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2013. 1. 13

第140(日)隙間のデザイン

いわゆるモダンスタイルでもなく、かといって、いわゆる和的でもなく・・というその人の言わんとすることは、私にも程なく解った。モダニズムとクラシシズム、とキレイな対義語で置き換えたり、言葉を厳密に探さずとも。たとえば、初期バウハウスが目指した国際様式的なデザインに対して、そこから各地域で派生した巨匠達のデザインを想ったがどうだろう。今当に市場で消費されている教科書通りのモダンデザインは、もう恥ずかしい。だからといって、歴史様式的=クラシカル、というのもそこに落ち着いたかという感じで定型内。ならば、ナンダコレハの近未来的デザインを普通の家庭に持ち込めるか?むしろそれら全部を、ある個人が、上手い具合にかみ砕いたもの、そういうものを彼は想像していただろう。

代表的なスタイルを、まずは意識し並べ連ねてみる。それらをなるべく俯瞰的に眺めながら、そのどれにも傾倒しないように、というところから始まるデザインは、デザインとして基本だと言いたいが、実は応用中の応用であり、厳密には神業の類であろう。気がつくと私たちデザイナーは、どこかの流儀や、流行り、傾向に、結果的に傾倒していく。

そんなこんなであるからこそ、我が事務所であっても、定型というものについては意識的でいようとしている。いわゆるモダンデザインと称されるものの原型には、ほっといても似ることがないが、しかし、北欧的なデザインや、日本がモダニズムを吸収していた1930~60のころのものには、自ずから似てしまうかもしれない。(そこには関心もある。)前者は文字通り定型、後者は、定型の応用の数々である。

一見すると、木や紙や土を用いて造るから、演歌調ならぬ民家調、のあたりにはまり込みそうになるのかもしれないが、実は毛嫌いしている。柳宗悦のいう、「民藝」の価値は、固有名詞が行うデザインではなく、無為のデザイン(無名のデザイン)にある、というあたりは、例えば和風という定型と距離をとることの必要性を言っているようにもとれる。民家調(あるいは和風)と呼ばれる類は固有名詞を持ったデザイナー(有為)が立ち入るようなものではなく、本来的に無意識状態(概ね「無為」)から産み出されるべきものであろう。

かつて、プロダクトデザイナーの森正洋さんがぽそっとささやいた、「デザインというのは隙間産業なんだ」ということの深意を、延々と、探り続けることになる。何のデザインであっても、常に歴史的、地理的に、複数の流儀、スタイルが生まれ、林立している。それを知りえた者(デザイナー)は、点在するスタイルの「間」を目指すしかないのだ。

その客人は最後に、私は「アルバーアアルトが好きだ」と言った。グロピウス以外は、純粋なモダンデザインを貫徹した建築家はいなかった、という狭義と勘案すると、彼が求めているのは、やはりモダンデザインでも、アンティークでも、近未来でもないことに気づく。今ここに、アルバーアアルトが居たら、ということを言われたのかもしれない。すっかり定型化したモダンデザインと対極のクラシシズム、さらにリージョナリズム(地域主義)、ドメスティシズム(グローバリズムの対義として)など多くの立ち位置との「間」「隙間」は常に未知数で、興味深いものだと思う。

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