2011. 11. 20

第128(日)外尾悦郎さん

11月15日、アクロスシンフォニーホールにて。バルセローナのサグラダファミリアにて、30年以上石を掘り続けてきた彫刻家の講演会。彫刻の話はついぞ一つもなく、「三千年期をいかに生きるか」の題目にて、いわゆる人間がこれからどのように生きるかの話であった。結論から言えば、外尾さんは伝道師であると思った。なんの道を伝える伝道師か?ガウディーが深く信仰したキリスト教的なものといってもいいし、ガウディーの生き様から学んだもの、もしくは、サグラダファミリアの現場から学んだもの、あるいは、石を見つめ続けてきたことから学んだもの、おそらくそのすべてであるといってもいい。なんのためにかというと、単純に人間の幸福のためにである。だから伝道師である。
外尾さんは、私の恩師が親交する人でもあったので、普段の話や、授業によく登場し、そして、私が20代に設計担当した美術館収蔵庫の現場にも、外尾氏の日本でみることのできる数少ない作品二作があり、幸運にもそれらに身近に接することができた。しかし、恩師を通した外尾像とも、また作品を通したそれからも、私はこの日の話の次元を読み取ることができていなかった。西暦3000年を追いかけはじめたこの世紀に、本当に3000年をこの人類が迎えることができるか?迎えるために、どのように生きるべきか。ここに話の焦点があわせられていた。
以下覚え書き
・ガウディーは、生まれつきのリウマチで、仲間と走り回って遊ぶことができなかったから、自分の側にいた動植物が友達であった。サグラダファミリアや、グエル公園の造形はその旺盛な自然観察の結果であった。
・ガウディの建築は、重力に抵抗するのではなく、重力を味方につける構造であったり、採光のための開口部は、光の動きに従う形であったりする。すべてが、与えられた環境に従っている。
・ガウディーのデスマスクをみていると、とても市電にはねられて、3日間苦しんだ人の顔とは思えないほどに、穏やかである。
・ガウディーが教会を造った、と同時に、教会がガウディーを造った。
・今は、(対象を)理解してからしか信じることができない時代だが、その逆でなければならない。信じることが先で、そこから本当の理解ができる。
・今頻繁に耳にする「エコ」は、あいかわらず自然をペットとしてあつかっている。自然への「畏れ」が重要だ。

最後に、質問の時間が与えられた。その数々の質問の最後に、
「サグラダファミリアの建設期間(130年)の間に、工事現場として死者が一人もいないというのはなぜか?」
一般の方々も多い中、これはなかなか玄人な質問で、工事現場というのは、(最近こそ解消されてきてはいるが)日本でも、戦後まで大規模な工事現場では必ず人は死んでいた(しばしば情報は隠蔽される)もの、私もこの疑問は聞いてみたかった。
「ガウディーは、サグラダファミリアの敷地の脇に、小学校を寄進しました。その小学校は、建設現場で働く職人たちの子供たちのためのもので、もちろんガウディーの設計です。子供にきちんとした教育を与えられるというのは、親としてなによりも幸福でしょう。朝親子で現場に赴き、自分が働く教会の袂に我が息子、娘が未来を見つめている。そういう環境をガウディーは教会に先駆けて造ったのです。」
こういう環境から死人が発生するような仕事もうまれないはずだということになる。教会の袂の小学校の存在は知っていたが、このようにして工事現場の質に関わっているということは、正直想像が及んでいなかった。

ガウディーそのものは、おそらくニーチェのいう「超人」であったといえるかもしれない。そして外尾氏がその超人ぶりを、私たちに伝えてくれたことは間違いない。しかし、ガウディー論という枠、また外尾氏の作品紹介という枠があったわけでもない。その場にあったものは、今に生きる私たちの未来を案じ、地球の存続を願う外尾氏の情念であったように思う。もちろん、その情念は、人一倍の想像力と危機感が基になっている。石を彫り続けるという、一つのことを訥々とやり続けることによって、凡夫には確信ができない何か大きなものが見えているのかもしれない。

「私たちは、身の回りで置たことを自分の責任か否かで判断しがちです。例えば、東北沖地震は、少なくとも自分のせいではないと。そこをもう少し考えてみて、たとえば、もしかしたら自分にも責任の一端があるのではないか、と想像してみてはどうでしょう。」
私たちの心のどこかにある患部に直撃する一言。言い訳することもできぬまま、そこが染みて実に痛い。

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