2026. 9. 20

第222(日)トラクターの世界史

トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち 藤原辰史 2017 中央公論社

藤原辰史さんのこの本は、昨年(2025)糸島の小さな神社で講演されていたその出店で購入した。「トラクター」は確実に近代史を語っていると思ったから、現場では迷わず手に取ったが、持ち帰り読み始めるまでに一年弱、かかった。

他でもなく著者は、この歴史を掘りつつ、功罪をあぶりだす。功罪の功は、いうまでもないこと。罪は「故障、事故、購入のための多額の借金、土壌の圧縮、(中略)そして何より、家畜と異なって、糞尿を排出しないため、大量の肥料を農場外から購入しなければならなくなり、農場内の物質循環を断つ役割を果たすことになった。」このあたりは、彼の名著「分解の哲学」の内容と重なる部分だ。トラクター史として、世界を先駆けたアメリカ、そしてトラクターを農業の集団化の後ろ盾としたソ連、ナチスドイツ、ポーランドから、イタリア、イラン、ベトナム、と来て、日本の歴史に触れている。田畑を耕すという人類共通の目的に対して、耕作地の土質や耕作物、耕作規模の違いによって開発されるトラクターが異なっているのは興味深い。そして、トラクターの世界史においては、資本主義や共産主義、ナチズムの壁は厚いものではなかったと、一旦締めくくられる。

読み過ごせないのは、それら壁=地域差のことではなく、一つの機械が人類の歴史を変えたことにある。蒸気機関による前身を経て、20世紀にはいってから内燃機関を動力源として現在に至るトラクター。この高々100年ちょっとの間に、世界の農業は牛馬の農業から、鉄の馬によるものに入れ替わった。もちろん、家畜への愛情といった情感レベルを含むさまざまな葛藤が、各地で激しい論議を巻き起こした。だから厳密には、農作業を担う牛馬が、世界の隅々まで鉄の馬にとってかわるまでには、20世紀後半にまで持ち越された。逆に言えば、それだけの葛藤がありながら、更新が進んだのは、労働力短縮のための、まさに馬力があったからに他ならない。

その代償を見過ごすわけにはいかない。本書では、「代償」は「社会的費用」と代替されている。少し新鮮だ。その出どころが以下に引用されている。(宇沢弘文「自動車の釈迦的費用」1974より)

自動車のもたらす社会的費用は、具体的には交通事故、犯罪、公害、環境破壊、というかたちでとってあらわれるが、いずれも、健康、安全歩行などという市民の基本的権利を侵害し、しかも人々に不可逆的な損失を与えるものが多い。このように大きな社会的費用の発生に対して、自動車の便益を享受する人々は、わずかしかその費用を負担していない。

著者は、自動車の社会的費用の話は、そのままトラクターに当てはまるということで上記を引用している。もちろん、そうだろう。トラクターの事故は、あまりニュースとして聞こえてこないが、開発当初より一定の頻度で起こっていて、今も決してなくならないという。(日本は欧米に比べて、事故率が高いという)自動車による交通事故と同じなのだ。そして、トラクターは自動車とは別のフィールドで、同じく不可逆的な損失を及ぼしているようである。「ダストボウル」などのアメリカの土壌侵食や土壌劣化を生み出したトラクターと化学肥料のパッケージは、戦後アフリカに輸出されたが、そのことが、アフリカの砂漠化の一因になっているという。

ダストボウルで砂に埋もれたトラクター(本書p62)

トラクターは総じて人間を自由にした、といえるが、一方で、農業者を機械購入のためのローン返済に釘付けにする。日本では「機械化貧乏」という言葉が生まれた。高額な機械と燃料代を必須とする現代農業が確実に廃業動機を生み出している。

そしてICT化などの次世代農業における、今後のさらなる機械化は、いよいよ農民を農地から引き離す、切り離す、ことになる。農民のいない農地、農地にいない農民へ、は文化的社会的損失の類い、なのだろうか。

