2025. 12. 25 permalink
七山鎮霊石 の鎮座 <神宮寺>
日本の各地から、神様の指示に従って、頂いてきた石が7つあるので、それを龍神様の池に鎮座したい、という要望を2024年末ごろに頂いて、早、1年以上を過ごした。年末ギリギリのクリスマスに設置工事となった。
7つの石をどのような考え方でどのように配置し、どのような台座とすべきか。当初は、六方石の台座、と言う計画があったらしいが、それにこだわらなくてもいい、とのこと。1999年(平成11年)の滋賀県比叡山の麓の日吉神社から始まり、2003(平成15年)の宮崎県旧霧島神宮跡地での採取の記録史を読ませていただき、これは、大変な仕事だとすぐに思った。神様に言われて、その場所を尋ねると、数多ある石の中で、光っている石があるという。それらを頂戴してきた、というのである。言うならば、日本各地からの「小さな磐座」を遷座する計画、というふうに理解した。
この段階で、まず、考えたことは、「小さな磐座」は、最小限の支持部材によって支えるべき、ということ。穴を開けるなどということは当然ながらご法度であって、その逆に、優しく三本の細い指で、下から支えるようなものだろう、と直感した。優しくではあるが、石を包むにあたって、柔らかくて耐久性の無いものでは、難しい。すぐさま、鉄の彫刻家、中西秀明を思い出した。彼なら、この磐座を素手で触れていい人間に間違いないし、美しく細い三本の鉄指で、石を包むことができる、と思った。この7つの小さな磐座を訪ねる物語を共に共有して、取り組むことになった。
八大龍王神、というのは日本各地にあって、主に仏教(特に法華経系)に由来する八柱の龍神で、雨・水・自然の循環を司る存在。もともとインド仏教におけるナーガ(龍・蛇神)信仰に由来していて、日本では仏教受容とともに神道・民間信仰と習合し、雨乞い・水神・鎮守神として各地で信仰されてきた、ということのよう。
中西さんのアトリエに出向き、八大龍王神=龍神様の池に、これらの霊石を配置することをどういうふうに考えるべきか、相談したところ、二つ返事で、志賀海神社の宮司家の始祖である安曇野磯良(あずみのいそら)が龍神でしょう、との切り返しから始まった。磯良は、海人安曇族の始祖であり、神功皇后(4-5世紀?)を経由して、この若杉山とも関係している。そして、海人の始祖ならば、言うまでもなく海の神様であり、航海安全の神として、夜空に輝く最も明るい星シリウスとも喩えられる。なぜ星に喩えられるのかというと、夜の航行のために明るい星は欠かせないからである。日本の船が○○丸、という名前になるのは、安曇野磯良丸(あずみのいそらまる)の丸からきている、という。丸は「星」の意味で、その代表としてシリウスを表しているという。日本の船は皆、磯良丸の末裔として天空の星と繋がりをもって海を渡っているのである。中西さんは鉄の彫刻家だったはずだが、まるで郷土史家か古代史研究家のように、おとぎ話の語り部のように、これらの話をどこまでも続ける。そして、中西さんこそ、志賀海神社に縁がある人で、お住まいも島の北端にある志賀海神社沖津宮の近くだという。宮司家の安曇氏とも親交があるらしい。(2026年のお年賀の連絡も、志賀海神社からだった。)もう、彼以外に、この仕事をお願いする理由がなかった。
そして、1年以上が過ぎ、2025年、今日のこのクリスマス。この日、私たちは、龍神様に、日本中の「小さな磐座」をプレゼントするサンタさんとなった。(白髪も混じってきたということで。)中西さんと、弟子の良彦さんにあわせて、城戸石材加工所(みやこ町)の工場長が現場に乗り込む。池の石材に、穴を開けるからだ。霊石の台座は、幾度かの打ち合わせを重ねた。既存の龍神様が、八角形の台座に鎮座されているので、その対角線の延長上に配置して、同様に八角形配置とした。天と地をつなぐ、という役目を担ったステンレスの造形は、池水に浸かる円柱+螺旋の部分を水柱(みずばしら)、霊石を掲げる台座のところを天鏡(あまかがみ)と名付けられた部材で構成されている。木製の治具にあてて、手で造形された天鏡は、実際に天空を写し、霊石の死角部分をも写し出す。霊石は、滋賀県の日吉大社(1999)、神奈川県の樫ノ木神社(2001)、北海道の羊蹄山(2002)、長野県の御射山神社(2001)、京都の真名井神社(2001)、琵琶湖に浮かぶ竹生島神社(2001)、宮崎県の霧島神宮古宮跡(2003)そして佐渡島より、それぞれ賜った7+1=八霊石となった。それぞれに、その石にたどり着いたストーリーがあるが、ここでは橋折る。いずれにしても日本各地の水の神様が宿る磐座がこの龍神池に一同に会する。そして、龍神様の頂部には、インドのブッダガヤからの霊石である。9個目であることもあり、九輪の輪を重ねた「相輪」の頂部にこの石を掲げた。大地に産まれた霊石が天まで届け、と言わんばかりの配置となって現れた。
