2010. 9. 12

第101(日)老木、身をもって何申す。

屋久島の第二の屋久杉=翁杉が倒れたというニュースが飛び込んできた。自分はまだ、屋久杉を巡る旅をしたことがない。とうとう、その大樹には出逢うことができなかった。弥生時代から2000年もこの地球の、人々の歴史を俯瞰してきた大樹が、なぜ、100年の寿命に満たない私一人の人生を持ちこたえることができなかったのだろうと、思う。生あるものが必ず死を迎えるのは当然のことであるが、なぜ、今に、その大きな生命を突然終えたのだろう。
そういえば、5~6年前の台風の後、倒れた杉の大木を見に小石原へ脚を運んだことを思い出した。古いもので500年、室町期から江戸あたりに英彦山を巡る山の行者たちが植えていったとされる杉が、立派に森を形成していた。かつてはこんもりと、それこそ、陽光を容易に通過させない「黒い森」が、人間を圧倒するかのように場所を成していた。自分は幼かったこともあり、日が暮れなくとも、その森は恐れるに足る、又畏れるに足る「黒い森」であった。高々30年前の話である。それが、あの有名な1991年の台風19号の九州蹂躙によって、森を形成する大樹の少なからぬ本数がなぎ倒された。私が故郷を離れている間に、その「黒い森」は見る影もなく、太陽があっけなく降り注ぐ、スカスカの森に変わっていた。その後の台風でも、数本が倒れた。台風だから、というのは理由にはなりえなだろう。そんなものは500年の間に無数に通り過ぎていったはずである。
それにしても、寿命という意味で、人間より遙かに大きな存在である大樹が、私の人生の1/4の短い間に、次々に大地に伏していくのはなぜだろう。

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