トラクター史は農業のあり方の過去未来を俯瞰できたが、当然ながら、建築という工業にもそのまま当てはめることができそうである。特に、「農民を農地から切り離す」あたりは、職人を現場から切り離す、ということと、なにも変わらない気がする。(フィジカルAIなど)設計者にとっては、はなおさら「現場不在を可能にさせる」機械化が完遂しようという勢いではないだろうか。当面の利益が万人にとって魅力的だから、なんと言おうと、機械化は進むのである。しかし最終的には、人間にとって、それをやっていて面白くなくなる、という文化を曰う以前の、人間の尊厳に関わるところに還ってくるのかもしれない。

本書の締めくくりの部分ではないが、とても示唆的で、人類共通の性のようなところ、最も根源的で、超えていくことの難しい部分に読み入ったので、引用する。

「本書が明らかにしたのは、機械の大型化に向かう『力』は、決して大企業の一方的な力などではなく、農民たちの夢、競争心、愛国心、集落の規制、大学の研究、行政の指導と分かち難く結びついた網のようになっており、だからこそ、根強く、変更が難しいのである。」

2026. 7. 19

第221(日)技術の葬式?

久しぶりに、漆喰と木の室シリーズの一室を仕上げた。2001年から初めて、もう25年、一発もの的な作品ではなく、一つの型をもった継続プロジェクトとして続けてきた。villaTAGAという築42年(1984年築)の木造の2室の「漆喰と木の室」化。賃貸の改修の面白み、というか優れた社会性と思われる部分を痛切に感じている。既存利用による、省資源、省エネルギー、もしくは、低炭素の概念は、リノベーション一般がそうであると言われている。しかし、リノベーションの中でも、中古賃貸住宅の改修は、最も廃棄が少なくて済む可能性があると思い始めている。事務所を開いて30年、年月に比例して、改修はしてきたが、改修とはいえ、便器などの陶器類を主に、まだ機能的にも意匠的にも使えるものを廃棄するシーンは、少なからずある。部分的な刷新だからこそ、新しい方が気持ちがいいものは、機能上差し支えなくても、廃棄される。

その中で賃貸は、たとえ「リノベ物件」として生まれ変わるタイミングであっても、入居者が入れ替わる原状回復工事の考え方で言えば、使われるものは何も新品でなくてもいい。前入居者が使っていたことは自明であるから、使えるものは、取り替えなくてもいいし、仮に取り替えたり追加したりするものがあったとしても、新品でなくても良い、ということになる。入居者を迎える清掃を前提の上、問題はその空間が行けてるかどうか、である。

照明器具や、各種金物、など、何かの改修で廃棄されそうになっていたものをもしストックしているならば、それらは、この賃貸で日の目を見ることができる。今回の工事では、直近で別の改修現場から回収されてきたポリカーボネード板の半透明板を所定の寸法に切断して、通風窓の目隠しに用いた。5ミリ板だから、それなりの値段だが、材料代は0円。他にも多くの、ストック材を用いることによって、改修は、隅々まで行った。それらは、モノの値段は無料であるが、取り替えたり、再加工したりする手間は、2室で50人工ほどになった。(左官工事含む)手間をかけることによって、廃棄されるものが、無理なく、むしろ、手間をかけるという今日的な希少性によって新たな空間づくりを支える。廃棄率の概念の手前で、廃材利用性、廃品再利用性、といった吸収力のようなものが、賃貸住宅市場におけるリノベ物件に内在している。

