2008. 5. 25

第37(日)鳴きのバイオリン

現場でもらい受けた木クズや石灰の粉を洗い流し、いつになくスーツに着替えて小さな音楽ホールへ向かった。古田茂稔のバイオリンを聴くためである。私より一つ歳は上、バイオリンという人生を歩んできた人、この先も。修道士。そういうヒトトナリから発する音楽とはどんなものだろう。
想像を超えていた。だが素晴らしい演奏とか、美しい音色、という表現が当てはまらない。凄い演奏。音を媒介にして、なにか別のモノ、魂のようなものが伝わってくる。かの有名な千住真理子さんが著書で、「自分がなくなっていって、自分がバイオリンそのもの、あるいは音そのものになっていく」というようなことを述べられていたが、そういう境地よりは、どちらかというとバイオリンや音という媒介物の方が消えて、丸裸の演奏者が見えてくるイメージである。いずれにしても言葉の遊びでしか表現できない。

「傑作には独自の世界、一種の宇宙がある。それがある種の世界観や感情を醸成する。もしある人がそれを気に入れば、その人は他人が作った世界を自分のものとして感じられる。」スイスの建築家ピーターズントーのコメントを思い出した。

床、壁、天井全てが、人間によって丹念に突き固められた分厚い三和土で出来ている。そんな空間に立ち入った瞬間に、スッポリその宇宙に浸りきってしまった。あの演奏会を空間体験に例えて言うならこんなことだろうか。

 

 

 

2008/5/18 晴れ

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