2011. 9. 2

センシブルハウス「水と緑の家」

大手家電量販店と上場住宅メーカーの経営統合、というか、家電屋が住宅屋を子会社化する話が、「とうとう」現実となった。この量販店はまた、電気自動車の販売も手がける勢いで、家と車の両方を家電化しようとしている。いよいよスマートハウス時代の到来である。
あまりにも大きな動きに対しては従っておくべきの無難さを知りつつも、しかし、これらの大局に対しては敢えて、対極の世界をキチンと社会にイメージさせる役割が必要と思い、自らはそちらへ加担する考えである。スマートに対するセンシブル。「賢さ」への尊重は、17世紀的哲学以降今日に至る、近代合理主義そのものであり、賢くあろうという精神は科学の発達とほとんど同義であろう。しかし、この精神は、それだけでは同時に問題も育ててしまうのである。つまり、マインドセット(思考態度)としての「賢さ」は、私たちが積み重ねてきた痛手の類を、相変わらず結末に控えている可能性がある。原子力技術という自然、人間という自然、を含めて、私たちは本当に自然を制御しつくせるほどに「賢くはない」のではないか。あるいは「賢さ」への探求や錬磨をやめないにしても、「賢さ」が中途半端であることを冷静に認識するという、同時に「分別」のようなものが必要なのではないか。
センシブルハウスの内実、各論は明解ではなく、これからである。とりあえず、既に開発中の「High-E House(放射冷却の家)」については、この概念の傘下にはすっぽりと入ると思っている。エアコン環境が休眠汗腺を促し、熱中症体質の基盤となり、結果エアコンなしでは、熱中症が防げないという事態。「High-E House」は、そういう依存症的悪循環を、(大袈裟に言えば)断ち切ろうとする地球温暖化時代の夏の家である。(詳しい原理は、ここでは省略)ちなみに、「センシブル」という英単語は、非常にこれからの時代に必要ないくつかを一語に言い含めている語である。上記に既に触れたように、「良識のある」「分別のある」「判断力のある」という意味の他に、「感覚の鋭い」という意が含まれている。休眠汗腺について言えば、暑さに対して人間の冷却機能が鈍化しているということであるから、人間本来の感覚が「鋭敏である」ことを目指そうとしていることをも見事に言い当てていることになる。

そんなこんなで、「High-E House」そのものをこれからの私たちの住宅の一つの答えにしていこうという矢先に、これに並ぶ兄弟とも呼べる家のカタチを別に考えることになった。とある工務店との協同プロジェクトである。
「水と緑の家」
実に、平明な、ファミリアーなネーミングである。一言で言えば、バルコニー緑化を前提とした家であり、植物と共にある生活は、当然水と仲良くしなければならないということで、ずばりこの名となった。いわゆる「環境共生住宅」の類と言われれば、その通りである。しかし、やはり、現段階でも無数にある「環境共生住宅」と変わらぬものであるなら、取り組む意味がない。バルコニー緑化については、以前から考え方も技術も存在してはいたが、これから普及が進むと言われている。狭小敷地住宅が断念していた「庭」の代替として、もしくは、省エネルギー仕様の屋根緑化としてイメージが芽生えたところに、防水施工方法としての割安コストと法整備(瑕疵担保保証制度)の両手が背中を押す。もはや緑化住宅はメーカーが全国展開する一つの雛型でもある。これらは時代の流れを汲みとって「スマート」であろうと目指しているだろう。残念ながら「センシブル」などという考えはそういう圧倒的多数を振り向かせる大衆性とは安易に馴染むことができない。
いや、「センシブル」には、もう一つ意味がある。「(見目カタチ、デザインの)センスが良い」。技術は普遍性を持ち、全国展開、もしくは広域展開ができるが、「センス」は、地理的にはともかく、量として普遍化できるものだろうか。どんなに逆立ちしても、量的なものづくりが獲得出来ない何かを大事にする「センシブル」(=鋭敏さ)が必要かもしれない。いかに「センシブル」の意味を家、もしくは生活に響かせることができるか、ここが我々の仕事の力点となるように思える。

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