そんな、廃材利用の積み重ねの中で、賃貸だからこその、新しい材料で刷新される(すべき)工事もある。ふすまの張り替えである。2室共に、いくつかの既存の襖があり、それを袋貼り(枠を見せずに、全部紙で建具を覆い尽くす)で張り替えてもらう。いつもの大雅堂さんに電話すると、すぐに現場にきてくれた。が、話を聞くと、案外忙しそうなのである。案外とは失礼、襖のある家は少なくなる一方で、張り替え工事そのものが、激減しているのではないかというイメージがあったが、直近の新築のマンションにも和室はあるらしく(結局なくならない?)また、福岡市内には、市営団地20万戸という、潜在市場があるという。それらから、一年を通して一定の張り替え依頼を受けていて、今、ちょっと盆前までの仕事が集中しているという。そんな時に、漆喰と木の室は、基本的に、襖を袋貼りに改修してきたから、それをお願いすると、ちょっと手間がかかるから、時間が読めないんですが、と返される。ならば、納期は約束しないでいいから、袋貼りでお願いします、とゴリ押しする。

2週間後、結局は、所定の時間内に、大雅堂親子は、新調された襖計8枚を持ってきた。

「要望通り、袋貼りにしてきましたよ。これもうできる人少なくなってきたんですよ。私81歳になりますが、息子がまだここらへんをできなくて」と、自慢と不安を同時に投げかけられる。この襖職人さんともかれこれ20年弱のお付き合いだったか。息子への技能継承が課題のよう。襖というインテリアの部位は、なんとなくのイメージに反して、機能的にも意匠的にも現代の生活(空間)にとって、まったくもって楽しいアイテムだと思っている。(障子戸も同様に)でも彼らのような、材料と技能に向き合える職人が居なくなれば、設計者としてのこちらの手が減ることになる。(私たちの手が減れば、世間の愉しみも減る、と大きく言ってみたい。)襖工事の需要はあるかと思える雑談だったが、果たして、現在81歳が持つ技能のクオリティーは、継承されるのだろうか。

襖職人は、続ける。

「あっちの部屋の開戸は、これまで張り替えてきた人が、紙をはがさずに、張り足し張り足しでやってきていたから、結局枠内がキツくなって、木枠を削り始めていました。私は、枠を外して、紙も外して、まっさらにして貼り直したので、開けにくかったのが治ったと思います。こんなことも知らない職人がいるんですねえ」

彼らとの、こういった技術に関わるちょっとした話がとても面白い。材料と技能の話ができない職人と話が盛り上がるはずもない。

翌日の今日は日曜日、といえば「日曜美術館」だが、現代美術家の杉本博司さんの写真展を巡る題材だったので、私は画面にロックされた。かれは、いつも一つ一つ自身のやることなすこと全部説明できる状態の人だが、今回の写真展は、「絶滅写真展」というタイトルどおり銀塩写真技術の葬儀の意味が込められているという。だからこの写真展の入場料は、入場料というより香典なのだ、と。

杉本さんもまた、すこぶる職人的な人である。さまざまな作品や手前の実験装置を自ら、作る。生業である写真技術も、現代のそれではなく、過去の伝統的な技術=銀塩フィルムを徹底的に習得した上で、そこから現代美術として、写真を送り出してきた。その彼が、自らマスターした歴史ある写真技術への継承?未来?を断念した、という宣言なのである。デジダルよりも、銀塩の方が、100倍以上の情報量があるのにと、悔しさをもって、しかしながら、少なくともこの現実は受け止めるしかない、と動かせぬ認識を楔(くさび)のように自ら打ち込んだかのようである。おそらく襖(ふすま)の話も似たり寄ったりなのだろう。

2026. 5. 24

第220(日)「雑口罵乱」(ざっくばらん)

2024年の暮れに、滋賀県立大学で、お話させてもらったものが、本になって戻ってきた。テープ起こし(今はテープでないから、「文字起こし」)から、編集、原稿づくり、のすべてを、学生数名で分担して、本にする。「雑口罵乱」(ざっくばらん)と名付けられた本は、2006年から始められて、今回で12冊目。一冊に4~10名分が記録されているとのことで、私は81人目の記録のよう。学外からゲストを呼んでの座談会〜出版は、布野修司先生が始められたとのこと。こんなに大変なことが学生主体で続いていることに驚くとともに、学生にとっては相当な勉強になっていると激励の意を込めたい。

