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2011. 9. 2

センシブルハウス-「スマートハウスでいいか?-2」

太陽光発電。化石燃料に頼ることなく、脱原発になるなら、あるいは将来的にここから利益が生まれるなら、とこれを用いる。夏の昼最も暑い時に、社会に気兼ねすることなく冷房を付けることが出来るようになる。熱中症の対策にも結びつく。一方、子供の熱中症の増加の理由の一つに、夏の冷房生活による汗腺数の半減と、屋内外の温度差による自律神経の不調が原因であるということも言われている。冷房空間が担保されることは、住み手にとって、必ずしも良いことばかりではないのかもしれない。
あるいは、スマートハウス。最近耳にするスマートグリッド構想が都市インフラにおいて、高機能かつ省エネルギーな基盤を得ようと言う「賢い電力網」であるのと同様、スマートハウスと呼ばれる住宅は、一軒の家の中の、電気やガス、その他自然エネルギーや家電端末を情報統合し、より合理的な生活の器を目指している。「賢い家の実体」は、一言で言えば、巨大な家電としての家である。家電化しているのは、ハイブリッド車や電気自動車しかり、いやF1車でさえ、複雑な制御盤がハンドルに内蔵されたりしていて、もはや、車にコンピューターが搭載されたのか、コンピューターに車輪を付けたのか、といったほどである。走る、という目的、もしくは、住まう、という明解な目的を掲げた合理化は、人間に代わり、コンピューターの演算能力が劇的な革新を担保している。住まいの中で、人間が行っていたことを、一つ一つコンピューターに委任していくことにより、人間は楽になり、エネルギーを合理的に用いることができる。夜になると自動的に雨戸やカーテンが締まり、冷蔵庫のストックが無くなると、通信網を経由して自動的に食材は発注されるなど言った具合に。私たちは、カーナビで迷わず目的地へ向かえるように、あれこれ心身を用いずとも、お金を払いさえすれば、住まうことの合理性を自動的に得ることができるようになる。果たして恩恵だけだろうか?スマートグリッドはともかく、スマートハウスは、人間が生身で自律的に営む最小基本単位、もしくは人間の営みそのものを機械へ預けることになるのではないか。汗腺数を半減させてしまった子供達が、冷房空間なしでは健常でいれなくなるのと同じく、自ら行う生活の欠片を際限なく機械に任せていく内に、人間は家電のような住宅以外では、まともな生活が出来なくなるということにはならないだろうか。この地球という自然の中で自律的に生きることが出来ない心身、生命維持装置を剥がされると急にひ弱になってしまうSF的宇宙人、なれの果てのイメージはそんな風に考えられなくもない。
太陽光発電も、スマートハウスも、基本的に社会の大きな資本と知識とコンセンサスにより導かれている。これに対してうるさく警鐘を鳴らそうなどという話では毛頭ない。大きな目的のために、同じぐらいに大きな別の目的が、小さく見えてしまっていくのを見逃さないようにしたい、というだけである。小さなアンチテーゼでいいから、しばらくは品位有る野党でありさえすればいい。与野党比が10/0にならぬよう、努めればいいだろう。ということで、「賢い家」ではなく、「良識ある家」の構想をちょっと気長に考えていくことにする。「賢さ」だけだと人を傷つけることだってあるから、もう一つ「良識」を備えたい。英語でいうとsensibleとなり、同義「分別のある」「判断力のある」その他、「実用的な」「目的にかなった」「センスの良い」「感受性が鋭い」などもあり、考えるべき項目が既に提示されているかのような名である。取り急ぎ、ネット検索「センシブルハウス」を調べるも、姫路の賃貸マンションに同名があったぐらいだから、概念的に使い古されている名ではないと考えた。

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