2010. 11. 29

第106(日)都市に関わる仕事

建築デザインが、リノベーションの社会性を唱え始めてから久しいが、設計をする側の動機づけはどんなだろう。医者が風邪の患者と頭痛の患者とどっちがいい、と言われて答えられないのと同じで、新築の住宅と改築で、どちらがどうであるとは本来的に言い難い。とはいえ、新築にはゼロからの造形と空間を考える楽しみがあり、改築は、既にあるものの息を吹き帰らせる喜びがある。
今年は、漆喰と無垢材による中古マンションの改装に、再度奮起する機会を得た。10年ほど前から、空き室を見つけては改装し、まずまずと言っていいほど、短い期間で入居者を得てきた。その中でも微妙な紆余曲折はあるから、そういう結果の輪郭を、もうすこし統計学的にハッキリさせたいという意味も込めて、事例を追求しようとした。賃貸の世界は、その陣中を覗くと恐ろしいほどにホットである。多大な投資をし、安定収入を目論むものであるから、昨今のようにそれが不安定となると、経営者としてはたまらない。それに応えようとする者=「業界」も熟する。だが、正直、マンションのリノベーションの世界をいくら眺めていても、建築的好奇心としては、なんの足しにもならないという感覚に陥る。恐ろしいほどに小手先の世界ばかりで、赤子をなんだか色とりどりのプラスチックおもちゃでアヤしているだけの世界にしか見えない。(失礼ながら、赤子は入居者、アヤすのは作り手)高々賃貸住居の空室対策のデザイン手法というのは、そういくつもあるわけではない。設備的な刷新、壁紙+貼り床の刷新、間取り変更、そして仕上げ素材の刷新。あとは、家賃補償などの商法的な手法。私たちは間取りの組み直し、と素材の考え直し、に特化している。正直、地味である。壁紙系や設備、もしくは家賃補償などというのは、目に見えて解りやすいが、素材などというものは人間の感覚としては、全くデリケートな感性に頼ることになる。まずもって、写真では伝わりにくい。言葉に託すと、「自然素材を使っている」「自然派指向」などの月並みな表現にしかならない。結局は、現場を確認できた偶々の人々によって支持されているのであって、社会的に隅々まで支持されているというふうには、今のところ言えない。(厳密には、訴求媒体がない)工事費についても、壁紙/貼り床系だと50万円とか60万円/一室のパッケージが散見されるが、(詳細は省くが)少なくとも無垢材を貼って、漆喰を塗る仕事は、ものすごい勢いで貼られる上記の乾式工事に、コストで勝つことはできない。家賃保証(3ヶ月以降入らない場合は、その家賃収入を補償しますなどという、)などのキャッチセールスも今のところ行っていない。
だから、私たちが行っているマンションの改装は、現段階ではまだメジャーとは言えない。類似品だってイッチョマエに出てきたから、模倣できないわけでもないが、それでもまだ、マニアには支持される、と扱われる仕様でしかない。だが、逆説的ではあるが、マニアックに留まっている事の方が健全であり続けられるのではないか。素材などというものに思いを持てる人間たちによって辛うじて支持されているぐらいが程よく、妙に商売的にヒットしてしまうと、そこからはニセモノや三流模造品の横行が始まるだろうから。このあたりのサジ加減はしかし、やっている当の本人者共からは制御不能である。
ちょっと、ここでのみ、オオゲサな妄想を暖めてみたい。マンションの各室の改装は、デザイナーにとっては誠に地味な仕事である。しかし、増え続ける空き室が無駄にならないためには、倫理的に必要なことであるし、いや、もしかしたら、これは崇高な都市論ではないが、地を這う都市政策ではないかと思う筋がある。トップダウン的に都市のカタチを扱ってきた20世紀型の都市計画論は、少なくとも私のようなネジ一本のカタチが気になる人間には本来関わりがないものだが、その前にかつての計画論は早くも自由資本主義の力に凌駕されてしまっていて、絵に描いた餅になってしまっている。一方、より多くの都市生活者に関与する、数多のマンションの住戸を一つ一つ救おうとするリノベーションの手法は、ゲリラ的に都市の計画の某かに参画していることにならないだろうか。その時、どういう生活空間を提供するのか、という造り替える側の理念のようなものの有無が、計画論や学の一旦を担えるかどうかの分かれ道である。賃貸業界の世界には残念ながらこれらが欠落している。通りすがりの人々にアンケートと称して一時的な趣味趣向を聞き取り、それを反映させ、市場原理だといって、当面の利益を目論む。それが、5年後流行らなくなれば、その時、目の前を通り過ぎる人々に又伺いを立てて造り替えればいいではないか。言い換えれば、デザイナーの理念は不要という発想である。
私たちの多くがどんな家で生活を送るのか、という理想の提示を当たり前にきちんと行うことのできる真っ当なデザイナーが、もし賃貸の世界でやって居続けられるなら、これまでの単なる野放図な都市よりも、一室を介してよりよき都市へ、という道筋が見えそうな気がする。(最近頻発しているという家賃滞納問題に即して)もし、漆喰と無垢の部屋を選んだ人が、プラスチックぺたぺたの部屋に住む人よりも、滞納率が低い、なんていう統計が導き出されたら、マンションの一室の仕様は、都市とは言わなくとも、そこに住む人間の個性を介して地域をつくることと繋がる。壁一枚、ドアノブ一つが都市に繋がる、と考えることができるなら、これは愉しい、ということになる。

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