校正依頼と共に、文字起こされた原稿が送られきて、恥ずかしながら話し言葉は、論理的不備が目立つと思いつつ、30年ちかく建築をやってきて、内容はともかく、思いのほか、やってきたこと考えてきたことの身の丈が話せていたことにも、我ながら驚く。文字化によって私自身の自己反省の機会を与えてくれた滋賀県立大学の学生さんたちに、密かに感謝の念が生じる。

さて、自分の部分は編集時にそれなりに手を入れたから、改めて読むまでもなかったが、この一冊に居合わせた他の三名の方の記事を、読ませていただいた。2023年に2回、2024年に私含めて2回分。誰が呼ばれるかは、基本的に学生が主体となって決めるらしいが、この4回は、たまたまなのか、仕組まれたのか、あるいは、時代という大きな波がそうさせたのか、なにかの共通点、というか私自身にとっては共感する部分が多分に含まれていることに、再度驚いた。一冊の本に居合わせたのは偶々に過ぎないはずだが、思いのほか、これは何某かが通底した一冊なのではないか、と読み進めながらゾッとした。この「雑口罵乱」は、しかし①~⑦までには、値段がついてるが、⑧号以降、非売品になっている。これは思いのほか、勿体無いのでは、とも。読んではいないが、他の号の同居者をみると、決して一冊に一括りできるような面々の方々ではないことにも気づく。

詳しい評論はあえて避けたいがこの共通項を言葉にしないではおれない。「旧来の建築家的思考や行動規範に捉われない、建築との関わり方について」か。長く生きていると、知識ではなく、実感できることが脳を支配するようになる。建築に限らず、職業が人を育てる、ということをつくづく思う。人と会うと、その職業からこういう発想や行動や言葉が生まれるのかな、とその関連性が妙に気になってきたりする。もっと言えば、その人がその職業に対してどのように取り組むか、職業の種が人の全てを決めてしまうような単純な話ではなくて、職業×人の掛け合わせが、人を育てる。相性の問題ではあるが、でも職業と人はデフォルトでは対等とはいえない。その職業の性格は広く社会がそれなりの時間をかけて作り上げてきたもの。人は、その性格に一旦飲み込まれる。一旦飲み込まれつつ、そこから自由になれるかの命題。

直近の滋賀県立大学の学生の指向性なのか、全国的なものなのかは、よくわからない。私がこの時そこで話した言葉で要約するなら、構想者=設計者と実行者=施工者と分かれて造られてきた建築(作法)への、明解な批判である。4名共である。やっぱりもうちょっと要約するなら、人間中心主義から自然中心へ、哲学的であるよりはスピリチュアルあるいはアクティブ、トップダウンよりはボトムアップ、技術的解決の前に、身体的アプローチ。あるいは、できたモノの批評というより、どうやってつくるべきか、どういう姿勢であるべきか、というプロセス論。レクチャーの後の座談会において、それら共通問題の園へ各々が向かう。

このようなことを、学生たちの一つ一つの志が無意識に求めたのだろうか。若い魂がカタチの次元ではない問題を、なんとなくだが気づいているのだろうか。目立たないけれど遍在する無数の歪み、あるいは節目のようなものに彼らは指を差していた。

(読みたい方、お声がけください。差し上げます。)

 

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2025. 12. 28

第219(日)五行に2度合う

先日、面白い現代音楽を聴きにアクロス円形ホールに出向くことがあった。「自然真営祭」というピアニスト河合拓始(かわいたくじ)さん率いる楽団の皆さんによる、自然真営道/安藤昌益(1703-1762)の文章に曲をつけた戯曲?劇?コンサート?である。安藤昌益は、「自然の中での労働に全ての真理がある」とした江戸時代の医師、思想家、哲学者である。彼の思想には、陰陽五行の「五行」が下敷きになっているらしく、言葉と身体の関係とか、口や鼻との関係など、やはり相生と相克の関係論で説明されていた。(正確には、彼は五行のうち「土」を別格に持ち上げて、他を4行とした、という)音楽の歌詞といえば、特に歌謡曲などは、恋心などの個人の心内を歌ったものが大半だが、より概念的な思想の類を楽曲として表現するというのは、なるほど深いと思った。河合さんがその思想の文言につけた曲がまたとても良くて、聞き入った。だからか?にもかかわらずか?私は音楽を聴くときはあまり歌詞を追わないので、肝心の昌益の言葉は、ほとんど馬耳東風となってしまった。アナーキストとされる昌益の本性は骨太だから、そのくらいの聴き方の方がもしかしたらちょうどよかった、ということにならないだろうか。河合さんによる和音の進行がここちよすぎた、ということにでもしておこう。

