2017. 6. 22 permalink
2012年に、設計~工事をさせていただいた、リノベーションマンション一室を再訪。お誘いを受けたのは、通常よくあるメンテではなく、映画上映するからの、全くの想定外理由。伺ってみると、DVD+プロジェクターの姿はなく、本物のフィルムが回る、いわゆる映写機と映写技術者が、ダイニングテーブルに鎮座していた。
たまたま、ダイニングテーブルから居間越しに景色を眺望する室内窓を開けていたから、そこに、映写機のレンズが挿入されていた。客席?(普段は居間)側からその四角い開口部を見ると、そちら側は完全に映写室か?と思いきや、実際にその映写室らしきに入ると、やはりダイニングキッチンそのままで、映像技師の脇で、夕食会の準備をする方々の声が飛び交っている。
いざフィルムスタート。「泥の河」1981 監督:小栗康平。いきなり、フィルムが咬む不穏な音と共に、映像や音声がスローダウンする。事前に伺ってはいたが、調子の悪さ具合が、既に懐かしいアナログ+モノクロの世界。白黒の明暗表現は、デジタルよりアナログの方が精密なのだそうだ。不穏なスタートに反して、映像そのものは確かにデジタルのように捨象されていないのか、とても美しいものだった。
ホームシアターとして機能する今日(駄シャレ)の日を、設計~工事を預かる最中にはまったく想像すらできなかった。こうなると住宅そのものがブリコラージュの題材である。転用することのたくましさが、かくもその後の生活を愉しくするのだ。設計者は、やはり全てを見越して設計することはできないのだろうか。こういう風にも使える、と思っていても、そのように使われないこともあるし、逆になにもそのようなつもりで造ったのでなくとも、施主さんやその周りの人たちで自ずから発生する用途がある。設計は基本的に考えた量がものをいう有為の行為に他ならないが、無為(無心)からも生まれるものがある、のかもしれない。
リールが全て順調に回り終わり、思わず拍手。その後、映画の時代背景に併せて、日本の「家庭料理」が続々と出てくる。映像技師交えて、初めての皆さんと歓談。原作者宮本輝も、監督小栗康平も、皆が知りたい行間の数々の一切を語ってこなかった故、あそこはこうだ、ここはこうだと、未だに話しが盛り上がる。想像の余地をあえて残したお話に私たちは見事にハマっていた。