2007. 10. 28

第15(日)サンマの思いこみ

もう聞かれることもめったにないが、趣味は?と聞かれると、食べることと寝ること、と言うことにしている。普通の人であるなら、それは自らの「家」での行為であるから、普段の仕事は人様の食う寝るに関与していることになる。
今日は、夕方から(他人様にとっては面白くもなんともないが)自己完結的なその趣味に従事することにありつけた。食べるといっても、出されたモノを食べる前に、料理そのものに身が躍動する。季節は当に秋。文章的には一句詠みたいところであるが、無学を露呈することにする。午後3時ごろ、日が低くなりはじめるころ、「炭火」を心に決めて、市場に出かける。秋の炭火、といえばサンマというのが犬でも思いつく。それが、珪藻土を圧密成形した七輪の上に乗っていれば、りっぱな日本人の秋だ。だが、この固定観念は、残念ながら駆逐せねばならない。思えば、20年近くまえ、出来たての水戸芸術館(茨城/磯崎新設計)を見学の後、九十九里浜に抜けて、寝ていた魚問屋をたたき起こして譲り受けた秋のサンマを、太平洋に向かって七輪と共に差し出した。その時は、無邪気な自分と仲間達、そしてなによりも大きな海が、料理の精度をうやむやにした。単純にもそれから十数年、サンマを美味しく食べようというときは、七輪という固定観念がぬぐえなかった。
だが、まずは、長さが合わない。Φ100直径程度の七輪から、サンマはいつもオーバースケールであった。それにも増して、炭火はサンマの脂に我慢することなく発狂の一途であることが常で、挙げ句の果て、身も油も燃え尽きた肉片に甘んじることを余儀なくされた。その現象に疑問と解決をもたらしたのは、漸く齢30代も尽きようと言うこの秋であった。道具はもはや、風流な七輪などではなかった。ミツロウワックス製造の抜け殻、転がっていた「一斗缶」である。この処分に困り、上面をベビーサンダーでくり抜き、下方側面に穴を空けて、即席バーベキューキットとした。想像のとおり、七輪や市販のバーベキューキットなどより火元と網の距離が長い。遠火の強火とはかねてより知ってはいたが、これほどの不合理が有利に働くとは思っても見なかった。いうまでもなく、熱力学的には、効率をいくばくか失ってはいる。そして、代償として時間を払わねばならない。だが、あらゆる食材をじっくりと旨く料理してくれる。内部から旨味がしたたるものであればなんでもそうであるが、サンマのように、内部の油を外皮が保つことができる構造であれば、それが保たれる程度の環境を維持してあげれば、もうそれでいい。つまり原理としては、起こったばかりの炭火にサンマとは、火に油を注ぐ行為でしかない。前座、というか若々しい火にはイサキや、イトヨリ、焼きなすに長野産あたりの長ネギ一本焼きあたりでヒマをつぶすべきである。家族からどんなにせがまれようとも拒否する権限を行使したい。いよいよ、死にかけの弱々しい火になったころを見計らって、刺身にもできるサンマを一斗缶コンロに載せる。30分ぐらいは、それから執着をはなれる。ビールの宣伝に出没する七輪の上の黄金色のサンマは、本当はあれでは難しい(私の今の力量では)のである。
七輪に限らず、ヘッツイなど伝統的な熱源の原理は、最小限の燃料にて最大限の火力を得るようにできている。今の車が燃費を競い合っているのと同じ原理の賜物だ。だが、それが作り上げた慣習のようなものをカタチだけ、イメージだけで引き入れようとした自分は、長らく過ちを犯し続けていた。その原理的なニアミスを20年掛けて漸く是正するに至ったのだと思う。サンマと七輪がどこで幸福に暮らしているかという問題は、私には解らず仕舞いであるが、まあ、それはまたいつか判明するであろう、と頭は日曜日に甘んじることにする。

 

2007/10/21 都心の空の下。

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