このコンサートの2日前の日曜日、IARP本部講師ヨガ講習会にて、やはり人間の身体と五行の話だったことを思い出した。五行とは、世界のあらゆる現象や仕組みを木・火・土・金・水の五つの要素と関係性で捉える、古代中国の思想体系。古代中国とはいつかというと、「黄帝内経」という中国の医学文献の中で、身体と自然と宇宙を陰陽五行により説明されているということで、黄帝(紀元前27世紀)まで遡るということになる。ちなみにchatGTPによれば、黄帝は実在する人物ではない、あるいは一人の実在する人物ではない、とかなり不在説寄りだった。が、私は、この場合の彼(chatGTP)はクラウド上の情報に惑わされているな、と思った。実在しなければユンケル黄帝液はどうなる?というような心配はしないが、でもこう言う時は、聖徳太子とか神功皇后とか、神代の天皇とか、著名人物ほど不在説が伴うという法則を差っ引いて考えるようにしている。実在が科学的に確認されてないなら、事実が確認されていない、という事実だけを踏まえておけば、あとは彼らが言った、行ったとされることを素直に受け止めればいい、ということにしている。(そういう傑物を作り話として作り上げたとしたら、それも尊いことだと思う)

陰陽五行の五行は、五行相生(そうせい)と五行相克で成り立っていて、相生は、たとえば「木は燃えて火を生む」というふうに、互いに生み合う関係。そして相克は、たとえば「木は土の養分を奪う」というように、互いを抑制する関係。この対照的な関係性が両立していることによって、全体が成り立っているというシステム論というふうに受け止めた。

そして、聞き入ったのは、この五行が人間の身体の営みの中に仕組まれているという。図にあるように、『水』は、腎臓や膀胱などの人間の身体の水分を浄化する役割のことを指していて、それが活発に働く時間が夜の21時から1時の間と決まっている?という。『木』=肝臓/胆嚢 は、体外から入ってきたものを解毒する役目だが、それらは『水』の刻の次、夜中の3時から朝の7時の間に、この役割が活発になるという。『水』~『木』の刻、つまり、日が暮れている間にこれらの臓器が体の回復を施すから、その時間は当然ながらきちんと休んでいなさい、となる。そしてこの時間は、食べ物を消化する時間となるべく重ならないように、寝る前の3時間は飲食をしないように、となる。ずばり、夕食は18時に食べ終わっているべき、のようである。お寺の食事は今でこそ3食だが、かつては、2食、1食、つまり夕食は食べないものだったらしいから、これらの理にかなっている。

自分も、時々夕食抜きをやるが、これがとても身体にいいことを実感している。睡眠の質もいいし、翌日のお腹の感じもスッキリしていて快適である。「空腹はなぜいいか」石原 結實(2015/php文庫)にも、16時間断食の計り知れない効用が述べられていた。 現代のお寺がなぜ3食になったかは、多分、世の中の3食の習慣に従っているからではないか、という天台宗の雲水でもあるヨガの先生のお話しだった。確かに問題は、我が身の周りとの社会生活上のギャップである。私は夕食抜き(と決めた)日に宴会のお誘いをいただくと、「その日は宗教上の理由(ラマダン)で、出席できません」と半分冗談、半分ほんとのことを言って、失礼したりする。心身をすっきりとさせるべき予定の前日は、飲酒諸共夕食を抜く、の絶好の機会にしている。

