2008. 11. 9

第56(日)最先端の不安

昨日、とある講演会に事務所スタッフ総出で押しかけた。地方都市には、数少ない貴重な機会である。実務漬けにならざるおえない輩にとっては、気分転換でもある。話は海外建築家の近作について。これらスーパースター達の作品は、彼らの自国内に建てられるよりも、国境を跨ぐことが普通になってきたとの事実を知る。普段あまり雑誌を見ることのない自分にとっては、貴重な最新?情報であり、学生達が必死になって造形している、その模倣元を嗅ぎつけたことのいささかの快さをも感じた。
だが同時に、(不本意ながら)これらの最先端デザイン群からいささかの感動も得ることができなかった。新しい建築に感動することは建築をやっている者の特権であるはずなのに。正確にはいくつかはその範疇を逸れるが、多くは世界の建築の最先端と言えるにも関わらず、感動の代わりに、これが英知の見ている世界なのだろうか?という疑い、もしくは不安のようなものを感じてしまった。その理由はいくつもあるだろうし、この日曜日だけで言い尽くすことは、基本的に無謀である。あえて乱暴に一言で表現したら、それは、肥大化した人間のエゴイズム、のようなもの、そんなようなものを作品の背景から一方的に勝手に感じ取ってしまった、ということになろうか。そしてそれは、作者に問題があるのではなくて、現代人が共有する根源的な問題が露呈しているのだろうか。
明日、グローバリズム時代のリージョナリズム(地域主義)について、という命題の基で、自分は話をすることになっている。昨晩とはある意味180度逆である。共通部分はあるが明らかに異なるのは、他の追従を許さない、唯一無二の傑作だけが建築の目的ではないという論旨。それから、やはり、人間のエゴイズムを利用して拡大するようなシステムに依存しない、つまりエゴイズムを放任しない、という態度が昨晩とは異なる、と思っている。ここらへんのことをもう一度励まして貰おうと、ドイツの経済学者シューマッハ(1911-1977)の言説を読み返す。昨晩とは異なり、華々しいスライドは一枚たりとも呈示できないが、果たして、その背面を伝えることができるだろうか。

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