2007. 12. 2

第19(日)カイキゲンショウ

古くはローマ時代のコロッセオ(0080)やパンテオン(0128)などの国家事業を成立させた火山灰コンクリート。エッフェル塔(1889)やクリスタルパレス(世界初の温室建築/1851)などは、鉄やガラスの質的、量的生産力の向上がもたらした。コルビジェのドミノシステム(1919)はそれまでの煉瓦にとってかわるコンクリート構造物のプロトタイプであった。建築史の重要な節目には、技術を背景とした素材革命のようなものがかならずあった。
泥土の家構想のミーティングのため、日田へ。話の発端は左官Hからであった。現代の家に土の可能性がもっと活かされるはずだ、という彼の直感によるものであった。いわば開祖様的告白に私たちはそそのかされたことになる。主観に陥らぬよう様々な分野の人々の関わりが必要とされ、江副氏プロデユースにより私もプロトタイプの構想の一員に加えて貰うことになった。土は元々建築史の始まりと共に建築材料であった。それゆえに、これまでの建築史にあるように、歴史を刻印するような大きな飛躍をもたらすということは考えにくい。当面は、時代が必要とする「回帰」とはなにか?その土台を作る、という取り組みになるだろう。
回帰現象は様々な分野に出没している。稲作における合鴨農法などは技術的回帰のわかりやすい一例である。その他、食の世界におけるマクロビオティック、医学におけるホリスティック医学などは思想的、体系的な回帰例である。こういう事例を取り上げると建築(住居)においては回帰の体系化が進んでいないことに気付く。健康住宅、自然住宅、無添加住宅、標語化したゲリラの無政府状態こそが、我が国の住居における回帰現象のメーンストリームである。これらに対する意見「そう謳っているものほど怪しく見える」というのが昨晩の会議で最も心に響いた。食品表示における「地鶏」に似た構造がここにもある。
体系的な回帰としての泥土の家。まずは土の家とそうでない家の客観的性質としての環境特性を比較していく必要があるかもしれない。そして、もっとも言語化論理化の難しい、主観として捉えられてしまう性質のものをどう扱うことになるだろうか。手応えたっぷりのライフワークを授かった感がある。

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