2011. 8. 28

第125(日)池田武邦さんの日本論

齢90に近づこうとする建築家を迎えて、3時間のシンポジウム。「超高層から藁葺き屋根」という氏の劇的な価値転換を表したタイトル。ところが、蓋を開けてみると「21世紀に不可欠なこと」であった。後半は、氏の半生をも過ぎていない若者?4名が囲って、いわば21世紀をどのように生きるべきかの「語り継ぎ」のような場が与えられる。私は、「地元若手建築家」ということで、本当の国際試合なら、年齢制限違反で即退場であるところをU-40の内に加えて貰った。
老建築家が前後通して私たちに用意していたものは、建築よりも前段にある思想、哲学の類であった。前半のスライドは10枚前後にて、1時間。一枚も建築の写真が写らなかったことは、ほとんど建築関係の人々で埋められた会場をある意味おどろかせた。建築と共に長い生涯を生きてきて、本当に重要な物事を後世に伝えようという瞬間、そこには、建築の姿よりも重視される事柄があった。

「日本人は、人が死ぬと、その人は仏様という扱いになる。(たとえ死刑囚であっても)」
「西洋人にとって、死人は死体であり、モノとして扱われる。(故に解剖学が発達する)」

最初から話が根深い。日本、というか自然環境に恵まれたアジアでは、科学が西欧ほどに優位にならなかったから、モノと人、もしくは自然と人、ひいては神と人とがあまりキレイに分別する思考が生まれなかった、という論を読んだことがある。科学の発達は確かに様々な改良や解決をもたらしたが、一方では、新たな問題も生み出したのは言うまでもない。私たちに日本人の遺伝子が残っているのなら、モノと人、自然と人というふうに区分しない考え(鈴木大拙で言うなら「即非論」?)がこれから大事になる、というメッセージであった。

文明=普遍・優劣・創造・欲望・人間
文化=固有・対等・伝統・知足・自然

互いの熟語が対比されている。文明と文化の違いをキチンと捉えながら、これからは両者のバランスをとっていかねばならない。もちろん現代は文明の発展に偏り過ぎている。文明が発達するのなら、文化もそれに見合うだけ発展しなければ、人間は豊かにはならない。いや、それどころか文明だけでは、人間はこの地球に生き続けられない。

「自分なんていうのは、出そうと思わなくても、自ずと出てしまう。」

会場からの「建築家(=表現者)としての自分をどのように掘り起こしていくべきか?」の質問に、この答え。このあたり、個人的には墨書の世界の方々との勉強会などで折に触れて見聞する、日本の芸術全般に共通している金言・格言の類と感じ、なんの抵抗もなく入ってきた。あぶりだそうと思って出したオリジナリティーは、個人性の枠を出ない。(=普遍的でない)そういう自意識がなくなった状態から自然ににじみ出てくるようなオリジナリティー、これこそが、社会が必要としている個性である。(=普遍的である)私を含めて多くのデザイナーへの苦言、そんなお話と受け止めた。

そして会はつつがなく、というか、建築系シンポとしてはあまり身に覚えのない空気に浸されながら、終わる。
ある知人は、感動のあまりに涙を流して帰っていき、別の知人とはその日の明け方まで、議論の続きを肴に飲み明かし、また別の知人からは数日後、「久しぶりの日本男児に心地良かった」のメール等をいただいたりした。そして、私は今こうしてブログに書き留めようとしている。いずれにしても、この一夜の話はその後にまで尾を引いた。

各々の感動とは別に、ズレのようなものがなかったわけではない。
一つ一つのやりとりは、私にその要約能力がないので割愛するが、壇上の「若手建築家」のみならず、会場の若手建築家や学生とのいくつかの交歓に、ズレのようなものの通底を感じた。もちろん、そのズレが種火となった火花を見るためのU-40という企画であったに違いない。進行役の倉方氏も大いにそこを意図していただろうし、ある意味そのとおりのことが起こった。一言で言うと、マインドセット(思考態度)のズレではなかったか。老建築家が、繰り返し述べたことに、他の文化を敬う、というのがあった。これは、難題である。文化が異なるというのは、言うまでもなく、互いに正義を貫きながら殺し合いをするほどに、マインドセットが異なる。そういう憎しみを伴う対象でさえ敬愛せよ、というのである。会場では、全く建築的各論に到達する気配のないまま、異文化とは言わないまでも、マインドセットの類のズレを、私たちはあの手この手で理解しようと頭をひねり、自らに引き寄せ、机上で繋がろうとした。しかしその多くに老建築家は簡単にはうなずくことがなかった。

思考態度、とはそれほどに根深い差異を産み出す。なにをもってしても、思考する姿勢、習慣のようなものが思考内容の本質を握っている。この根深いところの刷新なしに、私たちは21世紀を超えてはゆけない、という話であったのだろうか。なにも疑いなく戦後を生きてきた私たちにとっては、仮に「本来の日本人のように生きましょう」と言われたことも、それは「明日から韓国人になりなさい」というのとさほど変わらない難易度であるかもしれない。それほどまでに、私たちは、戦後民主主義が目指したカタヨリの一方に、思考態度の限定を受けてしまっているのかもしれない。

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