水平な家-Ⅱ

水平な家-Ⅱ

カテゴリ
新築 住宅 継続PJ
敷地
山口県宇部市
用途
専用住宅
延床面積
専有面積約144.65平米(44.5坪)
構造形式
木造2F建
内壁+天井:漆喰仕上げ(ボード下地)
外壁:モルタルリシン吹きつけ/窯業系サイディング12t+塗装
床:無垢木フローリング20t
設備:トイレ+ガスボイラ+エアコン+上下水道
工期
2005/01〜2005/6
工事費
約2500万円<58.9万円/坪>(消費税+基本設計料込み)
担当
上林泰子
監理
山下建設株式会社
施工
山下建設株式会社

水平な家シリーズ

【どこかに記憶している日本の家】
「日本の伝統的木造技術であり美学である数寄屋を追い求めながら、大工工務店をやってきました。これまでは、良い家を造ろうという施主さんには、数寄屋の 選択肢がありましたが、時代は遷りました。また今の若い人たちに とっては、精一杯の住宅ローンで土地と家を買い求める時に、数寄屋という高価な選択肢は難しくなってしまいました。日本の大工技術としての数寄屋、これを造ってきた大工達の 技術や意匠、あるいはその気持ちのようなものを、これからの新しい家のカタチとして伝えていけないものでしょうか。」

下関市の山下建設の、この問いかけを発端に「水平な家」と 名付けた家作りが2004年から始まりました。日本人の住まい に対する美意識の根底に、垂直よりもどちらかというと水平方向への拡がりを賛美してきた習慣を、現代住宅の祖型として再び捉え直していこうというものです。施主さんとの最初の打合せでは、できれば平屋で、外観を横長とし、そして、内部の空間や窓の 風景も横長がいいのでは、と提案します。そして、使われる材料は、今の日本で手に入るごく普通のモノ、日本人が長らく愛用して きたモノを基本とします。柱梁は杉(+米松)、造作材は、流通とは無関係にストックされている無数の雑木が選択肢にあります。壁は漆喰、場合によっては近隣の土を練った壁や三和土(タタ キ)、床材は、杉などの国産材もありますが、唐松などの外材なども拒まずに用います。アルミサッシの代わりに木製 建具、カーテンの代わりに障子、という具合にどこかに記憶している日本の家をイメージしながら、施主さんの意見も加えながら、現代住宅を目指します。

【地方都市住宅のうまみ】
東京や大阪のなどの大都市圏では、よほど 中心から離れない限り、家は狭小立体住宅を強いられま す。小さな 敷地から最大を産みだそうと、そこには多くの知恵が注がれます。 一方、その他の地域 にとっては、狭小住宅は見ている分には面白くても、我が身のこととは思えない側面があります。「水平な家」が造られてきた北部九州から山口の地 方都市近郊で は、狭小住宅でなければならない状況は数としては少数ではないでしょうか。むしろ平屋、もしくは平屋は決して 不可能でも高嶺の花でもない、そういう住宅地を持った地域です。因習的に総 二階建てとなることがあっても、実は平屋が計画可能であるという敷地が豊かに潜在しています。まずは平屋から 考え始めるという姿勢は、自然 な成り行きとも思えます。

【原型のようなもの】
個人的な趣味や感性というより、私たちの風土として共有された美学。設計者個人の手法というより、場所の状況が作っていくプロトタイプ のようなもの。 「水平な家」は、周囲のごく一般的な家々とは、趣が異なります が、むしろこちらの方が根深い家の型を持っている。個々の趣味が野放図に顕れた町並みの中で、「数が増えても良い」共通フォーマットのようなものとなることを目指しています。

〈水平な家シリーズ〉
水平な家-ⅰ
水平な家-ⅲ
水平な家-ⅳ
水平な家-ⅴ

水平な家-Ⅱ

極普通の家が出発点ではあっても、量産的な住宅や画一的な住宅ではないものを求める人々のための「水平な家」。水平な空間と風景が、我々日本人にとって、実は深くなじみをもったカタチではないかという、問いかけである。そして、その問いかけは、空間や風景に留まらない。使う素材は、可能な限り無垢の木材を用いて、構造、家具や建具を作る。昔からの大工や家具建具職人の技術を用いて、現代の住宅を作る。壁や天井は漆喰の仕上げ。ここぞという場所には地元のキレイな土を塗る。住宅を構成する多くのもが、我々日本人が深くなじんで来たモノを新しい現代の住宅へと刷新されるために集積される。
話は前後するが、この「水平な家」は、下関の大工工務店である山下建設から設計を依頼されたことに始まる。通常は設計者が工務店へ仕事を依頼するものであろうが、近年は必ずしもそうとは限らない。施工業者が設計者にお施主さんを紹介するという先例(厳密には設計者を施工受注の引き金としている)はいくつもある。我々のケースがそれらと少し異なるのは、「水平な家」の施主は、打ち合わせを迎えるまで、専業としての設計者(建築家)が現れようとは露にも予想していないことだ。彼らはあくまでも山下建設へ住宅の設計+施工を依頼したのである。大工工務店としての設計施工、あるいは数寄屋の技術をもった木造住宅という期待をもって依頼したのである。施主にとっては、気付くとそこに身に覚えのないコンセプト=水平な、とそれを説く設計者がいたというわけである。
自社設計を請けることができる山下建設がなぜ、施主が頼みもしない設計者を起用するのか。施工が生み出す利益をむしばむかもしれない設計者、これを進んで自らの客にあてがうという行為は、まじめに考えるとおかしい。このことは、つまるところ、この会社の社長の気質というほかないが、その気質とは、数寄屋という完成された伝統を新しいものへ変容させ、それを新しい感性の施主へ提供したいという意欲の現れであった。決してその一軒の急場をしのぐという意味ではなかった。こういう意図を聞かされた設計者は、刃先のとがったような、見たこともないような個別解をめざすべきではないかもしれない。設計者という個に依拠する発明の類でもないだろう。むしろ、多くの人々に対して繰り返し用いることのできるを家を作っていくことに楽しみを見いだすべきである。
こうして、「水平な家」は設計者によって基本的な骨格が構想され、そして山下建設という地場の工務店がいつでも提供することのできる「家のひな形」を目指すものとなった。これは工務店による規格住宅といってもいい。
月刊左官教室連載「水平な家その3」より抜粋