2008. 11. 23

第57(日)新旧のハザマ

昨年に引き続き、母校早稲田と、東京大学との合同課題となる設計製図授業に関わっている。先日、できたてほやほやの福武ホール(安藤忠雄氏設計)にて、最終講評会を終えた。課題は急速に多国籍化する西葛西の公団団地周辺への提案。今年は、講師陣同士のクリティックに接近戦の一場面があった。その前衛でサヤを抜き合ったのは、双方を代表する諸先生であったので、自分を含めて若い先生達は蚊帳の外、フォローコメントにてむしろ場を沈める立ち回りに終止した。問題となったのは、建築という歴史的概念への疑いであった。この時争点となった歴史的概念というのを平たく言うと、建築は動き得ず、なにか歴然としたカタチをもってそこに在るモノ、という見地になるだろう。さらには、西欧建築でいうならカテドラルの壮大な空間と、その上部からこもれる光、といった聖性なる要素、もしくはハイアートの側面を加えていいかもしれない。日本の建築でいうなら、播磨の浄土寺浄土堂の内部空間がそれに当たるだろうか。早稲田の学生のある提案の一つは、明らかにそれらの建築的古典の理想美を根底に暖めて、現代建築として表現しようとしたものだった。懸命ではあったが、古典美であるがゆえにその根拠は棚上げされ、自明のこととしてプレゼンテーションがなされた。そういう態度に対し、ある若手建築家から「私的な愛好にすぎない」の類の厳しい言葉を受ける。サブカルチャーとの垣根の不明瞭な現代の建築の潮流からすれば、そんな古典的な理想を盾にされても手放しで認めるわけにはいかない、というような行間であっただろう。そこから双方、大小の論争が始まる。東大の提案のいくつかには、歴史的な建築概念(美)とは決別したもの、(古典的)建築的な提案にはこだわらないものがいくつも見られた。住人のめいめいが傘をさすことによって一時的に緩やかな空間をつくる、とか、植物が整然と内部に並んだ白い抽象的なフレーム、とか、カーポートだけで団地をよみがえらせようという案、本棚のようなものがひたすら団地内を増殖するプラン、など。いずれもが、モノモノしい提案を避けて、人間の生活をダイレクトに扱おうとしている。不況時代の風を敏感に受け止めていて、それ自体、時代に相応しい。
一旦、そのように受け入れたときに、あの、建築の古典美、歴史意識のようなものはどこに置いておくべきなのだろう。暗闇を抱えた物体、星霜を積み重ねてそこにあり続ける物質、存在の力強さ、鈍い光、深い光、濃密な空気、そんな類の建築は僕たちにはもう必要がなくなったのだろうか。にわかに理屈が見つからない。

 

 

 

 

2008/11/16 合同講評会(東大福武ラーニングセンターにて)

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