2015. 3. 22

第156(日)貨幣経済の退屈-2

今週は、ガラス屋に走った。空港を超えて志免のあたり、近いようで、市内というほどの手頃な距離ではない。
中古マンション一室の改装で、UB(ユニットバス)内にある耐蝕鏡の縁が蝕まれていて、よほど新調しようかと思ったところを思い留まり、というか思い放ち、重い腰を上げて、ガラス屋に走った。端部を切ってもらい、角面研磨をしてもらい3500円。新品を買えば今日的には3000~5000円ぐらいだろうか。設計者は、建築に関わる大小のコストを管理する人間だからという以前に、そういう皮算用をする前に、つまりは新品をネットで買う方が、古いモノをああだこうだと手を加えて使い回すより安いことぐらいは知っている。が、その蝕まれた耐蝕鏡を投げ捨てることができなかった。モノそのものに愛着はなかったが、これをゴミにするも活かすも、手に掛ける者次第だと試されているように思ってしまった。

同様に、同じUBのプラスチック照明器具が、年代物で黄変化し、熱で穴があいていた。普通に考えれば、照明器具まるごとを電気工事として取り替え、となるところを思いとどまり、というか思い放ち、既存のものをそのまま改造するに踏み切った。方法は、3液型特殊樹脂によるHoosenLight(文字通り風船のかたちをちぎり紙に転写してつくる)を、元のシェードのネジ部と合体させるというもの。浴室用照明は、ソケット部が湿気ないよう室内空気と絶縁される必要があるから、ハンドメイドが難しいが、既存の防水機構を利用すれば性能はそのまま存続できる。もちろん原理は機械的に言い放つことができるが、実際の作業はそれなりの手先が求められる。

改造作業は2時間強。この特注制作物の仕事、見積書には1万円と明記した。浴室用の新品はいくらぐらいで買えるのだろうか。ネットで安物であれば3000円ぐらい+電工費5000だとしたら、まあドッコイドッコイというところか。鏡同様、古びた浴室照明に愛着があったわけではないが、既成の安い照明器具を取り寄せて取り付けるという一連の作業そのものに何の期待や愉しみもわかないから、あえてめんどくさいことに脚を踏み入れてしてしまう。退屈なユニットバス空間にほんの少しの新鮮みが加えられる喜びとのトレードである。こういうのを本当に、性(サガ)というのだろう。

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