2009. 6. 7

第76(日)ライフ・フィジックス

ハウジングフィジックスと名付けられた建築の切り口に少なからず共鳴している。気鋭の若手建築家たちによる考え方の一種の傾向でもあり、ハウジングフィジックスデザインスタディーズ(小泉雅生監修/inax出版2008)としてすでに書籍化されている。彼らが同時多発的に思考する住宅への工学的アプローチは、住宅より大きくなれば、それはビルディングフィジックスであり、都市的スケールになれば、アーバンフィシックスというように、フィジックスはあらゆるスケールにおいて、適用される。
これらの物理学が扱うものは、温度、湿度、光、空気等の人間にとって必要不可欠で、かつ直接的に快不快に影響する要素であり、それぞれの理想的な数値をいかに合理的に(=少ないエネルギーで)得られるかを探求するものである。物理学が座長となって建築や都市をつくっていく。一般の人々の印象からすると、建築は工学である以上、そんなことは当たり前のことではないかと思うに違いない。もちろん、その当たり前ぶりについては上記書物の中にも記してある。環境工学的な建築の探求は計画原論という名のカテゴリで、設計者にとってはすこぶる自明のものであって、それらが建築をかたちづくっていることは今も昔も変わりないというものである。が、かつての「計画原論」は建築をつくる主導原理というより不変の底部のようなものであった。モダニズム~ポストモダニズム~数多の様式論は、「計画原論」を底部に敷いて築かれていった。例えば、コルビジェのサヴォア邸、夏涼しいのか冬暖かいのか、暖房効率はどうなのか、といった環境工学的スペックはこの住宅の主題ではなかった。一方、今日に言う「ハウジングフィジックス」は、底部であった環境工学=物理学が直接、建築のテーマになる=建築を決めていく主導原理として陽の光を受けつつあるものであり、その位置づけに大きな違いがある。

物理学で決定されていく建築があり、都市があるなら、その根本である人の生活も同じではないか、と自然に考える。ハウジング?にちなんでライフ・フィジックス。英語でいうと、なんとなく様になるが、単純に「生活のための物理学」というような意味になる。これを思いついたのは、こんなトピックからだ。

「肉を食べ続けていると、環境破壊になるのか?

建物の暖房や輸送機器の燃料などが地球に与える影響はしばしば問題にされる。しかし家畜が、食糧危機と地球温暖化という2つの問題に悪影響を与えていることは、あまり語られていない。FAO(国連食糧農業機関)の報告書によれば、2002年には6億7000万tもの穀物が家畜用飼料になっている。これは全世界の穀物生産量の3分の1前後に上る。食肉産業は、地球上の耕作可能面積の実に40%をむさぼっているのだ。

2030年までに食肉生産量は倍増すると予測される。家畜用飼料に当てられる耕地が増えれば増えるほど、食用穀物の栽培に当てられる耕地の面積は減少する。これが地球上の貧しい人々が手に入れる食料の価格を高騰させることにつながってしまう。この問題は、数億人が飢えるというだけでは済まない。食肉の生産は、アル・ゴア元米副大統領も言うとおり、暖房設備に次ぐ気候温暖化の大きな原因になっている。

AOによれば、温室効果ガスの18%は家畜が産み出している。とりわけ牛は、人間の活動により排出される二酸化炭素の9%にあたる量を産み出している。さらに、二酸化炭素の約300倍の温室効果を持つ亜酸化窒素の排出量のうち、家畜によるものは65%も占めている。大半は家畜の糞尿によるものだ。また、 二酸化炭素の23倍の温室効果を持つメタンの排出量の37%も、やはり家畜によるものだ。

さらに飼料の生産から食肉の輸送まで、莫大な化石燃料を費やしている。肉を食べるだけで、想像以上の二酸化炭素を排出することになる。一般的な4人家族の家庭で計算してみると、食肉のために年間1000リットルを超える化石燃料が消費され、2.5tの二酸化炭素が排出されることになる。これは、平均的な排気量の自動車1台の排出量半年分に当たる。 地球温暖化を避けるため、農業分野でも亜酸化窒素とメタンの排出量に規制を設ける必要がある。しかし国際会議の場では、ほとんど議論されることがない。

地球、そして人類の将来を案ずるなら、肉食にも目をむけるべきであろう。飼料生産から食用穀物の生産への転換と、食生活の見直しが今こそ必要となっている。 」

環境問題をテクノロジーによって克服するというシナリオと、生活水準を生け贄にしてこれを克服するシナリオは二者択一でよいわけがなく、もはや両方を行わなければならない。肉食を減らさなければならない、という上記の話はそれ単体で窮屈であるが、「私たちのこれからは、今までのように自由(奔放)ではない」という総論の一部が見えているにすぎない。物理が文字通りに示す理(ことわり)が私たちの日常生活を具体的に抑制する、そういう時代がいよいよ輪郭を強めてきた。只単に窮屈で、不愉快な時代とはならないように、前向きに捉えていくしかない。いずれにしても、最も改革を要するのが人の生活なのであれば、ライフ・フィジックスは招かれざる歓迎客として迎えざるおえないだろう。

« »