2023. 3. 5

第201(日)内覧会というソーシャルネットワークスペース

 

 

灯明殿の内覧会、計200名近く、2日間にまたがって、来場いただいた。最初にこのプロジェクトの話をいただいたのは、2016年始めだったから、丸7年、設計の内容は様々に変化しながら、ようやく結実して、現前した。少なからずの考えが積み上がっているつもりだったが、来場者の方々からの、感想や評価に新鮮な言葉を発見することも多々。鉄骨造なのだが、内部に入ると木の割合が増える。材料=異素材の絡め方は、自分たちも、様々にエスキースをしながら、言葉を探りながら設計したものだが、それらを吹き飛ばすように、来場者の新たな言葉がやってくる。あるいは、コンクリート床スラブの研ぎ出しについても、そこに気づいた数名の方々とやりとりをした。確信犯的にやってきたつもりではあったが、違う価値を見出してもらったり、技術的なおさらいをしたりと、自分たちの意識に別の視点が上塗りされていく。

これら細部は本題にしない。建築という出来上がりのモノを介して、生の声の意見交換が行われる。建築が言葉によって練り合わせられる場、というのであれば、紙面上で、SNS上で、コンペ会場で、公演会場で、といくらでもある。しかしとりわけ現物の中で、まさにそこを指差し、触りながら、執り行われる意見交換が、単純に楽しいと思った。内覧会、いわゆるオープンハウスの意味に改めて感じ入った。

一つ反省があるとすれば、建物の説明を等しく来場のみなさんに、お話することができなかったこと。時間を決めて、スライドプレゼンテーションを差し上げるべきか、悩んだ。でも、それをしても結局、その時間に同期できない、話は聞いたがモノをゆっくり見る時間がなかった、モノを見ていて話は聞きそびれた、などというすれ違いを埋めることはできなかっただろう。今回は、作者の思いは一旦堰き止めて(サイトでは炸裂しているかも)、まずはモノを直接体験してほしかった。建築という生地に言葉を練り込んできたのは事実だが、そこに頼るモノにしたくない。(どうせ聞かれたら、堰を切って喋ってしまうが。)

また、この「内覧会」のおかげで数年ぶりの再会となり、近況報告を交わしたりと全く別の話題で盛り上がる一面もあった。主催側と来場者、の関係だけでなく、来場者同士のコミュニケーションも無数にあったかもしれない。究極的には、建築が媒介して、人間どうしの安否確認的な「場」のようではなかったか。ソーシャルネットワークのサービススペースそのものである。

SNSや、紙面に比べると、「内覧会」は場所や時間の限定、排除がある。逆に言えば、前者の実空間バージョン、となんだか立場が逆だが、そういう、直接体験できる言語空間、映像空間である。これは、やはり、建築を理解し考える場としては、最強なのだ。「内覧会」の頻度が、その地域での建築の意識度(文化度、民度と言いたいがすこし柔らかく)に寄与するかもしれない、と今更ながらである。

一方では、一時的なSNS実空間を提供してくれる施主さんには、単純に甘えることになってしまう。面白がって建築を作り語る輩たちの世界を、どこまでも支えていただく立場に、頭が上がらない。

こういうことを踏まえつつも、「内覧会」という「場」の明滅、の営みが、場所、地域を作っていくことを見届けていきたい。その可能性を見逃したくない気がする。

 

 

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