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2009. 8. 30

第81(日)相手を用いるの美(名島展望台計画3)<聖域の再生(一)>

合気道の老師範に会う。山田専太氏。日本はもとより、アメリカのケンブリッジ大学や、台湾などでも教えてきたという筋金入りである。その老師範から、今日は全日空ホテルの近くの歯医者に出向く用事があるので、前後に話がしたいという呼び出しであった。話は、もちろん合気道の話ではなく、例の名島展望台の話。師範は、名島城址顕彰会の会長でもある。展望台の計画が、いかに間違っているかというために、昨年発表された行政による元設計に対する反論=「当て馬」の再考計画を事務所で制作した。そのプレゼンを聞いてくださり、なにか感じ入って貰ったのだろう。評価の内容がアカデミックな建築の論壇では得にくいユニークなものだったので、ここに書き留めたい。
「合気道という武術は、自分の腕力ではなく、相手の力を借りて、その人の力を制するものです。柔道もやりましたが、合気道は実に日本人的で、自然に逆らわない身体運動なんです。自分がなくなった時に、自然に相手をも制すようになるのです。李登輝は、「私なき私で行いたい」と言った云々・・・。」
「名島のあの場所は、眺望などと言う今ではどこにでも得られる、目に見える感動を伝えていくようなところではなく、もっと、目に見えないものを最小限の建築によって表現できる場所の底力を持っているところなんです。」
「貴方は宗像大社の高宮斎場を取り上げていましたが、当に名島はもともとそう言う場所だったのです。秀吉が築城を命じるまでは、あの丘は名島神社という御神体そのものだったのです。」

高宮斎場とは、現在の宗像大社の社の脇から10分ほど歩いた小高い丘の上にある、ユニワ(斎庭)のこと。日本の神社の初源的カタチは、社殿が無くなり、白砂の空白地であるというその典型例として、「見立ての手法」(磯崎新/岩波)に紹介されていたから、九州に帰ってきて以来、都度に現地に脚を運んでいる。この、「社殿のない神社」を手本にしながら、名島築城により滅減してしまったかつての聖地=神宮ヶ峰を想像しやすくしてみようという計画であった。社殿を用いずに空白の庭をメインに計画したから、当然のことながら、物質としては最小限である。行政が段取りしたRC5階建て展望台のように、単純な足し算型の計画とはおのずと対極である。そこのところが日本の武術の粋である合気道によく当てはまるということらしい。簡素化された最小限の表現美、あるいは自らを立てずに「相手を用いる」の美はなにも、合気道に寄らなくとも、禅を元とする茶や能や書などの東山的日本文化のほとんどがそうではなかろうかとも思うが、ともかく、例えの一つに武術も加わったと考えておけばよいかもしれない。老師範はそういう建築の可能性を追求すべきだの意見を私にくり返した。日本人である我々の奥深くに潜在する「相手を用いるの美」は、建築にどのような可能性をもたらすだろうか、只只首をかしげるだけである。

山田専太大師範、全日空ホテルでさしで懇談させていただいたその後、亡くなったと聞いた。最初で最後の稽古だったということになる。

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