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2007. 11. 4

第16(日)競争社会

本業はあくまでもモノを作ることだと思っているが、普通の人より大学に長く居たせい(留年ではない)か、今だに大学に脚を運ぶ癖がぬけないままでいる。この秋は2つの大学の授業(厳密には3大学)が重なってしまい、両者を気ままに往復する、遊撃手のようなあやふやな先生業を渡っている。地元F大では大学院1年生、T大とW大は学部授業(3年生)としておそらく日本初の統一課題による合同製図授業に紛れ込んでいる。授業だからどちらも毎週の出来事である。一週間は本業5日、先生業2日の配分に分けられるが、目下のところ心身の摩耗が大きいのは、合同授業である。往復2000kmを越える通勤?だけが、摩耗の原因ではない。大学の授業を越えた、ただならぬ空気がある。WはTにライバル心を燃やし、Tはプライドを燃やす。学生だけが競い合っているのではなく、先生同士も、純粋学内にはない肩の張り合いがあるのは否めない。「若い先生」と称される我が身の属する階層は、殆ど学生と同じ緊張感でもって、この競い合いの先陣に立たされているのが実状である。
こんなのっぴきならぬ状況は、ひとえに大学同士が誇りをかけて、将来を掛けて競い合っていることが根元であるが、元々、こういう状況にでもしないとグローバリズムという厳しい環境に生き残れそうにもないから、というふうに個人的には受け止めている。少なくともデザインの中央集権である関東、の2大建築学科が競い合う、同時に企業合併のような原理の生き残り作戦を行い始めた時に、その他の地域の建築教育と実務はそのまま傍観者でいいのかという意見が自動的に湧き起こる。関西を九州と同列に扱うわけにはいかないと思うが、すくなくともそれよりも地方的な地方は、それこそ教育的合併によって、人的可能性の底上げと適度な緊張感を得ねばならないだろうことはいわずもがなである。実際、そう言う動きもたくさん出てきているが、これらは過渡期的実験的であり、建築学生にとっては、選択科目もしくは課外授業でしかない。おそらく、TとWの闘争的合併事業は、これからの建築教育の焼き入れ法として各地へ波紋を及ぼすのではないかと思っている。
競争原理の浸透は実社会と受験戦争の間に小さな聖域を為していた大学の学部教育にまで及んでいるということである。まるで筆者は内野VIP席から早慶戦でも観覧しているかのような書き方であるが、これだけは誤解を払拭しておかねばならない。なにも学生だけが、競争社会の地域差に甘んじているのではなく、そのまま社会人的領域まで同じであるということを実感してのことである。つまり、競争とそれによる産物のレベルはより都市が先導しているという地方停滞「節」である。いまのところそういう構図を覆す本格的な論理は存在しない、もしくは発言権に値するものを得ていない。収入や賞賛がその人の存在意義のバロメーターとして優位である以上、競争は過度に向かうのみであり、良きに付け悪しきに付け勝者と敗者の輪郭を強める方向に働くのみである。勝者をあぶり出すだけならよいが、(他人が彼を貶めるというより)自らを進んで敗者に陥れるナイーブをも生み出す。一方、競争の少ないところでは、決定的な勝者を生み出さないかわりに泥沼の敗者になることを免れる。このことをどう受け止めるか、二者択一では解決しない難しい岐路が内蔵されている。

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