2025. 8. 17

第218(日)スピングラスと吉阪隆正

「spinglass exhibition」を恵贈いただく。展覧会のサブタイトルに、「非線形の物語」とある。非線形とは、本書末の鼎談で松岡恭子さんが述べられているとおり、「方程式があって、それに従い、自動的に、ルールに従って、結論が導かれるのとは異なり、結論に直結しない増幅性や複雑性を意味する語である。」この意味が、スピングラスという事務所名として結実している。「スピングラスとは、電子スピンがバラバラな方向を向いたまま凍結された物質の状態のことです。バラバラなためにスピンの間にフラストレーションが生じていますが、凍結されたことで時間的に秩序をもった状態であると考えるそうです。物質で例えるなら準安定状態の黒曜石やガラスのようなものだと説明を受けました」

建築をつくるプロセスや、建築が時間を重ねて社会に使い込まれていく生き様にも、そして各人各要素が、個性を保ちつつ、全体としての安定に寄与して、社会に成り立っている、という世界。

書籍になる前に鼎談としてこのようなお話に参加させていただき、その時は、スピングラスという普段づかいではない耳慣れない響きの背後の、その意味に、なんとなく聞き覚えのある親近感が湧いていた。その時は気づけなかったが、これは、「不連続統一体」ではないか、と後で思った。建築家吉阪隆正(1917-1980)の後半生を貫く世界観が詰め込まれた語である。暑い休みに入り、倉方俊輔さんの「吉阪隆正とルコルビジュ」王国社2005 を引っ張り出して、そのあたりを再読。この言葉には、大きく三つの柱が見出せると纏められていた。最初は「組織論」。一人一人の個性が最大限に発揮されることで、全体の調和が得られるような組織のあり方。支配と被支配の関係ではない、組織の決定機構。吉阪研究室内での設計作業の中で、吉阪が各メンバーの働きを最大限に引き出すように、その距離感を計りながら運営されていたことを事例に、「人」と「人」の間の不連続ながらの統一について。言葉の出発点はこの「組織論」だとされる。二つ目は「形態論」としての「物」と「物」の関係をさす。一見するとバラバラに見える形態が寄り集まって全体が出来上がっているさまのことだが、その時、全体の分割として部分が成り立っているのでも、部分の総和として全体があるのではない、が添えられる。部分と全体の有機的関係、形態同士のコミュニケーション。そして三つ目は「計画論」。人々が個性の元に生きる現代では、これまでのように隣り合う物同士が「連続」しているとは限らない。隣接性や類同性だけにたよらない、「分散」や「可動」「更新」といった(建築の強い枠組みとしての「集中」「固定」「不変」のイメージを解体することによって立ち現れる)「不連続」の中に「統一」を模索しようとした。不連続な個々が連続している(discontinuous continuity!)ということを、建築のみならず、工業製品から地域計画に至る人間の造作物の理想とした。

吉阪さんの「不連続統一体」は、本人が言説として詳細を定義していないため、意味深長なキーワードだけが禅語のように残った。上記は倉方さんの著書から自分が要約したものだが、言わずもがな、吉阪門下の方々はじめ、後世、歴代、さまざまに語られてきた言葉である。

そこから幾許かの時間がすぎて、全く別の場で、松岡恭子さんがスピングラスという語を用いて、吉阪さんが求め歩いた理想の何某かを掘り起こしたのではないか、と考えると、興奮が治らない。本書鼎談にも記されているが、建築を学ぶにあたって、早稲田に行きたいと思ったことがある、という衝撃的な告白と、それとこれがどう関係するかはわからないが、異口同音の両者の概念には、もはや、目を逸らし、馬耳東風を装うわけにはいかない。

