2011. 11. 13

第127(日)ピカソの素描から

空港で時々目にする小学生による飛行機の絵。いつも楽しませて貰っている。どれも、描かれる対象はおよそ普段私たちが乗る旅客機であるから元は同じだが、1年生から6年生までが繰り広げる作品は、多彩というか千差万別である。色合いとか構図のユニークさというより、なにしろ飛行機のカタチが面白い。飛行機なのか鳥類なのか、はたまたペンギンかというような自由なディフォルメから、機体のプロポーションを見事に捉えた大人びたものまでの巾がある。カタチを捉える正確度は、では、学年順であるのかというと、正直、そのようになっていないところが、また面白い。絵心もまた一様なトレーニングや教科書には従わないということを証している。
かつてスペインバルセローナのピカソ美術館を見て回ったとき、ピカソの中学時代の落書きに感動したことを思い出す。教壇に立つ先生の姿を辞書やノートの端に、片っ端から描いていた時代のもの。そのさらっとかかれたおおざっぱなスケッチが、言葉にしようがない程に、活き活きしている。ぎこちなさなど微塵もなく、絵が本当に生きている。より少ない線でありながら、肉眼で見る人間にきちんと似ているといってもいい。その後のピカソがキュビスムを通して、肉眼が捉える図像とはほど遠い世界を描いていったことを併せると、やはり、ものごとの追求というのは順番があるということを学ぶようである。
写真は、どちらも小学4年生。どちらが良いとか悪いというのは、美術の先生の役回りとして、しかしやはり、ピカソに照らして言えば、この段階の基本としては、似せて書くことができるかどうかであるかもしれない。肉眼を疑う、もしくは肉眼から自由になるというのはその先の応用、ということになるだろうか。大人にとっては、こういう応用こそなかなか出来ないので、却って面白いわけだが。

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