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2010. 12. 12

第107(日)古典と現代

ときどきには、良い建築をみてまわりたいと思っている。今日は、下関市の功山寺を事務所のスタッフと共に訪ねた。1300数年あたりの、鎌倉期、禅宗様の建築だ。まずは、山門でそのプロポーションに気づく。2年前、正月に奈良の寺院を見て歩き、寺院建築の構造材におけるプロポーション(木割り)の残像があったからか、鎌倉期のこの建築のそれが異常に細いことに、すぐにわかった。どちらが好きかと言われると、やはり奈良の建築は、なんだか、建築の揺るぎない安定感のようなものを感じることができるし、また、現代建築にないものを持っているということを含めて、そちらに旗を振ってしまう。しかし、飛鳥時代からの変化と、そしてそれ以降、書院や数寄屋を大成していく歴史を想像すると、功山寺を通して久しぶりに見る鎌倉期の禅宗様は、好き嫌いではなく、歴史の変化の過程として興味を持つことができる。20代前半から、古典建築に不可解さ故の新鮮みを感じ、貧乏旅行をしながらいろいろ見て歩いてはいたが、やはり歳をとるものだ。少しずつ、そのわからない古典が愉しめるようになってきた。
それにしても、功山寺は建築が黒かった。スケッチにすると、普通は屋根面が明るく、軒の下がカゲになるはずだが、そのコントラストが殆どなかった。(檜皮葺きであることが、それを助長しているのだろうか。)スケッチはそう言う意味で、シルエットを追うだけで済んでしまい、あっという間だった。そして、そのシルエットの美しさにも気づくことができた。軒先の可憐さは檜皮葺き=ザ、日本の屋根の真骨頂ともいえる。

話は、もうすこし本題に。今年の授業で、一つだけ印象に残っているクリティークがあった。東大の大野先生と早稲田の石山先生との間に繰り広げられた、「歴史教育」論争である。石山(以下呼び捨て)は、建築史を基壇に据えて、学生にデザインを伝えようとしたことに対して、大野は、課題の構築が歴史に引っ張られすぎていると。渦中で関わっていたとはいえ、ニュートラルな位置からもの申すと、大野が言いたかったことは、おそらく、歴史は知っていなくてはならないことだけれども、今この時に、ここまで従わなくてもよいはずだ、学生の自由度を損傷してはならない、ということではなかったか。石山は、それに敏感に反応した。学生が誤解してはならないということを鑑みてか、大野の短いコメントを、すべて間違っていると全否定した。
(歴史研究室に学んだ師の弟子、つまり歴史研究室の孫弟子?として、偏見を承知で、私自身のスタンスを明示すると)デザイン教育の中に「歴史」は、基本として必要だと思う。ある時期には、歴史に釘付けになり、縛られる時期があってもよいと思う。逆にいうと、教育として押しつけられるものはそれしか無い。教育がわざわざ仕組まなくても、「現代」は、その他全ての情報環境が仕組んでくれる。また、リアルタイム=変化の絶え間ないという意味での「現代」はそれを我が身の思想の基壇に据えるには、あまりにも不確定で、頼りない。生きている(デザイナー含む)個人の趣向は、もっと怪しい類(その時空を代表できるデザイナーというのは僅か)である。デザイン教育の早い時期に歴史への眼差しがすり込まれることは、100害1利をかき分けた100利1害であると思う。
歴史的なものと同一な思想や根底が、「現代」に見いだせた時、私は快感を覚える。そういえば今日も国宝は現代建築と同一の見学ルートであった。

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