ついでながら、丁度読んでいた書籍の中に、スピングラス、不連続統一体、を思い起こさせる内容に出くわしたので、以下引用させてもらう。

「家族的行動決定機構」>モノに心はあるか>森山徹>2017新潮選書

郡司ペギオー幸夫氏(早稲田大学教授)の近著、「群れは意識をもつ この自由と集団の秩序」では、お笑いトリオのダチョウ倶楽部の「熱湯風呂コント」をヒントに考案された数理モデルが、沖縄の西表島に生息し数千、数万個体から成る群れを作って干潟の上を練り歩く「ミナミコメツキガニ」というカニにおける、各個体の自由な運動と、まとまった群れを両立する仕組みとして紹介されています。では熱湯風呂コントとは、どのような内容なのでしょうか。

このコントでは、ダチョウ倶楽部の三人、肥後、ジモン、そして竜兵のうち、誰かが目の前に置かれた熱湯風呂へ入らなければなりません。もちろん、誰も入りたくないので、押しつけ合いが始まります。しかし、やがてリーダーの肥後が、「わかったよ。まあ、芸人としては目立てるんだから、それはそれでおいしい。よし、オレがやるよ!」と手を挙げます。すると、ジモンも、「いや、それならオレがやるよっ」とむきになって手を挙げます。最後に、残された竜兵が渋々と、「じゃあ、オレもやるよ」と手を挙げます。すると、間髪入れず、肥後とジモンが「どうぞどうぞ」と引き下がり、竜兵に熟湯風呂へ入る役を譲る、というより、「見事に押しつける」のです。

郡司氏らの研究チームは、群れの中のミナミコメツキガニの個体を観察した結果、個体それぞれが、肥後やジモンのような、「身を引くことを前提に、積極的に手を挙げる役」と、竜兵のような「皆がやるならと、消極的に手を挙げる役」を適当に使い分けていると予想し、そのような性質をもつ仮想のカニをコンピュータ内にばらまき、様子を観察しました。すると、仮想カニは、自分の動きを自由に決めながらも、野外における実際の力ニの群れのような、まとまって練り歩く集団を作ったのです。

各仮想カニは、自由に目的地点を決め、そこへ向かって動くことを繰り返します。しかしカニは大量にいるため、複数個体が同じ地点を目指す場面が頼繁に生じます。例えば、三匹のカニが同じ地点を目指そうとしているとします。この場面を、ダチョウ倶楽部の三人が熱湯風呂を前にハイハイと手を挙げている場面と同様と考えます。すると、二匹の仮想カニは、「どうぞどうぞ」と言わんばかりにすっと行先を変えて別の地点へ向かい、残りの一匹が、風呂へ入らざるお得なくなった竜兵のごとく、その目的地点へ「至ってしまう」のです。

このように、各仮想カニは、自由に行先を決め、あるときは肥後・ジモン役、あるときは竜兵役になることで、衝突せず、運動を続けるのです。そしてこのような集団が、結果として適度にまとまり、同時に、各カニが自由な運動を実現できる群れを形成するのです。

「家族的行動決定機構」は、メンバーが自由で、かつ、全体がまとまっていることを特徴とします。その背景には、メンバー同士の普段からの「手放しの信頼」「自由であることの尊重」があります。ダチョウ但楽部モデルは、家族的行動決定機構の要である「手放しの信頓」や「自由の尊重」といった仕組みを説明する、最も単純な原理なのではないかと、私は考えています。(引用終)

動物行動学の分野でもこのような研究がされているということが、蚊帳の外から見るほどに新鮮である。個々が(ある程度)自由であることによって、全体がまとまっている、という組織論は動物にまで遡ることができる。そのような社会環境から人が建築というモノを作っていく時に、作られたモノにもスピングラス的な同様の構造を見出していく、というモノをつくる前提となる考え方=思想である。確かに建築は、ダイヤモンドの分子構造のようなものをモデルにして目指すということもできるかもしれない。でもやはり、自分もそこは、スピングラスだな、不連続な統一の方だな、と思う。もし建築がダイヤモンドを目指す思想しか許さないモノづくりだったならば、自分はとっくに、挫折していたと思う。