
2023 宮前迎賓館 灯明殿 木部建具枠(引き戸エンジンのカバー)
金曜日の夜は、大工さんたちとの、現場ではないところでの交流の場だった。ゲストの方々には、普段はカッターマット台であるスタンディングデスクに、廃プリントの図面をランチョンマットがわりにして、その上で、楽しんでもらった。
山下建設の吉良大工は、彼がペーペーの時から知っていて、かれこれ25年近く。事務所で設計監理する木造や木質建築の多くに関わってもらい、最近はそれらの現場の仕切り役として重要な役割を果たす、正真正銘の大工。その仕事も素晴らしいけれども、料理もうまい。し、とにかく手際がいい。そのまま居酒屋ができると皆が口々に言った。普通のスーパーで買ってきた普通の鳥もも肉を普通にソテーしただけなのに、なんだかほくほくしている。聞けば火加減の調節だとか。それをどこで知ったか、と聞くと、料理番組でちらったコツを言っていたと。自分もほぼ毎日賄い食をつくるけど、こんなところでジェラシーがメラメラと燃える。互いに本業が別にある者として。
そしてまた、そこに、ベトナム人の見習い大工が、家庭料理としての揚げ春巻きを作ってくれた。春巻きは、こちら日本人としてはある一定のイメージがあるが、食材の調達も彼に任せた。どんなだろうと見やるとあっという間に具材ができていて、もう自分にはなにが使われているのかわからなくなっている。それを20本、あっという間に漬け揚げして、皆に配膳される。洒落た飲食店にある、生春巻きの華やかな断面とはうらはらな、地味な家庭料理風の体だったが、とても美味しかった。聞けば日本で初めて作って、他人に食べさせたという。
彼ら大工のハナシは、当然高邁さとは無縁の、大工の域を出ないハナシではある。しかし、彼らの中に、大工仕事をきわめようとする精神の中に、なんとも言葉では言い難い内容の、作家魂の感覚があることを知る。設計者たちが互いにそうであるように、大工一人一人の個、オリジナリティーがあって、それらを確かめ合っている、凌ぎ合っている、らしい。以前にも、そのようなハナシを聞いたことがある。全く同じ設計の内装であっても、面取りの取り方だけで、空間が変わるのだ、という。この和室はあいつがやった、こいつがやった、ということをその空間の面取りから読み取るという。柱や長押、竿縁などの、木の線材の角という角は、面取りをどうするかという、判断がなされる。和室ならば、人は面だらけの空間に囲まれるということになる。系面(最も90度に近い角面)なのか五厘(1.5ミリ)一分(3ミリ)二分(6ミリ)・・などの面取り寸法を、設計者が指示するとすれば、口頭か、もしくは、原寸図か、ということだが、そこを結構軽く考えていた、とその時気づいた。恥ずかしながらつまり、事務所の描く図面には表記していなかった。実際に空間に手を掛ける大工は、そこへの感覚が、自分達(設計者)より一歩前に居る、のではないか。そういえば村野藤吾の原寸図には面取りが明記されていた。さらには、吉田五十八や、吉村順三もが、それぞれが異なった生い立ちながら、結果的には、設計者(構想者)でありながら、実行者的な何某かの疑似体験か感覚によって実行者のそれを備えた人たちではなかったか。そういう大工仕事の、奥深くの、真に面白いところは、これからは、なくなっていく一方なのだろう。大工さんの絶対数が減っているだけでなく、そういうインスタ映えに寄与しないような手法、手口を追求していこうなどという大工は、さらに少ないだろう。でもこここそが大工として個の深くに宿るオリジナリティーを突き詰められる部分ということなのかもしれない。
そのような微細な個人差を追求する(が顕れる)余白のようなものが、仕事の面白さを担っているのかもしれない。この余白における実行、つまり大工が仕事の都度に、木材の面を取っては、自分が作り上げた小世界=空間を確かめ確かめ、そして面取りによって、自らの木造空間の理想を発見する。技能を通して知るという方法知、これこそはもしかしたら、『暗黙知』というのではないだろうか。マイケルポランニーの言う暗黙知は、松岡正剛氏が(1042夜)でいうように、誤解されやすい概念のようでもある。『パン職人がつくるパンのおいしさの知のようなものでも、料理人の、(レシピとして書けないような)味付けの技能のこと言うのではない』と言っている。コロンブスがインドを目指したらアメリカ大陸を発見し、アインシュタインが特殊相対性理論を求めて、一般的相対性理論を発見していく類の発見の、「プロセスに関わる知」ということのようである。・・・・大工工事は、世界を変えるような科学の発見ではないけれども、各々の大工が、自己を納得させようと幾度となく同じ手仕事を繰り返し、その技能が発見を呼び覚ましていく、ポランニーの示そうとした『暗黙知』は大工の世界にも内蔵されているのではないか。
仕事が面白くなければ、あとは、時間とお金の良い条件を目指すのみとなる。お金と時間の条件だけで比較されるから、条件の改良の難しい大工の成り手が減る。それが今日本(もしくは先進各国)で起こっていることだと思う。量産型でない建築を作っていくラインがせねばならないことは、一つ、仕事における暗黙知を涵養することだと思っている。大工工事に限らず、どの仕事の中にも暗黙知が潜んでいると考えたい。