名島の展望台計画が見直された。
経緯は、昨年の今頃に始まった4回の検討委員会により、元のコンクリート展望台のあり方を今一度再考し、保留になった、というより行き場を失った経常予算をどのように用いるか、使途を導きださねばならないというものであった。その後の2回は時間が合わずに欠席したが、結局今年に入り3月の新聞発表で、結果を知る。4.7mの木造展望台に変更、とのこと。地元の人々のたっての願いである「展望台」計画が存続するカタチとなったようだ。電子文字でいろいろと言っても全ては犬の遠吠えと化す。この一件からなにを学ぶべきか、それだけを記すとしたら、なんと書こう。
私はその見直し検討委員会の1、2回を傍聴席で眺めた。役所側の意見、地元の意見、専門家の意見が当然そこにあった。結果は大人の解決であることが一番に尊重された。そもそも最初の答えが減点を多く含んでいたから、それらを是正し、減点を少なくするのが関の山であった。あの場所をもう一度見直して、更地から考え直すという意見は、結局は当初計画の当事者たちによって遠ざけられ、なおかつ以降積み上げてきた意見の大枠を無視しない、いわば無難な妥協点に落ち着いた。ここでは、より深く関わる当事者の方が強者であって、本来的にどうあるべきかという真に純粋な立場を含む外野は弱者の域を出なかった。そういう強者弱者の関係は、建築の保存の時にも同様の構図となるので、決して珍しいことではないが。
名島の問題は保存という「壊してはならない」とは逆の、「建ててはならない」の理想であった。解ってはいたことであるが、建築はその基本的なあり方を間違うと、大変大きな間違いになるということを、こういう関わりに触れたことによって、実感することになった。そして、建築は、(そういうつもりでなくとも)だれもがクライアントになれることの恐ろしさをも考えるようになった。名島の問題は、使いたくない言葉を使えば、建築的教養の枠外から発生した。新聞発表の見出しにあった、の愛好家とは、私たち顕彰会は、連日の新聞記事では、反対運動する「愛好家」と呼ばれているが、自分達が物好きな外野の意見というならば、内野にいる発注者の方々はなんと呼ばれるのだろうか。「私はこの地域の住人である」「私は職務上この公共建築を発注する立場にある」ということで、誰もがクライアントになうる。社会全体として、建築の研究者や職能者がなにがしかの教養を蓄えていても、市井に建つ建築のクライアントはまるで別の世界でものを見ている。教養とか文化とか、高邁に聞こえる言葉を置き換えるべきかもしれないが、教養は教養である。強いて言い換えるなら、一般教養、あるいはリベラルアーツ、というべきか。中学校の歴史に出てくる日本の名建築を鑑賞する目線でもいい。
建築というカテゴリーは一般教養としての普及を考えていかねばなるまい。独立した建築家になるための教育を知らぬ間に享受してきた自分は、自らが育てられたのと同じように、建築学生に接していた。つまり、設計者になることを教える唯一の目的のように捉え、臨んでいた。だが、建築教育はもっと広く人間の生活に欠くべき一般教養として、提供すべきではないか。□△商社に就いた〇×君はもう学んだ建築知識を活かすことはないだろう、というのは大間違いで、もしかしたら、直接的にではなくとも間接的にクライアントになることがあるかもしれない。いや、持ち家であるとか借家であるとかの別を超えて、彼は多かれ少なかれ建築とかかわり将来生活をするだろう。よく言われていることだが、建築は、国語算数理科社会に並ぶ一般教養だ、と仲間内では言われる。だから小学校から習わねばならぬ、とは極論かもしれないが、そのようなことでもないと、建築は歴史、風土、文化、の類の退行を助長するものになりかねないシロモノのように思う。
2010. 5. 30