2011. 4. 17

第118(日)木:大工:山下正巳(物心集)

日本は木造建築の文化と言われますが、木でモノを作るという意味では、建築よりも先に軍需産業としての造船技術において発展した、という説(木の文明の成立/川添登)があります。今では木造船の世界は、一部の文化活動や趣味的営みを除き、産業としては、ほぼなくなりましたが、木造建築は思いの外、延々と作られています。住宅や店舗のみならず、学校や観光施設などの公共的な建物に至り、古代的、伝統的な素材というには、あまりにも現役です。20世紀は鉄とコンクリートの時代ということでしたが、21世紀は、どうなるでしょうか。世界の物流がなんらかの形で滞れば、これまでどおりというわけにはいかないかもしれません。そういう物流的理由とは無関係に木が見直されている、そういう一面さえあるかもしれません。少なくとも、住宅における木造の割合は、90年台に底をついて、ほんの僅かですが、上昇してきているという統計もあります。かつての木造建築へ回帰している、というわけではなく、現代の木造建築が生まれている、ということが言えそうです。数値的なシェアはともかく、私たちが木という素材とそう簡単には絶縁できない人種であること、そこに焦点をあててみてもよいかもしれません。

山口県下関市に山下建設という大工工務店があります。その創始者は山下正己さん(1945生まれ)中学校のころから大工修行のため、某大工棟梁に丁稚入りし、25才の時に独立。現在は本社と工場が互いに離れて別の所にありますが、特記すべきは工場です。合計500平米の建物のうち、およそ半分は、材木倉庫が占めています。木造建築を建てるのだから、木材倉庫があるのは当たり前ではないか、と思いがちですが、そうとも言えません。明日建てる、もしくは来年建てるための一時的な材料ストックヤードがあるのは工務店にとっては、珍しくありませんが、ここはちょっと赴きが違います。何時何に使われるのか、判然としないものが、山積しています。900ミリ巾×4mほどの地松の板材、杉材、ケヤキ、クワ、栗、楓・・・その他ホコリを被っていて本人以外不明。銘木倉庫というか、語弊を畏れずにいうなら、趣味的領域、コレクションです。それらは、使う宛があってとか、注文があって仕入れたものではなく、市場で見つけて、是非持っておきたい、まるで衝動買いのようにして、仕入れる。時には雷で倒れた大木が市場に出される。例えそれが大木であろうと銘木であろうと、昨今の住宅では決して多用される材ではないから、「発注」より先行して「仕入れ」は行われない。つまりだれも札を入れない。そこにY・Mさんは、ひょいと現れ、消え、そして値段が下がったところで現れ、競り落とす。完全に先行投資です。その先は、杉の大材であれば、5~7ミリの厚さにスライスして、天井材として、持っておく。椎なら、フローリング材とか、柱材の断面に製材する。この工場は大工の工場としてだけでなく、製材業の一面を持っていたりします。

山下さんが育てたその鬱蒼とした木材の森を潜っていくと、今度は木の造形物が出現します。テーブルや椅子、花器、その他什器の類が、出荷前の商品のような状態で、そこにあります。それらはまた、地松や、檜や、ケヤキ、クワ、栗、楓、椎、・・。それらもまた、発注があって造ったのではありません。ちなみに、木造建築を設計していても、それらの木の名前をにわかに言えるものではありません。現代の私たちが見る木というのは、悲しいかな、杢目とか節とか、わかりやすい模様が在るか無しかの、記号的な対象となってしまいました。しかし、本当は、そこに微妙な差異があるのだということに気づきます。山下さんは自分の造ってしまったものを、常にこれは何の木である、とまず紹介します。花瓶であるとか、椅子であるという機能よりも、これはどういう木で出来ている、ということの方が重要事項であるかのようであります。花瓶を眺めているのではなく、クワの木の造形を眺めている、という感じです。

« »