2025. 6. 15 permalink
もう、30年近く前になるが、義兄からお下がりの皮鞄を引っ提げていたところに、名古屋の左官屋さんから、「儲かってまんな」と入れられたことを思い出した。九州でも、関東でも、儲かっているかどうか聞かれれば、経済的な意味で景気がいいかどうか、しかないと思うのだが、関西~中部では、どうやら、儲かっているというのは、ものを良く使い込んで、古くなっている状態をも言うらしい。確かに、義理兄の鞄は、それほどまでに、ビンテージの様相であったから、長い間たくさん用いて、元を取っただろう、ということである。
事務所を立ち上げて間も無く、住宅としては初めての楽只庵もまた、「儲かってまんな」と言われるにふさわしい、住宅ながら、さまざまに使われてきた住宅である。今日は、オリーブオイルとワインの会。中里こおさんの提供するオリーブオイルを用いた、こおさん自らのおつまみと、ワイン屋さんルヴァンのワイン。近くの酒飲みが全員ここに集まる瞬間。いや遠くは大川や佐賀からも。おつまみもワインも申し分なく、また、天気も梅雨に入って、前日までは、どしゃぶりの予報では、土の土間天井空間に閉じ込められての会になるかと思いきや、蓋を開けてみると、ぎりぎり雨が降らない、ぎりぎり生かされた、幸運を得ることができた。
この、この敷地の根伐り土(基礎を打つときに掘り出した土)で、天井と床を構成した「ラクシアンピロティー」は、ことあるごとに用いられてきた。約二名がここで結婚式披露宴を行い、各種宴席が行われてきた。もともと楽只庵は、いや今も書の空間だから、ラクシアンピロティーはお稽古に来られる方の3台分の駐車場である。天井高さは、ぎりぎりの1800ミリに抑えれれて、一部、頭が当たる人も出てくる、ぎりぎり使える空間。でもこのぎりぎりに切り詰められた天井高さによって、屋外が、屋内空間に近づく。1800ミリの根拠は、については、設計者本人がぎりぎり頭が当たらない寸法だと言い伝えられている。(笑)
ちょっと大袈裟だが、かつて平安時代の寝殿造りでは、軒先の庭が政治的イベントの執務空間であったし、江戸時代の裁判所は、青天井の白砂空間であったことは、時代劇でお馴染みである。仏教建築が輸入されるまでは、神社というのは建物(お社)がなく空地であった。神事ももちろん野天で行われた。
現代の都市生活者は、空調で管理された鉄やガラス、コンクリート、ビニールで囲まれた室内空間で仕事や日常生活を送る。数万人の規模で人が集まる時でも、空調の効いた全天候のスタジアム、ホール、がある。その反動として、あるいはバランスを取るようにして、山や海に出かけて、アウトドアを過ごす。二極所生活。もし、日常生活の中で(あるいは仕事を含めて)、インドア、アウトドアを併用できるのなら、それが時間と場所をバラバラにすることなく、一つの日常生活の中にバランスを得た日常生活となるはずである。
梅雨の雨が止んだ夕方、これ以上に蚊の増殖が行われる瞬間はないと身構えていたが、スプレーの藪蚊バリア、他、噴霧型の蚊除け製品によって、ほぼ蚊の被害はなかった、と思う。(自分には蚊が寄ってこないのであまり)
建築が儲かるほどに使われるための条件は、さまざまだろうが。なにがしかの、人々がいいと思う空間設計と施工があって、ならばそれをこのように使おう、という持ち主の感性があって、そこに集まる人がいて、美味しい料理とお酒、そして、効果抜群の蚊除けグッズといった、現代人にとっては欠かせない周辺的なものの全てが、関与していると思われる。