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2007. 9. 9

第9(日)左官教室と刹那滅

左官教室が休刊となった。編集長は廃刊とはいわなかった。1500字程度であったが、ほぼ10年、毎月原稿を書き続けた。書き続けることによって、自分と左官の距離を(離れないまま)維持し続けたし、主観的な好き嫌いを客観視する環境を与えられてきた。左官教室を意識するのは、原稿締め切り毎月15日前の5日間であった。自分は文章のプロではないから、さらっと書いてそのまま入稿というわけには行かず、最初に書いてから5日間の熟成と校正が必要であった。だが、本業の設計業に比べれば、(誤解を恐れずに言うなら)殆ど仕事というには及ばない、わずかな所作であった。
その左官教室が、もう、今月から、編集長から、原稿の催促がない。たしかに、すこしは楽になったという感はあった。だが、その報告から2日経つと、そういう安堵感よりも、寂しさの方を強く感じるようになってしまった。なんでもないが毎日見慣れていた古い建物が、あるとき突然空地になった時のような寂しさである。自分自身にとって、経済的な痛手やその他なにか具体的に失うようなものは心当たりがない。自分の仕事や方針は相変わらず存続できる。だが、そういう世の中という漠然とした全体に対する虚しさ、寂しさを感じるのである。
ついこの間、建築の生命観などと称して、手の間にて、辻説法を行ったばかりだ。そこで話の基軸にしたのは、刹那滅であった。1秒前の自分と1秒後の自分は、同じではない、という時間概念である。1秒は、1万分の1秒であっても同じである。つまり、物質は発生と消滅をくりかえすことによって、さも存続しているように見えるのであって、実際は、なにも持続する実体はない、という存在論である。そうすることによって、モノへの執着を取り払おうという宗教的な考えでもある。私たちは、有史以来、この刹那滅、あるいは無常(あらゆるモノは常に変化し移り変わる)といわれる世の中をどう越えようかという命題に取り組んできた。我々は少なからずモノの世界に頼って生きている。建築は、西欧の概念が入ってきて以降特に、あらゆるモノが移り変わる中で、変わらない風景を構築するものとして考えられた。それまで風雪や天災、もしくは人為的に早いサイクルの代謝をくり返してきた私たちの建築は、反省され、存在として残っていくモノ、無常感を乗り越える不動点であることを期待されるようになった。本当は、建築という大がかりな構築物も、日本においては仮設物にすぎないものであるにもかかわらずである。観察者である自らの身体を含めて、あらゆるモノは必ず滅びる。だからこそ、変わらないモノ、持続するモノへの心理的依存が大なり小なり生まれる。そういう思いが虚しさをまた生む。
左官教室という情報媒体は一旦世間から消えるのだろうが、考えてみればその中身、情報そのものは様々な場所で同時多発的に明滅をくり返しながらも、存続していくのだろう。

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