2012. 4. 7

センシブルハウス-「茶の現代」

コテコテながら、茶の稽古を始めた。遊び心ある友人たちがちらほらとやっているのを、やはり心のどこかで出し抜かれたと思う感情があったのだろう、思いがけず身近なところでの師との縁に、すっと、やってみようという気持ちになっていた。茶はいうまでもなく、建築設計を勉強している中で、茶室という日本の定型と必ず出くわす。日本は西洋と異なり、歴史上に発生した歴史上の定型は概ね時代を超えて造り続けられるから、茶室は手を替え品を替え、現代でも造り出され続けている。私も一度だけ、鉄骨造の事務所ビルの「鎖間」として3畳の鉄板で出来た茶室を造ったことがあった。しかし、そのようにして、茶室との関わりはあっても、決してその中身の「茶」との縁がなかった。


さて、最初は、やはりカタチを覚えるところから始めなければ仕方がない。よく言われる、お稽古事としての現代の茶のイメージを司るのが、茶の作法=カタチである。最悪の場合、形骸化しているなどというレッテルさえ飛び交う。「実験茶会」と称し茶の形骸を粉々に砕こうとした岡本太郎の振るまいに、正直頷いてしまう自分もあった。そのカタチが、外から見ているだけだとカタチとしてしか見えないからやってみようということになったのである。今はまだ、たどたどしいの一言に尽き、もどかしいかぎりである。
それでも、この先にあるものがすこし垣間見えたような気がした。この道の達成が何で測られるのかの全貌は、今はまだわからないが、実は単純にお茶の味そのものを求道しているのではないかと思った。一杯のお茶を頂き、「美味いお茶でした」の意思表示を約束事として捉えてよいかどうか。本当に美味しい時には、言葉に感歎符が加わるはずである。「利休の茶はうまい」の内訳は、もてなしの全てに関わっていることは想像の範囲であるとして、茶そのものが美味しかったのではないか、と想像をしてみる。利休好みと称して、茶室や道具のみから彼を想像するより手前のことであるかもしれない。
その味はなにで決まるのか。水の素性、釜の素性、茶の素性、湯と茶の分量、仮にそこまでであれば、昨今の料理番組さながら、なんの不明瞭なこともない。そんな物理的なものであれば、茶一杯にここまで意識、というか民族の魂を傾けてはこなかったはずだ。おそらく、そこに茶人の精神状態が加わるのだ。どこまで、その行為に純粋に集中できるか、その如何により茶の味が変わる。そして、それを敏感に受け止めることができるかどうか、客の方にもハードルができる。であるからこそ、自ずと両者に所作振るまいのカタチが出来てくる。このあたりが、単なる飲茶に「道」がくっついていることの要因に違いない。わび茶の始まりは村田珠光だと、中学の日本史に出てきたが、彼は茶人以前に禅宗の僧侶だった。茶道が仏道修行を始源に持っていることを考えれば、茶+道となるのは至極当然であろう。今に伝わる茶は、カタチなのではない、お前の茶の味だ、と考えると、俄然、コテコテのお稽古事がエキサイティングなものになりそうである。

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