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2012. 1. 29

第129(日)「たたき上げ」の理論序説

事務所を営んでいれば、スタッフという人との出会いや別れが必ずある。個人名の冠が付く設計事務所というのは、世間一般よりも人間の出入りは激しい。
スタッフを頻繁に入れ替えることを好ましくない、と思うところから、苦悩は始まる。世間一般がそう見ているとおり、吹けば飛ぶ薄給を承知で志願してくる数多から「者」になるのは僅かであると、歩留まりを強調することだってできなくもない。とはいえ、多くの人ビトによって建築され、その後の風雪や、意味に耐えようという建築を構想する設計事務所という場が、ほめ殺しながら人を育てるような場であっていいかという疑問もある。(そもそも、ほめ殺しは人間を機械として扱う行為ではないか。)修業時代、「建築を深く、長く生涯に好きでいるというのが、本当の天才である。」や、「志の高さが仕事(=建築)の質を決める」など、様々な言を通して、いわゆる才能というよりも、精神の純真さや強さが建築家と呼ばれるものの根源であることを教えられた。
私が今こうして設計業を営んでいるその道程は、世阿弥の「石橋」如く、一つ間違えれば滑り落ちる道幅を這ってきたのだと、振り返るとそう思う。修業時代、給料を貰い始めて最初の1年間、師と兄弟子から、こっぴどく絞られ続け、ある日、根を挙げた。一言で言えば、呆然自失の状態で、師に辞職の懇願をするために内線をかけた。ところが秘書役をやっていた同僚に目論見を察知され、辞職願は門前で払われた。その晩、その同僚にトクトクと説得を受け、以降はどういうわけか、仕事をたくさん与えられ、なんとかこなし、結局私は、職場で最長老と言われるまで居続け、独立した。なにを隠そう、役に立たないどん底からの、いわゆる「たたき上げ」のパターンである。
気がつくと今は、その役にたたないどん底を、自分がたたき上げる役目になっている。たたき上げは、たたき上げを導かねばならぬという因果応報のようである。その宿命の苦悩が安眠を妨げ、かつての辞職願失敗歴を回想させる。その時ふと、考えついた。20年弱前の若かりし修業時代の記憶がちょっとだけ客観的に見て始めてきた瞬間であった。
辞めても何処の馬の骨ともしれぬ身がここを辞めようと決意した時の私の心の状態は、自己を見失ったというより、期待していたもの(能力)が見あたらなかったことによる、言い換えれば、自己への期待とか思い込みという緊張が解けたことによる、妙な開放感であったように思う。もちろん、苦しい環境から解放される開放感とは異なっていた。そもそも、大学での製図の授業で良い点を貰ったことにそそのかされて、大学院の二年間もその職場(=研究室)の実務(=実施設計)に身を捧げ、自分は建築設計で食べていこう、と疑うことなくその職場に投身したから、そのわずか1年未満で建築を辞めるなど、にわかに考えることができなかった。そのあまりにも大きなギャップにより、建築をやめるとかやめないという思考の次元とは違っていたように思う。唯一、これ以上職場に迷惑をかけてはならないという自責の念以外、考える内容がなく、いわば、心の空白の状態であった。直前まで、(自分なりに)精一杯に動いていたが、ある瞬間、努力してああして、こうなろう、という自分が消えて動かなくなった。パソコンでいえば、システムが入っていない抜け殻の状態、のようなものであったかもしれない。
その時、同僚の機転が働いたのである。彼が気を利かせて、私の辞職願を門前払いとしたことを、助かった、運がよかった、と今の私の状況からいうことは簡単である。しかし、それは果たして「幸運」と片付けてよいか。小金丸泰仙和尚からは「偶然というものは一つもない」と教わった。もしかしたら、空白、白紙状態に己の心が一瞬でもなったことで、滞っていた流れがスッと流れ始めたのかもしれない。同僚の判断は、私の心が空白になったことによって呼応したのではないか。
己の判断を一瞬やめたとき、そこから、真に自由なありのままの自分が、新しい拡がりへと流れ出していく。そういうシナリオは、どこかで聞目したような気がする。事例をこれだと挙げにくいが、例えば哲学者ヴィトゲンシュタインはどうだろう。彼は第一次世界大戦に、ヘルニアの腰でありながら、志願兵となり、死を志願しながら、哲学を深めていく。結局彼は戦死を望みつつ死を免れ、後に「論理哲学論考」を著す。これは書斎の中で考えられたものではなく、死に直面、もしくは、己を死んだものと考えることによって見えてくるものを書き連ねたとされる。人間にとって擬似的な死、つまり小さな自我を捨てざるをえない環境とは、窮屈でも終わりでもなく、むしろ新しい拡がり、可能性へと繋がっているということを、ヴィトゲンシュタインは自らの人生をかけて証しているようである。
人がその職場から不自然に中途離職する時は、ネガティブな感情が起因する。身が離れるよりも先に心が離れる。それはそれで世の常ではあるが、大事なのは、その節目によってその人のその後の人生に拡がりが生まれるかどうかである。己が置かれた環境や周囲の他人に責任転嫁しがちであるが、そうではなくそれらを受け入れ、むしろ己を空っぽにすることができたなら、その節目は挫折ではなく、上段へ向かうステップなのである。真にパソコンを蘇らせたい時は、それまでに構築してきたシステムや設定を一旦放棄しなければならない。さもなくば、まっさらのシステムやアプリケーションを迎え入れることができない。心の中のバグ=意図せず、意識なく積み重ねてきたものをふくめて、全てを一旦放棄し、わだかまりの無い白紙状態になることである。もちろん人間でそれを行うには、本人にある種の度量が必要である。フリーズを何度かくり返して、調子が悪いな、ではというシステム再インストールは、やはり最後の手段、大変な仕事である。
離職や転職が、他者に責任転嫁したり、否定したりせずに、純真な気持ちに立ち返ることから起こるのであれば、むしろそれは歓迎すべきである。そういう気持ちに真底なることができたのであれば、そこを離れるべきか居るべきかは、自然に決まるだろうし、どちらに向かうにせよ、その後の見晴らしはいいはずだ。これは職業を選ばない、「たたき上げ」の理論?ではないかと、その夜密かに考えた。

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