左官仕事で残った仕事と言えば、コンクリートの土間抑えや、庭先のブロック積みに代表される、下地仕事=地道な仕事でした。原田さんが弟子時代に味わった左官の世界は、当に、左官仕事が輝く舞台を失っていく渦中、もしくはどん底の世界であったのだと思います。一方、久住章はまったく、そのような世間の流れから浮き上がり、むしろ左官世界の新境地を開こうとしていました。土と漆喰を臨機応変に用いて、伝統の熟知から生まれる新たな技術という、天才的、理想的ものづくりを展開していたのです。左官Hにとっての淡路島は、おそらく天才の最も根源的なところに触れる1年であったのだと思います。そして自らの探求心を頼りに、生まれ故郷の九州の日田に戻ります。

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