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2019. 8. 18

第187(日)木造三階建を愉しむ

今年のお盆休みは、お盆の期間は工事が予定されていたため、暦通りの土日祝を狙う。休みは、計画的に何ヶ月も前に行き先を抑えておくような性格とはまるで逆で、よし行こうと前日に思いついて、そこから、空いている所を探す。案の定、世間に知られるめぼしいところは、そんな直前にウェルカムを唄っていないから、こちらも腰を低くして、ひたすら検索する。

すると日田の豆田町のど真ん中に、気になる宿を発見。木造3階建ての三階の一室が、ポツンと空いている。じゃらんか、るるぶ、か忘れたが、其所に載っている小さな写真から察するに、リノベを経たブランニューな「古民家ステイー」ではなく、元々の原型のままの、古い木造が密やかに世間に開いていたのである。木造三階の宿だから、基準法施行(昭和25年)以前、かつ、戦前あたりから続く宿であることは想像するも、どうして、そんな希有な場所が、お盆の繁忙期の前日まで空いているのだろうと、そのページをいったりきたりしながら、しばらく様子をうかがった。半日ほど、優柔不断な偵察状態が続き、その自分に嫌気がさして、エイやとクリックした。

 

日田は後に宿の亭主から伺って判ったが、湯布院や九重、別府の宿泊客の通過交通的拠点であり、また、皆さん、盆地で暑い、というのがなんとなく定説となってしまい、このような真夏には、殺到する場所ではないとのこと。(+韓国問題)でも「木造三階」の掘り出し物に惹かれ、また我が家のお盆の墓参りの流れからしても好都合であったため、そのまま、小旅行の宿にフィットした。つつがなくたどり着いた鼻に現れた手前のファサードには、後世に立て替えた現代木造+アルミサッシの2階建てが立ちはだかっていて、「木造三階」の歴史的様相はなかった。カウンターのない、「帳場」と掲げられた部屋から出てきた亭主とやり取りの後、奥に進むと、ある瞬間=急峻な階段から、あ、ここから古い木造だ、と判る。蹴上げ、踏面共に210㍉。つまり45°。40°ぐらいまでは快適限界ということを考えると、このような旅館としては、案外、45°でも厳しいのだな、と体感。基準法の限界は蹴上げ230以下、踏面150以上の56.9°だから、これはやはりこういう場所での階段寸法ではないことも実感。

さて、この厳しい階段を2層分上がり、廊下の空気が益々暑くなっていくのを感じながら、途中途中の木造の造作に見とれる。確かにこれが昭和10年の木造なのだと噛みしめる。たどり着いた楼閣の最上階は、やはり掲載写真に嘘偽りなく、いやそれ以上に、豆田町とその背景の山並みを想像以上に一望できる殿様的な空間であった。高々3階建てなのだが、豆田町が2004年に伝統的建造物保存地区になっていて、町並みとして低く抑えられているのと、そもそも、この旅館の三階建てが、階高=3900㍉あり、4階建ての高さに近い3階となっている。さらに言うと、部屋は畳部分は8畳+6畳なのだが、畳の寸法は1900×970の京間、其所に1720幅の広縁がL字で回っていて、天井高さは2990。プリントでない天井板も清々しい。現在の住宅として伝わっている木造のスケールとは異なる寸法体系が奏功し、旅館としての非日常を今も変わらずに発している。

現代木造からの(いい意味での)時代のズレ感が愉しい箇所は、いくつもある。ガラスのファサードを見やれば、言うまでもなく、建具も木製、柱がそのまま建具枠、というシンプルな構成。歴史木造の常だとわかってはいても、現代の木造の建具納めからすると、やはりうなってしまう。木造三階建てである。上層階は土庇を構成できないので、風雨の影響は少なからず。柱の戸当たり面に10㍉角の雨返し材(=防寒じゃくり)を付けただけで木製建具の密閉性を確保?しようとしつつ、柱は当然のことながら内外一つの無垢材であるから、屋外にさらけ出された面から時間の経過分、柱は風雨による減耗=浮造りが進んでいる。現代木造からすれば、あっけらかんとした部材の用い方。

桁下〜床レベル=2375の中に3段の引き違い戸のストライプで構成されているガラスファサードも見飽きない。よくよく見ると最下段のh780の建具も、上段と同じ引き違い戸になっている。地上階ならなんの不思議もないが、2階も3階も、ここを引き開けるなら、落ちてください、の開口部になる。今、新に設計するなら、桟のデザインは変えないにしても、安全を優先して、はめ殺しにするところ。なぜ、ここを開け閉めできる建具にしたのか、という理由がとても気になり、あれこれ考える。建築とは、柱梁を大工が作って、壁は、建具屋が障子(塞ぐものという原義)をはめるか左官が塗り篭めるもの、という構法原理を崩したくなかった、か、子供が間違って落ちる、などということに建築側の責任が負われていなかったか。さらに言えば、網戸も一切ない(付いていた痕跡もない)。いずれにしても、時代の差、その時代の社会的な常識の差ということになるだろうか。

とにかく、時代のズレ、を読み取るのが面白い。個人的な判断や趣向ではなく、その時のその時代が許した、もしくは賛同したデザインと捉えると、そのデザインそのものから、安全性、耐用年数、音や光、空気の環境性能等に関わり、その時の社会が標準としていた指標のようなものが見えてくる。その時代の建築が残っていて、そこに宿泊できるということが、こんなに豊かにこれらの情報を引き出してくれる。オリジナルが何らかのカタチで継承されている宿は、宿泊者をもれなく一晩、歴史家にしてくれる可能性を持っているように思う。

 

「木造三階 旅館」で検索すると、いくつか見知った名前が挙がる中、この「若の屋」は見当たらない。そういった、カテゴリーにおける有名どころにはなりきっていない。理由は様々あろうが、一つ明確なのは、アイコンとなるファサードがないことがあるだろう。街並みのスキマから、辛うじてこの三階の楼を垣間見ることができるだけ。これはこれで街並み側からすれば愉しい風景だが、旅館からすれば、人々をここまで呼び寄せる風景にはなりえていないのだ。やはり建築は、正面から堂々と仰ぎ見ることのできる外観も大事ということに気づく。そして、繰り返しになるが、まるでお殿様になったような眺望、絶景は、何十階もの高層でなくとも、高々3階建てで可能なのだ、ということにも気づかされた。他が低ければ、それでいいのだ。皆が高望みをするから、より高層を競い、互いに総倒れになっていく現代都市にはない価値、あるいは社会スピードの価値基準、センシブルな営みのようなものが、地方には潜在している。

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