2021. 7. 25

第194(日)「暮らし」から始まる

建築家前田伸治さんの話を、料亭「嵯峨野」で伺うことができた。伊勢に拠点を構えられ、日本中のあちこちに、日本の建築を建てられている。事務所の名前が「暮らし十職一級建築士事務所」となっていて、最初はこの看板をなんとなくスルーしていたが、話を伺うにつれて、敢えて「暮らし」というワードを事務所名にされていることの意味を捉えることができた。

料亭嵯峨野2011/設計:前田伸治、外観

美しい青森杉で構成された、自身の作品に包まれてのスライドレクチャーは、本人の作品解説は一枚もなかった。かわりに主題となったのは、「日本人の暮らし」について。日本の空間は、基本的に用途を定めない多目的室の連なりとなっていて、プライバシー的にも物理的に強く遮らずに、融通無碍な空間であり、それらは人々の「暮らし」の顕れとして成立していた、というのが一つ目のお話。家というハードと、暮らしというソフトが適切に絡んでいて、そこを媒介する要素として「道具」があった。道具は家具のように、定位置に固定されずに、その時々によって場所を変えて用いられるもの。だから、小さな文机も固定されれば家具だが、小さいまま、その都度に好きな場所に設置して用いられれば「道具」となる。日本の家具は、確かに小ぶりで、収納と移動、設置を繰り返すことのできるものも多い。それは西洋的な家具の概念からすれば、「道具」なのだ。現代の日本の住居を寝殿造りにまで辿るならば、それが当に、几帳や御簾などの可動可変の「道具」によって空間を区切って人が生活していた原風景に到達する。それらを想像するなら、日本の住まい×道具は、遺伝子レベルの組み合わせであり、根深い歴史そのものである。

もう一つのお話は、竣工時の写真で話を完結してしまいがちな建築家のスライドレクチャーとは裏腹に、自身の作品でもない、設え、室礼、所作、暮らし、の話だった。打ち水に始まり、床の間の飾り、正月飾り、祭りの儀式、など、なんとなく、民俗学の講義で伺うようなスライドだった。古き良き時代の日本人の暮らし、と言ってしまうこともできる。これをNHKの教育番組で見てしまうと、歴史上の事実として、脳内から間もなくインパクトが消えていく。ここでは、建築家=建築を造る人間が、敢えてその器の中で起こっている事柄を凝視していて、その「暮らし」から建築が起こる、という。そうなると、否が応でも「暮らし」から設計せねばならなくなってくる。私達がこれから未来にどのような「暮らし」を目指したら良いかの命題が、深遠なものとなってくる。

料亭でのスライドレクチャーは、その後すぐに宴会になった。時に緊急事態宣言中、5名以上の宴席は日中でもアルコール不可。前田さん自身が、こんな料理が出てくるのに、お酒が飲めないなんて、と開口一番に吠えるものだから、場が少し和む。見かけは強面だから、余計に、心中の率直さが、共感を覚える。

九銘協の峯さんが、後になって、席の配置がうらやましかった、と言われたので、本人の二つ隣に座らせてもらった立場として、宴席での雑談をなにか書き留めなければならないが、あまり細かなことは思い出せない。総じて感じたのは、人間とか文化に対する率直な敬意、愛のようなもの。普通なら、建築家であるから、建築を通して社会を見据える姿として見えてくるが、前田さんの場合は、根底に、人間とか文化=つまり暮らしに対する思いやりのようなものがあって、建築という媒介物が先立っていない感じがした。文章に書けば、当然の理想のようだけれども、建築家の思考プロセスが必ずその順番であるとは限らない、というのは自分の胸に当ててみてもよく分かる。

建築が好きで好きでたまらない、だけのエネルギーの創造力とは、なにか、違う。そういうことから、おそらくだが、依頼主を虜にしてしまう根源的なものが備わっている。自分も同業なのに、この人にうっかり何かを頼みたくなりそうに、なった。

建築家の話は、それなりの方々の人数を伺ってきたつもりであったが、これまでとはちょっと違う、社会的存在に触れる機会だった。料理は言うまでも無く美味しかったし、清々しい木材で構成された澄み切った空間も格別だった。そこに新鮮な建築家の存在が加わり、正直、あちらからこちらから、感覚を研ぎ澄まされる、ある意味拷問のような、至福の時間であった。

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