宝満堂<聖域の再生-Ⅳ>

大日堂 新エントランス 260404

宝満堂<聖域の再生-Ⅳ>

カテゴリ
リノベーション
敷地
福岡県糟屋郡須惠町上須惠63−5
用途
宗教施設
建築面積
890.91平米(269.50坪)
延床面積
1300.67平米(393.45坪)
構造形式
鉄骨造一部木造
設計期間
2023/10〜2024/8
工期
2024/11~2026/4
設計監理
設計+制作/建築巧房
設計助手
米満 光平 野見山 雅也
構造設計
Atelier742 高嶋謙一郎
施工
河上工務店 https://www.kawakami-koumuten.net
特記
根本山宝満堂 https://houmandou.or.jp/houmando

木を介した場所と建築のつながり

この建築の改修は、木を介して場所とつながるという物語の再編に取り組んでいる。

2000年3月、根本山宝満堂の大日堂が落慶し、24年が経過していた。当時目論んでいた御堂の使い方や、建物に必要な断熱性能の基準などが、24年の間に変化していた。大きくは、屋根〜壁、ガラス開口部に至る断熱性能の現代基準への改修と、メインエントランスを2Fから1Fへ移動、という二翼から、計画が始まった。
ところが、計画開始間も無く、断熱性能や機能動線といった実利的な側面のことだけではなく、若杉山という歴史的な聖地、霊山を拝する建築のあり方として、再考されることとなった。若杉山は、歴史的な杉の霊山(※)であることから、そこから杉材を頂き、建築に用いることができるなら、この場所に建つ宗教建築として相応しい、となった。否むしろ、山を拝むための存在意義そのものである、という考えが計画と共に醸成されていった。
歴史ある霊山を拝する宗教建築という、有志以前からある日本の自然観、宗教観に根ざしてはいるが、木材供給プロセスとしては明らかに特殊解である。建築生産における社会性として見るなら、極めて限られた市場のことである。「材料」としての木の側面に対して、「木」の象徴性、精神性のようなもの、あるいは文化的側面の類である。木を「材料」としてしか見ることのない、建築生産の日常の中に、別の意味合いが見出される。これは、この場所(※)と宗教建築との組み合わせによって必然となったことである。しかし、場所と宗教建築の役目とは本来そういうもの(日常では想像し難い恩恵を想像しやすくすること)ではないだろうか。「木」という一つの建築材料を介した、場所もしくは、自然〜超自然に至るものまでを想像しやすくするための建築。私たち日本人の遺伝子が自然に胸を撫で下ろす人工物であるかもしれない。もはやトレーサビリティーと言う必要のない距離で山とつながる建築の作り方でもある。

※神功皇后の三韓征伐(4世紀末?)の際、香椎宮(福岡市東区香椎)の神木である杉から一本の枝を、鎧に差して半島へ向かった。凱旋後も、その杉枝は青々としていて、それを、香椎宮と若杉山にそれぞれ移植して、現在綾杉と呼ばれる神木に育った、とされる。若杉山頂上には、イザナギノミコトをはじめ、天照大神、八幡様、住吉様、など、錚々たる柱を祀る太祖宮が鎮座している。時代はくだり、最後の遣唐使船に乗り込んだ平安時代の伝教大師最澄と弘法大師空海が、この若杉山を霊山と見抜いて入山したとされる。江戸時代末期には、一人の尼僧が空海が入唐祈願したこの山の麓に四国霊場の写しを企て、現在の篠栗霊場に至っている。同じく最澄は、四国霊場写しとは山を隔てた反対側の須恵町側の麓に建正寺などの足跡を留めている。

宝満堂の建つ場所(そのまえ)参照

そのまえ