2010. 6. 6

第96(日)賃貸というマジョリティー

諸処の縁により、賃貸物件である中古マンションの再生、というか空室対策に関わってきた。その後10年が経った。先日、突然電話があり、取材を受けることになったその相手は週間全国賃貸住宅新聞。業界新聞とは数限りなくあるものだと知ってはいたが、賃貸の住宅と絞ったものの存在に改めて驚いた。かつて月間左官教室というマイナー雑誌に縁があったが、こんどは、こちらのニッチへ導かれる。外から見ると全ての建築は不動産に他ならないが、内々にいると、不動産の世界と建築の世界は、二重構造的にすれ違っている。不動産の世界における建物=物件は、お金を生む価値として建物を見る。「建築」という時は、建物とか物件と言う時とは一線を画くし、お金を生むかどうかというより、作品性の有無の方を重要視する。前者が経済的な価値、後者は文化的な価値、ということになるだろうか。自分はあくまで建築の畑で育てられた。だから、経済的な効果だけで建築を紐解くことに、慣れない。人類が教会や寺院に建築的発展を注いできた歴史とは無縁ではいられない。だが、そうはいっても経済を無視しては、基礎の下の杭一本も建てることができないのが、この資本主義の掟である。賃貸の世界、もしくはマンション(英語で豪邸の意/集合住宅の意味はない)のことを勉強せねば、中古マンションの再生など、関わりつづけることはできないだろう。全国賃貸住宅新聞は、そのような無知な建築坊やに勉学の機会を与えてくれた。今年の賃貸住宅フェアでは、我が事務所より数段も大きく業界をにぎわせる業界人達のセミナーを聴いてみた。いわずもがな、当事務所のささやかな活動との隔たりの大きさだけが、明らかとなる。自分の社会における立ち位置のようなものが少しわかる。彼らは、事業者、経営者。手前は相対的に、無邪気な、という意味での芸術家?前者はいいかえれば、量的な質を社会へ提供する。後者は、稀少性という少量を提供しようとする。
中古賃貸の空室率は、残念ながら年々大きくなるばかりで、福岡では全国平均より高く、20%近くだと聞く。なのになぜ新築マンションが建ち続けるのか、という課題はさておき、とにかく増え続ける空室を減らそうと、いわゆる空室対策のリノベーションが、全国各地で様々なやりかたで行われている。全国賃貸住宅新聞は、毎週、それらの事例を逐一報告してくれる。新聞記事、セミナーを受けても思ったのだが、たくさんある「空室対策リノベ」のうち、手法として、色彩計画が多用されている。供給サイドとしての理由は簡単で、色をたくさん使っても費用は変わらないからである。(かつて、ショッピングセンターの革命児、ジョンジャーディーが繰り広げた、色とりどりの巨大空間も同様の理由による。→2009/03/01 第65(日)カラーサンプル外観)その改装事例を見ると、柱や床がマッカッカの部屋など、もはやインテリアの色彩計画というより、ポスターなどの紙媒体のデザインに近いものもある。そして、驚くべきは、そういうマッカッカの部屋が一番人気であるという。学生や若い社会人などは入居期間が短いということで、借りるだけなのだからちょっと冒険してもいいだろう、などという動機が聞こえてきそうではあるが、それにしても、である。店舗ではなく住居である、「建築」の世界の人間からすると正直、理解不能。だが、そういう老婆心とはよそに、ちまたでは、それらが大人気なのである。味覚の退行が起こっているのではないか(10/01/10 第85(日))と書き殴ったことがあったが、これはもはや他人事ではない。同時に、力が抜けた。我が事務所のなりたての所員でさえ、同様に力を落としていた。
経済原理によって導かれる賃貸、つまりマジョリティーと、建築の基本的な理想がまったくかみ合っていないのかもしれない。いや、まったくではないと思いたい。量的なものであると思いたい。比率としては僅かであるが、賃貸というマジョリティーの世界に、それらが芽吹く隙間はあると思うしかない。「建築」は決してマジョリティーの役にたつことができない、そういう落胆はもう少し先回しにしておこう。

« »