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2008. 4. 27

第34(日)不器用な人

実母であるこの老婆とあと何回一緒に飯を食べるのだろう。時には世間一般に行われる親孝行をとも思い、日曜の夕方から、早い夕食に出かけた。もちろん、久しぶりに舌鼓を楽しむという自己保存の法則も含んでいた。あえて名指しにするが、「たか埜」は福岡でもうまい和食を食わせるところの一つである。7品目、大将の施しそれぞれに、まるでグルメ番組のヘタクソなリポーターのような感嘆を漏らし続けた。だが大将の下積み時代の話が、筆舌に尽くしがたい料理の質を超えて身に染みこんできた。「弟子時代、自分は人一倍怒られた」「結局要領が悪かったんです、自分は・・」どういう会話からそんな話が引き出されてきたかは記憶にないが、出される料理からは想像のできない話が出てきたのである。もし、この手の話が初めてであったなら、むしろこれらは聞き流されていたのかもしれない。だが、さまざまな達者の口から同質の話を聞いていたから、今日のこの話をかろうじて心に留めることができた。
もはやカリスマとなった故西岡常一棟梁(法隆寺宮大工)の一番弟子小川三夫氏は
「要領のいい人間だけがいい職人になるとは限らないんです」「むしろ決断に時間のかかる人間からいいモノが産み出される可能性がある」
人間国宝の文楽人形方(?耳学問)
「手先の不器用な者がずーっと長い時間を掛けて体得したものから発する独特な雰囲気もいいんです。」
そして、我が幼少期の童心を釘付けにした「できるかな」(NHK番組1970~90)のノッポさん言。
「自分は本当は手先が不器用で、ずっと工作の技術指導を楽屋で受けながら必死になって辛うじてやっていたという感じです。むしろそれが、子供達へ伝わる力になっていたんじゃないでしょうか。自分がもし手先が器用であったら、20年間続けられたかどうかもわかりません。」

分野を問わず、人は能力としての即戦力を問われる。「不器用であることを超克することによってようやく得られる能力」の存在は、実業における表の世界から隠れている。

今はなんとなく小器用に振る舞っている自分も、思い起こすと20代はたか埜の大将に負けじ劣らじの暗黒時代であった。これには結構自信がある。詳しくは書かないが、問題を変えて未だにそう(不器用)であるという節もある。もしこういう自分を見放さずに、やり続けられる世界があるのならと思うことによって、時々に起こる自己嫌悪が慰められる。折り紙付きの原石ではなくとも、磨き続けると宝石には叶わないなにかを見いだすのだと言われると、やはり人間はやめられないのである。

 

 

 

2008/4/21 「平屋のような家」工事契約のため久留米へ

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