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2014. 9. 21

第152(日)ハムスターホイールライフ3(HWL-3)

少子化や、鬱病、自殺、介護、財政難、ダイバーシティ、そういうものを一気に解決する策として、「長時間労働をやめる」べきとの、小室淑恵さんの発言を見つけた。http://www.yomuradio.com/archives/657

すべてを一気にというのは、言葉の勢いもあると思うが、労働時間に関する以上、少なくとも働く社会人にとっての諸問題を解決しようとする提案としては、賛同したい。なによりもハムスターホイル状の社会構造までもが浮き彫りになっている。

長時間労働は、たぶん日本人にかぎらず、向上心とか責任感とか、所定の気質を抱えた人間であれば、世界中のだれもがそうなりえるものだと思う。それ以外の人々に対して意味を持つ警句では決してなく、また長時間労働が、体質的にも社会的にも板についた人種にまで遡及する金科玉条とは思えない。あくまで一般論として、労働時間という解りやすいジェスチャーに頼る評価軸を解体していくべきだというところに説得力があるように思う。

いや、やはり、長時間労働は、日本人の勤勉さの副産物なのかもしれない。欧米などでは、この悪習はとっくに社会のメインストリームでなくなっていると、フェイスブックの友が報告してくれた。ハムスターホイルの回転速度を自制できるハムスターなど求めるべくもないが、今私達(日本人)には、この勤勉さ、まじめさのエスカレートの「仕方」を自制できる人間が必要なのかもしれない。

勤勉さの裏には、もしかすると自我と無我が混在している。無我夢中になって時間が過ぎたというなら、それはそれほど尊い時間はないだろう。が、こうなりたいああなりたいという自我あるいは欲に裏付けされた勤勉は、見かけ以上に、似て非なる時間であるかもしれない。あわよくば前者のように、自然に実る濃密な時間を送れるよう心がけてみる。そして人を動かす立場の人間であれば、時間ではなく、その質を見抜く力も当然のことながら必要になってくるだろう。

一人一人の労働時間が制限されても、それによって一企業の従業員の頭数が増えたとしても、集中力が個々に発揮されることによって、むしろ、結果のコストは安くなると小室さんは言う。優秀な人間に、より多くの仕事を任せるほうが上司や雇い主は楽なのだが、一人の人間をハードドライブさせるのは、結果的には非経済に繋がる可能性を持っているのだ。さらには、介護施設や保育施設、学童保育など、今足りずに必要とされている国家的サービスは、働く世代が働きザンマイであることが原因であるから、一人一人が身の回りのことを外注せずに生活することができるようになれば、自ずと国家の財政難は緩和するだろうと。。

親などの介護を、お金を払って他人にまかせっきりにするのではなく、働きながら、自らが行う。我が人生を職場で一仕事上げたい、という人間にとっては受け入れがたい小事(大事)である。そこを工夫して、仕事とそれらを両立させる。もちろん親が仮に子供であっても同じことである。個人的には、イクメンなどもっての他だと思っていたが、この石頭はこれからの社会の仕組みの中に沈んでいくものであるかもしれない。(実際、個人的には親の介護と子育ての挟み撃ちにあっている。)

ハムスターホイールは、別ないいかたをすれば単純な話、ゴールを迎えることのない「負のスパイラル」のことであり、現象としては長時間労働、となる。そんな時、何処にゴールを見るか。ハムスターのように目前を見ているだけでは、ホイールの中だけで走り続けなければならない。常に遠くを見ているだけでは、日常生活は送れないかもしれないが、時々、ホイールの外(と思えるもの)を遠望してみる。これが、ホイールのスピードをコントロールできるきっかけになるかもしれない。

より大きな(というか「奥深しい」)目的を掲げて生きるというのは、普通に生きていると必要なさそうであるし、また見失いがちだ。でも、時々に自身を大きく省みてみるのもいいのかもしれない。外から型にはめられたようなものではなく、自律したコンディション、スピードで走り続け、そして仕事をきちんと成す、なんとも大人びた大人に、より大人は見本をシメさねばならないのかもしれない。

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