2009. 1. 18

第62(日)典坐教訓

この事務所をふりかえるに、いかに雑用の多いことか。その原因の一つに、マカナイ食制度がある。昼と夜、一汁一菜のイメージで各人当番で飯炊きを行う。朝から晩まで事務所にへばりつくのだから、コンビニ弁当や外食で毎日の食事を済ますよりは皆で工夫をして、安く、健康的で、美味しい(美食ではないが)飯を生活の基礎にすべきだとの考えからである。ワイマールバウハウスの黎明期、グロピウスがお金のない学生達のために台所を設け、自分も学生といっしょに食事をしていたという逸話も、どこかで見方に付けている。一説には、事務所から離れる時間がなくて窮屈だという意見もあるが、所長の顔を見ながらの飯が消化不良になるか、外で添加物をとり続け歳を取ってから身体がおかしくなるか、どちらがましかという問題でもある。個人的には後者を回避するためだと思っている。
このまえは、包丁研ぎをシンマイへ命じた。研ぎ方の1から教えるはめになる。人造石は一定の時間水を染みこませていないとうまく研げない、自然石のそれだとそういう必要がないこと、研げたかどうかの確認の仕方、云々。そんなことを言っている自分がなんだかよくわからなくなる瞬間でもある。が、そうではないはずというつもりはある。直感的に、理屈抜きに、人間の生活とはこういうものだ、と。食べ物も建築で言ったらプレファブリック化、つまり現場生産ではなく、工場にて加工されたもので市場は溢れているから、うまくやれば包丁など用いずとも済む。世の中を取り巻く全てに渡りアンリアルな、とかくモノが抱える真実の世界から遠いところに追いやられてしまった人々にとっての料理は、包丁が切れるとか切れないとかの感触などに敏感になりようがない、ということか。いずれにしても、料理をするのなら、切れのいい包丁でさくさくカタチを作っていくのが圧倒的に楽しい。材料の加工そのものに快感を得るために、鋭く輝く道具を持っている大工や左官などの職人となにも変わらない。
道元禅師は、あの正法眼蔵を完成させる以前に、「典坐教訓」(てんぞきょうくん)という料理に関する作法を詳しく戒めた著書を書いている。永平寺建立(1244)の前に京都の宇治に興聖寺を建てた頃の話である。米を研ぐときには桶に穴が開いていないかどうか確かめよ、とか米に異物が混入していないかどうか、とか・・コマゴマとしていて実にほほえましい。正法眼蔵という人間の深奥に迫る壮大な宗教思想を著した才が、そのまえに飯釜の底の穴を確認する旨を教典化していた・・いや、まずは、食という日常生活の基本を問い直そうとしていた。これには宋における修業のエピソードがある。中国の港で禅師は当地の老僧に出会う。彼と仏法の話をしたく、一晩ここに留まらないか尋ねたところ、彼は食事の役僧(典坐)であるため帰らないといけないと辞退した。禅師はそんなものは若い僧にゆだねて、もっと法に関する本質的な話でもしましょうと切り返したところ、老僧は、「若い日本の僧(当時の道元)、あなたは仏法のなんたるかがまだわかっていない」と一笑して、帰路についたという。順不同になるが、こうして典坐教訓が導かれたという話である。
こういう話を掘り起こすと、設計の指図に混じって漬け物桶の具合を所員に尋ねる我が身は、幾ばくか救われる。

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