2008. 7. 20

第43(日)移動授業 

容赦なく上昇する都市熱から逃げるように、我々は小石原へと向かった。そこは標高500mそこそこであるが、夏だとだいたい5~7度ほど市内より低い。学生の一人が図々しくも学外、できれば見応えある建築の中で講義を受けたいといったことから、機会を得たところにてそのようにした。あるときは、真言宗の小さなお堂を借りて不動明王をバックに、あるときは、ギャラリーを借りて、そしてあるときは改装された酒蔵の一室を借りて、スライドを回した。少人数であることが、そのようなイレギュラーな移動授業の形態を可能にした。そして今回の最終回は、学生のたっての希望にて小石原(今は行政区の統合にて東峰村となったがあえて)へ。小石原のsh360は友人のプロダクトデザイナー下島氏のアトリエ兼自宅である。建物はなんてことないが築60年を超える2棟が朽ちながらも無手勝流の面白さをもっている。だが、ここを訪れた人が真から感嘆するのは、樹齢500年クラスの杉林に囲まれたその周辺環境=場所に対してである。こんな場所を個人の専有地として囲い込むにはもったいないということで、ことあるたびに人の集まる場所として活用してきた。
今回は最終回ということで、「デザインする意味」なる、なんとも大げさな表題を引っさげて臨んだ。最後はあえて建築の具体的な知識には触れず、デザインする主体の姿勢のありようについて、いってみれば精神論のようなもので締めくくろうというものであった。およそ学生時代、自分のことを振り返るなら、そんなことの意味なんてものを考える繊細な神経と頭脳は持ち合わせていなかった。だが、よいデザインが他者から賞賛を受けることの社会的意味というのは、例えば医者が難病患者の命を救うといった明解な成果に比べてどうなのか?まったく及ばないのではないか?という奇妙な比較をする習癖はあった。そのような疑問はしかし、それ以上に旺盛なデザインへの興味と欲求に常にかき消された。その若さゆえの欲求はやはり、よくも悪くも落ち着きをもってくる。周りを俯瞰する余裕が出てくる。
つまりは、自分の中のもやもやしたものを、授業の表題にしてしまったのであって、果たして大学院生の段階でそんなことを掘り起こさせることが必要だったかどうかというのは、正直度外視していた。話の締めくくりは「内的必然性」の必要性について。社会に役に立つものをデザインしようという姿勢は、外的必然性に応えるということである。だが、それ以上に重要なのは実は内的必然性なのだということを、北九州の河内貯水施設群を設計+監理した沼田尚徳の土木事業をめくりながら、話した。「内的必然性」というのは外的必然要素を了解しながらも、それにとらわれない、もしくはそれを超える作者の「意思」である。何かを伝えようと全15回をかけて掘り下げていったが、その話の結末は、どうしたらその必要なものを得ることができるのか、全く教えることのできない代物についてであった。
後味の悪い内容のお茶を濁すように、カンカンに明るい満月が野天の食卓を照らし続けていた。

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